そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







ヤング・アダルト・ニューヨーク  ノア・バームバック監督

アメリカのノア・バームバック監督は深刻な問題を正面から扱っているけど、どこをとっても写真集になりそうな映像のかっこよさ。何故か笑わずにはいられない演出の絶妙さ。
笑っているうちに本当に大切な事を教えてくれる素敵な監督です。
『イカとクジラ』『フランシス・ハ』もよかったけど、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』こんなに化けると思わなかった。
ひとりの監督の作品をみ続けてきてよかったと思える作品です。

なかなか映画を完成させる事ができない記録映画の監督ジョシュ(森達也監督『FAKE』をみたら激怒するタイプ笑)が自分よりずっと年下の世代と出会う事で、いろんな発見や刺激を受けていく姿。
同世代の所帯じみていく価値観に対する抵抗感。そのくせ身体は歳をとっていく。
なんかもー、実際、年下の人達と楽しい思いをしてきたおかげか、この大人になりきれない大人達の姿は他人事とは思えないリアルさ。
中2病には国境はないとはよく言ったもんだなぁ…。

映画の中で主人公が映画監督というのはよくあるけど、記録映画の監督はあまりないような気がする。「ええっ?。ノア・バームバック監督って、そんなに記録映画の事が好きだったんですか!?」なんか「好きな○○くんと、おなじバンドが好きだった。やったぜ!」な素敵な展開になるぞ。
そういえばノア・バームバック監督の人物のとらえ方はフレデリック・ワイズマン監督の観察映画みたいな面白さがあるなー。

ベン・スティラーとはいえば監督もされていて『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は『リアリティ・バイツ』を思い出させてくれる…と書きたいところなんですが、ヒラリー・クリントンとデートする日が来たらぜひ一緒にみたい『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』がとっても最高です!。
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ニュースの真相  ジェームズ・ワンダービルト監督

人間なら誰にもでも間違いがあるけど、その間違いを本題から離れた所から非難している状況を面白がっているうちに、その事が自分達にも降りかかり、いつの間にか自由に発言できない社会へと歩む事になっていた。たとえば、鋭い発言をする人達がひとりずつ姿を消していく。どこかでみたことのある出来事がアメリカのブッシュ政権の時にもおきていた。
ジェームズ・ヴァンダービルト監督『ニュースの真相』はそれを題材にした作品です。

問題とされている事が本当に起きていたのか?というより、間違いをおかした事やその人の思想を洗い出して糾弾していく。
ほとんど魔女狩りみたいな状況は先日みたジェイ・ローチ監督『トランボ』で描かれた1960年代の赤狩りに近い物を感じます。
不思議なもので時代や国が違っていても人はおなじような行動をします。
「魔女狩りみたいな」と書きましたが、いまから90年くらい前に作られたカール・テホ・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』(1927年)という魔女狩りその物を描いた作品があります。
社会的な弱者にとっては聖女であるジャンヌ・ダルクは教会の人達にとっては魔女であり、異端視されるのですが、その視線がとても怖い。
『ニュースの真相』の重厚で不気味な場面に出てくる人達の視線とケイト・ブランシェットが演じる報道番組のプロデューサーの姿はまさにそれ。
味方となる人がほとんどいない場所で、挫けそうになりながらも真実を訴えて追求していく姿。動きの少ない映画だけれど、その迫力と緊張感はものすごいものがありました。
真実を追求していくのは、時によってはとても難しい事があります。
それでも真実を追求していく大切さを教えてくれて、黒澤明監督『悪い奴ほどよく眠る』のあの、映画をみおえた時の血が騒ぐ感覚で再びやってくる作品です。
こんな映画を作っちゃうアメリカの映画人ってかっこいい〜。










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レッドタートル ある島の物語  マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督

アニメーションは好きなのに、作画に対して自分でも嫌になるくらい好き嫌いがあるせいで、素直に楽しめなかったりする。
背景をどれだけ写実的に作った所で、人物線の輪郭とあわないとチグハグな印象を受けるし、音楽はよくても、絵の動きと音楽のバランスがとれていなかったりすると、もう全然のれなくて悲しい思いをしたりする。

マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督『レッドタートル ある島の物語』。
本当、こういう作品がみたかったんだよーと涙がこぼれてきました。
嵐の海。
大波に弾かれる雨の美しさ。
人間の文明がいっさい存在しない怖さ。
それが絵画と音で表現されている。これが、すごい。
時間の経過と心理描写にあわせて変化する色彩。
遠景で人間が歩く場面の足音。砂浜から岩場へとまたいだ瞬間から、足音の音質が微妙に変わる。
冒頭の数分でこの作品のとりこになった。
無人島に漂流した男に訪れた絶対的な孤独が生みだしたユートピアを描いた『レッドタートル』。こわいくらい冷静に人間を観察した人が作りだせるものだと思う。




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めぐりあう日  ウーニー・ルコント監督

ウーニー・ルコント監督『めぐりあう日』。
母親になる事に戸惑う2人の女性。
妻の大切な変化に気づかない夫。(いくらなんでも鈍感すぎでは…という気もする笑)
転校先で友達をみつけ、成長していく子供、大人へはむかう姿。
ジャン=リュック・ゴダール監督、レオス・カラックス監督達の映画を撮影してきた、カロリーヌ・シャンプティエの、はかなく美しい映像に写し出された人間の生々しい姿には何度も鳥肌がたった。

ウーニー・ルコント監督が韓国に住んでいたのは短い期間だったようですが、前も何度か書いた事がありますが、韓国の人達が描く人情の世界は感覚的にとても近い物を感じます。
日本でいう所の世話物や因果応報的のあの感覚。
その感覚と、人をありのままに見守る西洋の写実的な視点。
異なる文化圏が融合する事で生まれたとても美しい映画です。

冒頭に「母親になる事に戸惑う2人の女性」と書きましたが、映画の中で少しづつ母親になっていくんだけど、それは、「男なんてこんなもんだよなー!」女性が男に見切りをつけていく姿だったりする。これは怖い笑。


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風の波紋  小林茂監督

1989年に山形国際ドキュメンタリー映画祭の第1回目が開催された時に、当時、新潟県で『阿賀に生きる』を撮影されていた佐藤真監督をはじめとした、スタッフの方達が山形市の馬見ケ崎川の川原にテントを張り山形映画祭に参加されていました。
その『阿賀に生きる』(1992年)の撮影をされていた小林茂監督『風の波紋』(2016年)をみてきました。

ちょっと話がずれてしまいますが、大重潤一郎監督『小川プロ訪問記』(1981年)の中で、小川紳介監督が大島渚監督との対談の中で、ポツポツと消えていく村、その村の暮らしを記録する事の大切さを話されていました。

消えていった村もありますが、都会から村へ移住されてきた方のおかげで、新しい形をむかえた村もあります。
『風の波紋』の移住されてきた方達、外側の視点の村の生活は昔ながらの共同体としての村の暮らしを感じさせながら、どこか新しさ(物珍しさ)も感じさせると同時に、その昔、その土地で生きてきた人達の経験から生みだされた知恵の豊かさの足跡をたどるようです。
 
状況を説明する字幕スーパーが最小限の『風の波紋』。
どんな状況なのか伝えるための適確な構図、映像の編集のおかげで「あー、そういう事なんだー!」なんとなく、わかってしまうからすごい。
これは、その土地で撮影の対象となる人達と一緒に過ごした人じゃないと撮れない映像です。
僕が書くのも恐れおおいんですが、長年に渡って記録映画を撮ってこられた方の映像はすごいわー。






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木靴の樹   エルマンノ・オルミ監督

まさか映画館でみれる日がくると思わなかったエルマンノ・オルミ監督『木靴の樹』(1978年)。19世紀後半、イタリアの農民の暮らしを題材にした作品です。
撮影当時のイタリアで農業に携わっている人達が、自分達のご先祖様にあたる人達の暮らしを演じています。
太陽が登ってから落ちるまで。
日々の暮らしぶり、そこに住んでいる人達が何を思い、考えていて生きていたのか、農民の精神世界が言葉や理屈ではなく、息づかいや感覚で伝わってきます。イタリアの歴史を知らない僕でも、当時のイタリアがどんな社会だったのか、ストンストンと心の中に入ってくる。

劇映画というより、とってもとっても豊かな記録映画に出会った興奮に包まれているうちに、あの世から小川紳介さんが降りてきて、けたたましく映画の解説をしそうな気がしてきた。

何故、そう思うのか『小川紳介 映画を穫る』(山根貞男編 筑摩書房)306頁の年譜。
1979年に小川さんは『木靴の樹』を山形県上山市牧野村の人達にみせたくて、実行している。
『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986年)の牧野村の人達が自分達のご先祖様を演じる場面の発想は『木靴の樹』からきていたのかも。そういえばフェデリコ・フェリーニ監督『アマルコルド』(1973年)も影響している気がする。イタリア映画に親近感があるのは小川さんの映画のおかげかもー。
映画への妄想が妄想を呼び、ニヤニヤしているうちに、3時間7分の『木靴の樹』の楽しい時間はあっという間に過ぎていったー。
こんなにはやく終わらないでーっ!!。


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RiP!リミックス宣言 ブレット・ゲイラー監督

JR山形駅から左沢(あてらざわ)線に乗り換えて30分くらいのJR寒河江駅から歩いて5分くらい所にあるGEA Restaurant0053というお店での上映会『THEATER0053 第2夜』で2009年の山形映画祭で上映された『RiP!リミックス宣言』(ブレット・ゲイラー監督)が上映されるので9/3㈯にみに行ってきました。
サンドイッチ、うまかったー。
この上映会を企画されている菊地翼さんが地元のラジオ局でDJをされている方で、この方の番組でベル&セバスチャンを知ったおかげでスチュアート・マードック監督『ゴット・ヘルプ・ザ・ガール』を楽しめました。

『RiP!リミックス宣言』の主題は「著作権は誰のミカタ!?」。
作り手の権利を守るのは大切な事なんですが、芸術の多くは過去の芸術の影響を受けているので、解釈の仕方によっては、多くの芸術が著作権を侵害している事になってしまいます。
人と人が交流して新しい生活が生まれるように、文化と文化が交流して新しい文化が生まれる事が、芸術の本来の姿なんだと思うけど、そこにお金がからむと話がややこしくなる。
著作権の問題はややこしいけど、いくつになっても、イタズラ心は忘れたくないなんて素敵な大人にぴったりの笑いながらみれる作品です。
マウス解放戦線が素敵すぎて会員になりたい笑。
しかし、リミックスの話がここまで複雑だと、THE FLIPPER'S GUITARの『ヘッド博士の世界塔』のDOLPHIN SONGを聴きたくなる。
ほんとのことが知りたくて 嘘っぱちの中旅に出る〜♪♪って、記録映画をみる時にぴったりの歌だなぁー。 
いいんでしょうか、こんなテキトーなオチで。


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暗殺 チェ・ドンフン監督

いまよりも格差社会だった戦前の日本はどんなだったんだろう?。
戦前の建物は焼けたり老朽化してみる機会が少ないけれど、映画の中でならみる事ができたりする。
チェ・ドンフン監督『暗殺』。
韓国が日本だった頃の映画で、韓国にあった日本の街の建物、上流階級に住む人達の服飾が豪華絢爛に再現されていて、その規模がすごかった〜。
CGで再現されている部分もあるんですが、セットのこのまま生活できそうなしっかりとした造りに(ビューンと走る車をカメラで追えるくらいでかい)、「もしかしたら、スクリーンを斜めにみたら奥のほうまでみえるのでは…」首を右や左に曲げて映画をみはじめる映画バカ。
この豪華なセットで生身の人間の動きを中心としたアクションが展開されるなんて最高です。
それがワンカットだと信じられないくらい物凄い事がおきた!。タランティーノ監督がみたら喜びそ〜。
セットが豪華なだけではなくて、朝鮮半島の歴史を象徴するセットへと繋がっていく、映画の流れ、映画の力強さは拍手ものです。

「日本が韓国を植民地支配していた時代の映画」というと、何かいろいろ言われてしまいそうですが、その事に対して感情的に批判するというより、日本人の側についた韓国人や、まとまりのない独立運動の弊害について、冷静に歴史をみる視点がとっても大人だった…。
あらー、こういう歴史だったのね。『暗殺』みるまで知らんかった。

本当、細かい所までみたくなる映画なんですが、細かい所までみると、とっても気になる場面が…。
僕の見間違いでなければ、汽車の中で日本人のお偉いさんの貴方が読んでいる本は江戸川乱歩様の本では…。何気に装丁が春陽文庫している。
1930年代に江戸川乱歩様って何処まで大丈夫だったんだろー?。監督さんか美術監督さんの趣味なのか、気になるー!。

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帰ってきたヒトラー デヴィット・ヴェント監督

デヴィット・ヴェント監督『帰ってきたヒトラー』は、現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーが時代錯誤な事を言う姿、それをからかいながらも魅了されていく人達の姿に大笑い。ドイツの過去と現代を諷刺した映画。
なぜ、ナチスとヒトラーはあれだけの事ができるようになったのか?。映画と笑いを使って、たどりついた答えのひとつ、ひとつが、戦争の道へと歩んでいく現代の日本社会とぴったりと重なるので、映画が終わる頃には怖すぎて顔がひきつっていたかもしれない。
ナチスの手口を学ぶと自分の住んでる国がどんな状態なのかみえてくるのね。

俳優が演じている事はわかりきっているのに、映画が進むにつれて、本物のヒトラーに思えてくる演技と映画の構成(編集)が本当、見事。見事です。
『ハンナ・アーレント』『サウルの息子』『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』といった作品を通して、ナチスとヒトラーがいかに酷い事をしてきたのかみてきたのに、それなのに、ヒトラーのオーラにこっちまで魅了されるんだもの、かなりショック…。
そして魅了された後のあの台詞。監督の仕掛けた知の罠にやられて、もう討ち死に状態になりました苦笑。
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葛城事件   赤堀雅秋監督

赤堀雅秋監督『葛城事件』。
殺人事件が起きるたびに繰り返される、加害者の異常さだけを伝えたり、加害者の家族を追い回す報道がどのくらい現実の世界とずれているのか教えてくれます。
よくこんな怖い映画を作ったなぁ。
ジョン・カサヴェテス監督の映画くらい怖い。
作り手、演じ手の人達の映画を作る気合、覚悟に尊敬してしまいます。

平凡な暮らしをしていた人達が小さなひずみから、精神的に追い詰められていく過程を何ひとつ思い込みも偏見もなく、加害者とその家族を普通の人間として描いている。
精神的に追い詰められた人間はどう物事を認識して言葉にして行動するのか。
しっかりと裏付けされた台詞と演技の物凄さ。
三浦友和氏が演じる父親がどんな躾を受けて育ってきたのか。
その社会はどんな価値観で構成されているのか。直接的には出てこないけれど、父親が受けてきた抑圧が亡霊のように支配している展開には寒気がしました。

言葉のひとつひとつが重要な意味を持つ『葛城事件』。
この声の響きの美しさ、音が耳の中にスーッと吸い込まれていって、聞く人によっては不快な内容の台詞がストンストンと入ってくる音の魅力はなんだろう?と思えば、小川紳介監督『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計 牧野村物語』の録音をされてきた菊池信之氏。
小川さん達の映画の面白さのひとつは、映画に記録された人達の語り(声の響き)にあるので、なんかすごい納得。
そして、季節ごとの光を感じさせながら、人間の表情をギラギラとあぶりだす、この照明のすごさはなんだろう?と思えば、熊切和嘉監督『海炭市叙景』、呉美保監督『そこのみにて光輝く』の照明を担当された藤井勇氏だった。

心を動かされる映画は監督は違ってもおなじ方が担当されていたりするので、スタッフさんを調べてみると面白いです。

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