そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







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帰ってきたヒトラー デヴィット・ヴェント監督

デヴィット・ヴェント監督『帰ってきたヒトラー』は、現代のドイツにタイムスリップしたヒトラーが時代錯誤な事を言う姿、それをからかいながらも魅了されていく人達の姿に大笑い。ドイツの過去と現代を諷刺した映画。
なぜ、ナチスとヒトラーはあれだけの事ができるようになったのか?。映画と笑いを使って、たどりついた答えのひとつ、ひとつが、戦争の道へと歩んでいく現代の日本社会とぴったりと重なるので、映画が終わる頃には怖すぎて顔がひきつっていたかもしれない。
ナチスの手口を学ぶと自分の住んでる国がどんな状態なのかみえてくるのね。

俳優が演じている事はわかりきっているのに、映画が進むにつれて、本物のヒトラーに思えてくる演技と映画の構成(編集)が本当、見事。見事です。
『ハンナ・アーレント』『サウルの息子』『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』といった作品を通して、ナチスとヒトラーがいかに酷い事をしてきたのかみてきたのに、それなのに、ヒトラーのオーラにこっちまで魅了されるんだもの、かなりショック…。
そして魅了された後のあの台詞。監督の仕掛けた知の罠にやられて、もう討ち死に状態になりました苦笑。
posted by 永島大輔 19:14comments(0)trackbacks(0)pookmark





葛城事件   赤堀雅秋監督

赤堀雅秋監督『葛城事件』。
殺人事件が起きるたびに繰り返される、加害者の異常さだけを伝えたり、加害者の家族を追い回す報道がどのくらい現実の世界とずれているのか教えてくれます。
よくこんな怖い映画を作ったなぁ。
ジョン・カサヴェテス監督の映画くらい怖い。
作り手、演じ手の人達の映画を作る気合、覚悟に尊敬してしまいます。

平凡な暮らしをしていた人達が小さなひずみから、精神的に追い詰められていく過程を何ひとつ思い込みも偏見もなく、加害者とその家族を普通の人間として描いている。
精神的に追い詰められた人間はどう物事を認識して言葉にして行動するのか。
しっかりと裏付けされた台詞と演技の物凄さ。
三浦友和氏が演じる父親がどんな躾を受けて育ってきたのか。
その社会はどんな価値観で構成されているのか。直接的には出てこないけれど、父親が受けてきた抑圧が亡霊のように支配している展開には寒気がしました。

言葉のひとつひとつが重要な意味を持つ『葛城事件』。
この声の響きの美しさ、音が耳の中にスーッと吸い込まれていって、聞く人によっては不快な内容の台詞がストンストンと入ってくる音の魅力はなんだろう?と思えば、小川紳介監督『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計 牧野村物語』の録音をされてきた菊池信之氏。
小川さん達の映画の面白さのひとつは、映画に記録された人達の語り(声の響き)にあるので、なんかすごい納得。
そして、季節ごとの光を感じさせながら、人間の表情をギラギラとあぶりだす、この照明のすごさはなんだろう?と思えば、熊切和嘉監督『海炭市叙景』、呉美保監督『そこのみにて光輝く』の照明を担当された藤井勇氏だった。

心を動かされる映画は監督は違ってもおなじ方が担当されていたりするので、スタッフさんを調べてみると面白いです。

posted by 永島大輔 18:29comments(0)trackbacks(0)pookmark





シン・ゴジラ 庵野秀明監督

庵野秀明監督『シン・ゴジラ』は本多猪四郎監督『ゴジラ』に対する尊敬の念が溢れた映画でした。なんか泣けてきた。
CGの場面にたくみに織りまぜられた、ミニチュアの場面が醸し出す空間の繊細な美しさは日本映画の大切な宝物だと思う。
本多猪四郎監督と円谷英二監督が現在も活躍されていたら、こういうゴジラを作っていたような気さえしてきます。
初代ゴジラは戦災からようやく復興した東京が再び焦土と化すという第二次世界大戦の記憶を呼び覚ますものであり、その緊急事態に国がどう対応するかという、当時の社会状況を反映させた内容でした。
映画をみるのは大好きだけれど、3.11から5年が過ぎても津波の場面をみると怖くなる事を考えると、『ゴジラ』を昭和29年封切りの時にみた人達の中には、空襲を想起させる場面にはおなじような怖さを感じた人がいるのではないでしょうか?。

歌舞伎に受け継がれてきた見せ場があるように、『シン・ゴジラ』には初代ゴジラのあの見せ場を受け継ぎ、しかも盛りだくさんでみせてくれます。
なんというか、寿司屋で好きなネタをたらふく食べさせてもらっているような幸せな状態。

ゴジラが関東に、東京に上陸する事の意味。
僕が東京にいた頃、今よりもお金が無かったので、お金がかからない散歩をよくしていました。
ロラン・バルト著『表徴の帝国』や藤森照信著『建築探偵の冒険・東京篇』をガイドブックにして、あっちへフラフラこっちへフラフラ。
昭和の雰囲気を感じさせる物件をみているうちに、敗戦から東京をどう復興させていったのか、そこに誰のどんな思惑があったのか肌や空間で感じとる事ができました。

本多猪四郎監督『ゴジラ』には、東京全土を破壊する勢いのゴジラが襲撃しない空間があって、庵野秀明監督『シン・ゴジラ』にもその空間が存在します。
なんでしょう?。
ゴジラは荒ぶる神のようでいて、中心に近づくか悩んでいるような、中心が無くて困惑しているような、この感じ。
バルトが言っていた「中心─都市 空虚の中心」って、この事なんだー!と今ごろ気づいたりする。
たまたま何じゃないの?。
『シン・ゴジラ』には「この状況で外で打ち合わせですか?」みたいな場面が出てきますが、あの場所の歴史は、その空虚の中心と密接な繋がりがあったりするので、庵野秀明監督は確信してると思う。ゴジラの動きの原型をあの芸能に求めたのも納得。
本多猪四郎監督『サンダ対ガイラ』が海彦山彦の話なら『ゴジラ』は空虚の中心(天照大神)とゴジラ(須佐之男命)の話であり、帝が住む都市の話だ。
戦前の日本では神話は現実の世界だった。
作っている人達の趣味を出しているようでいて、帝が住む都市、東京を象徴する存在が重要な役割で出てきてメチャクチャおもろいわー。



posted by 永島大輔 04:59comments(0)trackbacks(0)pookmark





アイヒマン・ショー

ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督『アイヒマン・ショー 歴史を写した男たち』はマルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』と組み合わせてみたくなる映画でした。
この二つの作品に共通しているのは、ユダヤ人を強制収容所に送る重要な役割を果たした、アドルフ・アイヒマンをナチスという肩書きを抜きにして『何故、人間が人間に対してこんなに残虐な事ができるのか?』人間の行動そのものに迫っていった所です。
映画の中に、その発端となる事が出てくるけれど、現在の日本の姿と怖いくらい重なるものがあって寒気がした。

『アイヒマン・ショー』は強制収容所を生き延びた人達の証言に向かい合う事で、アイヒマンがどういう反応(表情)をするのか、彼が心を持った人間である事を証明するために、記録映画の監督レオ・フルヴィッツは、身体の仕草の細かい所まで記録していく。
民族や思想の枠を越えて、人間として記録していく姿をみていたらレオ・フルヴィッツ監督の映画がみたくなりました。

当時の記録映画と現在の俳優達が演じた劇映画がたくみに編集されて、実際の裁判『アイヒマン・ショー』を同時代にみているような感覚になります。
「この状況を撮影できるのってナチス側の人間だよなー」という記録映画が出てくるのですが、それが、編集と音入れによってナチスを糾弾する映画に生まれ変わっている。
いい事だとは思うのですが、編集次第で話の内容が変わるし、過去の映画と繋がっているように思えるし、映画とは胡散臭い代物だなぁー。
そこが好きなんだけど。
しかし、あの感動的なラストで何でこんな事を考えなければならないのか…。






posted by 永島大輔 19:00comments(0)trackbacks(0)pookmark





断食芸人 足立正生監督

のほほ〜んと散歩するにはぴったりの商店街のアーケードが舞台の足立正生監督『断食芸人』。
その、のほほ〜んとした日常を破壊する野性的な映画で、生まれた頃には街頭演劇もパプニングもストリーキングもいなくて思い出話的にいくつか聞いた事があるくらいなので、芸術と政治が結びついて闘争していた60年代を追体験できて刺激的でした。

政治と芸術が結びつく事には、いろんな意見があると思いますが、自分の親の世代が一億総懺悔の名の下に戦犯になっていて、本当の戦犯はのらりくらりと暮らしている不条理な国に生きていて心の葛藤を表現したら、芸術と政治が結びついてくると思います。

商店街に現れた『断食芸人』に関わる人達の姿を描く事で、自由と思える社会で飼い慣らさていく心をこれでいいのか?と挑発するように揺さぶり続ける。
社会の制度からはみ出してしまった存在に気づく事で、そこがどんな社会なのかみえてきたりする。
すべてが解決して平和になったように思えて、それはみえないように、心の目を塞がられているだけなのかもしれない。

映画館へでかけていくと、どこかで映画の世界と繋がっていると思えてくる。
『断食芸人』をみにきていた年配の女性はもしかしたら、若い頃は足立正生監督の映画とか好きで、いろんな運動をしていたのかもしれない…勝手に妄想しながら、桜井薬局セントラルホールの出口はそのまま商店街のアーケードへとつながっていた。
こんな感じの場所であの映画を撮影していたのね…そう思うと、何だか愉快な気分になってくるのでした。
posted by 永島大輔 21:25comments(0)trackbacks(0)pookmark





TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ   宮藤官九郎監督

数年に一度、心の周波数があうような、頭の中でラッパがなりそうな、座布団が一度に十枚とんできそうな、大当たりの映画に出会う事があって、宮藤官九郎監督『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』がまさにそれだった。
わーい、パチパチ(拍手)
いやーメッチャ楽しいわ。この映画!。
中学校の頃とか休み時間になると図書室に行っては地獄草紙をめくって地獄や鬼の姿にわくわくしてたけど、その地獄や鬼がロックと美少年と美少女とベタベタなギャグの嵐と一緒になって映画になるなんて夢のような組み合わせ。好きなものだらけじゃないか…。ハリウッドじゃこんなん絶対作れないな笑。
あのチープ(ここが重要!!)な地獄のセット、チリッチリな色彩、あつーい音楽は映画館のスクリーンとスピーカーじゃないと面白さが半減します。みるならいまだ。
大笑いしているうちに、隠し味のように効いてくる10代の純朴さ、そして、いくつになっても持ち続けている純粋さに、ちょっと、せつなくなってくるあたりがいいんだよね〜。
同級生に想いを寄せる姿にバナナを食べながら応援したくなってきた。
もう1回みたい。爆音上映熱烈希望!。


 

posted by 永島大輔 22:30comments(0)trackbacks(0)pookmark





孤独のススメ

僕にとってバッハのマタイ受難曲の『憐れみたまえ、わが神よ』はタルコフスキー監督『サクリファイス』が大きな山のように存在しているので、他の映画で使われると複雑な気持ちになるのですが、ディーデリク・エビンゲ監督(Diederik Ebbinge)『孤独のススメ(原題Matterhorn)』の『憐れみたまえ、わが神よ』は違った。
映画館の暗闇で響いた瞬間に心の世界へ誘われていった。
たぶん、ふだん聴く演奏と違うかと思われるんですが、これがとっても大切な伏線になっている。
こんな素敵な演奏を聴かされてしまうと、この監督さんって、どのくらい音の入れ方を気にする人なんだろー?なんて耳をすましているうちに映画にひきこまれていきました。
食器を動かす音からお菓子をかじる音、飲み込む、ゴックンというあの音まですべてが美しい、音の響き。これが静かで落ち着いた画面と見事に調和しています。
例えならはじめて触れたのに手のひらや身体にとってもしっくりくるような感覚の食器や家具が家とひとつになっているあの感覚。
たんに音楽が美しいだけではなくて、演奏している楽器のひとつひとつ、音符のひとつひとつまで魅力的な映画はスチュアート・マードック監督『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』以来かも。

『孤独のススメ』あたりまえだと思っていた存在を失う事でみえてくるもの。
社会全体からみれば少数派の人達が、なんの根拠もなく差別や偏見が原因で不幸になった人達の姿、自分の本来の人生をみつけた人達の心の動きを代弁している音と音。
その音と映像の組み合わせは映画でなければ表現できない、得られない感動を贈ってくれました。ハラショー!。
映画をみてきて本当、よかったなー。

posted by 永島大輔 14:29comments(0)trackbacks(0)pookmark





大地を受け継ぐ 井上淳一監督

井上淳一監督『大地を受け継ぐ』をみてきました。
はじめて行った仙台市の桜井薬局セントラルホールは昔の映画館みたいで懐かしさを感じる所でロビーのソファーがゴロ寝に最適…。

原発の話はエネルギーの話になりがちだけれど、根っこにあるのは戦前の軍国主義、戦後の水俣病や三里塚闘争、薬害問題…とおなじ物だったりする。
これからもおなじような出来事は何度も繰り返される。
少しでも防ぐ事が出来るとしたら、その出来事の真実を語り継ぐ事だと思う。

福島のお百姓さん、樽川和也さんの言葉は淀みなくひとつひとつが、いま日本で起きている真実を表している。
お百姓さんの家は広いとは思うけど、あの人数がいても閉塞感を感じさせないのは語りかける相手が1人ではなくて、年下の複数の人に語りかける意識を作り出した監督の演出と自分の話を親身に聞いてくれる人達がいるという信頼関係にある。
このあたりは記録映画と劇映画の演出の違いの面白さだと思う。

派手な場面もなければ、細かいカット割りもない。
あるのは東電原発の事故で被害を受けた人達の話を聞いて書きとめられた真実の言葉。
聞き書き形式の記録映画の大切さを感じます。
戦争で悲惨な敗け方をしたのも原発が爆発したのも、人を騙して人の話を聞かなかった事が原因のひとつなのだから。
映画にはいろんな役割があるけれど、そのひとつは武器としての映画で『大地を受け継ぐ』にはそれを感じます。

閉塞感を感じさせないのは撮影(カメラ)の魅力にもあると思う。
「よくわからないけど、福島のお百姓さんに話を聞きに行く僕達、私達」はじめてカメラを持ちましたみたいな手持ちカメラから始まってるのに、途中からこんなに撮影がうまいのは何でー??。
スタッフがどんな人か忘れていて反省会を開きたくなりました笑。
撮影監督は鍋島淳裕氏だった。
井上淳一監督『戦争と一人の女』も好きだけど、ウェイン・ワン監督『女が眠る時』の不気味な映像も素敵!。

 
posted by 永島大輔 10:11comments(0)trackbacks(0)pookmark





キャロル トッド・ヘインズ監督

トッド・ヘインズ監督『キャロル』がベルトラン・ボネロ監督『SAINT LAURENT』とおなじくらい素敵な恋愛映画だった。
結婚して子供もいるのに、年下の女の子と恋愛しちゃうとか素敵なキャロル。アメリカの母、ここにありって感じ〜。ルーニー・マーラーがかぶってる帽子がかわいい。
1950年代のアメリカがどんなだったかよく知らないけど、白人が中心の男社会(女性の仕事の領域は限られていて、黒人の仕事は召使いとか)の雰囲気がよく出ていて、こんな狭苦しい社会で同性と恋愛するなんて大変だったろうなぁー。それにしてもキャロルの旦那がウザ過ぎるとか、いろんな事を思いながらみていて、儚い恋愛にあわせるような映像と音楽にやられて最後はボロボロ泣けてきたよ。
せっかく泣いていたのに、エンドクレジットのSUPER16个諒源に反応してしまい「え、もしかして、あの場面はSUPER16个濃ってるのかもー?」映画の感動をブチ壊すように興味津々になっていた。
この性格もう嫌…。
posted by 永島大輔 19:45comments(0)trackbacks(0)pookmark





ハッピーアワー 濱口竜介監督

濱口竜介監督『ハッピーアワー』は撮影の対象となる人から話を聞いて、大切な話、伝えたい話を残す、聞き書きの記録映画の面白さと、ふだんみている劇映画の境界線を自由に行き来する、映像表現の可能性を広げていく映画です。

映像表現の可能性と言ってもCGとか多様されているわけではなくて、画面の構図も編集もとっても素朴な作りです。(5時間17分という長さの映画に入り込みやすいようにしてるんだと思う)
素朴な作りにみえるけど、人から話を聞き出して、大切な話、伝えたい話を演技経験のない人達に演じてもらう、再現してもらうという刺激的な場面の連続だった。
映画の前半の何気ない台詞のひとつ、ひとつがとっても裏づけを感じさせて、目配せや仕草のひとつ、ひとつが後半の重要な伏線になっていたりする。
映画の冒頭はどこかぎこちないけれど、映画の中を女性達が自由に歩き始めた頃には濱口竜介監督の演出の魅力に吸い込まれていく。
そこには映画の中の人達の人生(時間)を観客も共有するという稀な体験がありました。
 
オマケ 『ハッピーアワー』に赤ちゃんがみにきていた。
この赤ちゃんがすごい。5時間17分という上映時間の間、泣く事もなくて数回「ふぇ〜んっ」と声をあげただけ。ウソーっ!。もしかして赤ちゃん、あなたは淀川長治さんの生まれ変わりなのでは…神戸が舞台の映画やしありえるぞー。20数年後に映画監督か映画評論家になって映画館にやって来ないかなぁ。
お待ちしています笑。



posted by 永島大輔 22:50comments(0)trackbacks(0)pookmark