そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark|
恥ずかしい事を書いてしまいますが、2015年の山形映画祭でパトリシオ・グスマン監督『真珠のボタン』をみるまでチリの歴史を知りません
でした。 そんな僕みたいな人にその時代に何が起きていたのか、わかるようにパトリシオ・グスマン監督『チリの闘い─武器なき民の闘争』は作られています。 ある国が独裁国家へと変貌していく。 現代の人達が過去を回想した記録映画や劇映画はみた事がありますが、その過程を同時代に記録した映画ははじめてみました。 都合の悪い真実は隠蔽される。 時の権力者に都合の悪い出来事は書き換えられてきた歴史を考えれば『チリの闘い─武器なき民の闘争』は奇跡そのもので、真実を記録する事の大切さがビシバシと伝わってくる記録映画です。 チリに住んでいる人達が理想的な社会を目指すために何をすべきか語る時の表情、仕草の豊かさ。生活するために身体を動かす人達の姿は動物の神様が降りてきたような華麗なダンスだった。 その力強さをみているうちに、4時間30分はまたたくまに過ぎていく。 半世紀も前。 異国の人達の姿がついこの前、旅先で出会った人達のように親しく懐かしく思えてくる。 こう思えてくるという事は、ものすごい複雑な編集と音の入れ方をしていると思う。 親しく懐かしく思えば思うほど、頭の中に思い浮かぶのは『真珠のボタン』で描かれた独裁国家になった国でこの人達が辿る運命。 映画が終わった瞬間に訪れる、人間がこの世から消されてしまう怖さ。喪失感。吐き気がするほどの恐ろしさ。 国と国との争いに翻弄された人達の姿をみていたら『真珠のボタン』が何故、国境を越えて人類共通の精神世界に踏み込んでいったのかわかったような気がしました…。
アメリカのノア・バームバック監督は深刻な問題を正面から扱っているけど、どこをとっても写真集になりそうな映像のかっこよさ。何故か笑わずにはいられない演出の絶妙さ。
笑っているうちに本当に大切な事を教えてくれる素敵な監督です。 『イカとクジラ』『フランシス・ハ』もよかったけど、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』こんなに化けると思わなかった。 ひとりの監督の作品をみ続けてきてよかったと思える作品です。 なかなか映画を完成させる事ができない記録映画の監督ジョシュ(森達也監督『FAKE』をみたら激怒するタイプ笑)が自分よりずっと年下の世代と出会う事で、いろんな発見や刺激を受けていく姿。 同世代の所帯じみていく価値観に対する抵抗感。そのくせ身体は歳をとっていく。 なんかもー、実際、年下の人達と楽しい思いをしてきたおかげか、この大人になりきれない大人達の姿は他人事とは思えないリアルさ。 中2病には国境はないとはよく言ったもんだなぁ…。 映画の中で主人公が映画監督というのはよくあるけど、記録映画の監督はあまりないような気がする。「ええっ?。ノア・バームバック監督って、そんなに記録映画の事が好きだったんですか!?」なんか「好きな○○くんと、おなじバンドが好きだった。やったぜ!」な素敵な展開になるぞ。 そういえばノア・バームバック監督の人物のとらえ方はフレデリック・ワイズマン監督の観察映画みたいな面白さがあるなー。 ベン・スティラーとはいえば監督もされていて『ヤング・アダルト・ニューヨーク』は『リアリティ・バイツ』を思い出させてくれる…と書きたいところなんですが、ヒラリー・クリントンとデートする日が来たらぜひ一緒にみたい『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』がとっても最高です!。
人間なら誰にもでも間違いがあるけど、その間違いを本題から離れた所から非難している状況を面白がっているうちに、その事が自分達にも降りかかり、いつの間にか自由に発言できない社会へと歩む事になっていた。たとえば、鋭い発言をする人達がひとりずつ姿を消していく。どこかでみたことのある出来事がアメリカのブッシュ政権の時にもおきていた。
ジェームズ・ヴァンダービルト監督『ニュースの真相』はそれを題材にした作品です。 問題とされている事が本当に起きていたのか?というより、間違いをおかした事やその人の思想を洗い出して糾弾していく。 ほとんど魔女狩りみたいな状況は先日みたジェイ・ローチ監督『トランボ』で描かれた1960年代の赤狩りに近い物を感じます。 不思議なもので時代や国が違っていても人はおなじような行動をします。 「魔女狩りみたいな」と書きましたが、いまから90年くらい前に作られたカール・テホ・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』(1927年)という魔女狩りその物を描いた作品があります。 社会的な弱者にとっては聖女であるジャンヌ・ダルクは教会の人達にとっては魔女であり、異端視されるのですが、その視線がとても怖い。 『ニュースの真相』の重厚で不気味な場面に出てくる人達の視線とケイト・ブランシェットが演じる報道番組のプロデューサーの姿はまさにそれ。 味方となる人がほとんどいない場所で、挫けそうになりながらも真実を訴えて追求していく姿。動きの少ない映画だけれど、その迫力と緊張感はものすごいものがありました。 真実を追求していくのは、時によってはとても難しい事があります。 それでも真実を追求していく大切さを教えてくれて、黒澤明監督『悪い奴ほどよく眠る』のあの、映画をみおえた時の血が騒ぐ感覚で再びやってくる作品です。 こんな映画を作っちゃうアメリカの映画人ってかっこいい〜。
アニメーションは好きなのに、作画に対して自分でも嫌になるくらい好き嫌いがあるせいで、素直に楽しめなかったりする。
背景をどれだけ写実的に作った所で、人物線の輪郭とあわないとチグハグな印象を受けるし、音楽はよくても、絵の動きと音楽のバランスがとれていなかったりすると、もう全然のれなくて悲しい思いをしたりする。 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督『レッドタートル ある島の物語』。 本当、こういう作品がみたかったんだよーと涙がこぼれてきました。 嵐の海。 大波に弾かれる雨の美しさ。 人間の文明がいっさい存在しない怖さ。 それが絵画と音で表現されている。これが、すごい。 時間の経過と心理描写にあわせて変化する色彩。 遠景で人間が歩く場面の足音。砂浜から岩場へとまたいだ瞬間から、足音の音質が微妙に変わる。 冒頭の数分でこの作品のとりこになった。 無人島に漂流した男に訪れた絶対的な孤独が生みだしたユートピアを描いた『レッドタートル』。こわいくらい冷静に人間を観察した人が作りだせるものだと思う。
ウーニー・ルコント監督『めぐりあう日』。
母親になる事に戸惑う2人の女性。 妻の大切な変化に気づかない夫。(いくらなんでも鈍感すぎでは…という気もする笑) 転校先で友達をみつけ、成長していく子供、大人へはむかう姿。 ジャン=リュック・ゴダール監督、レオス・カラックス監督達の映画を撮影してきた、カロリーヌ・シャンプティエの、はかなく美しい映像に写し出された人間の生々しい姿には何度も鳥肌がたった。 ウーニー・ルコント監督が韓国に住んでいたのは短い期間だったようですが、前も何度か書いた事がありますが、韓国の人達が描く人情の世界は感覚的にとても近い物を感じます。 日本でいう所の世話物や因果応報的のあの感覚。 その感覚と、人をありのままに見守る西洋の写実的な視点。 異なる文化圏が融合する事で生まれたとても美しい映画です。 冒頭に「母親になる事に戸惑う2人の女性」と書きましたが、映画の中で少しづつ母親になっていくんだけど、それは、「男なんてこんなもんだよなー!」女性が男に見切りをつけていく姿だったりする。これは怖い笑。
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|