そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark|
庵野秀明監督『シン・ゴジラ』は本多猪四郎監督『ゴジラ』に対する尊敬の念が溢れた映画でした。なんか泣けてきた。
CGの場面にたくみに織りまぜられた、ミニチュアの場面が醸し出す空間の繊細な美しさは日本映画の大切な宝物だと思う。 本多猪四郎監督と円谷英二監督が現在も活躍されていたら、こういうゴジラを作っていたような気さえしてきます。 初代ゴジラは戦災からようやく復興した東京が再び焦土と化すという第二次世界大戦の記憶を呼び覚ますものであり、その緊急事態に国がどう対応するかという、当時の社会状況を反映させた内容でした。 映画をみるのは大好きだけれど、3.11から5年が過ぎても津波の場面をみると怖くなる事を考えると、『ゴジラ』を昭和29年封切りの時にみた人達の中には、空襲を想起させる場面にはおなじような怖さを感じた人がいるのではないでしょうか?。 歌舞伎に受け継がれてきた見せ場があるように、『シン・ゴジラ』には初代ゴジラのあの見せ場を受け継ぎ、しかも盛りだくさんでみせてくれます。 なんというか、寿司屋で好きなネタをたらふく食べさせてもらっているような幸せな状態。 ゴジラが関東に、東京に上陸する事の意味。 僕が東京にいた頃、今よりもお金が無かったので、お金がかからない散歩をよくしていました。 ロラン・バルト著『表徴の帝国』や藤森照信著『建築探偵の冒険・東京篇』をガイドブックにして、あっちへフラフラこっちへフラフラ。 昭和の雰囲気を感じさせる物件をみているうちに、敗戦から東京をどう復興させていったのか、そこに誰のどんな思惑があったのか肌や空間で感じとる事ができました。 本多猪四郎監督『ゴジラ』には、東京全土を破壊する勢いのゴジラが襲撃しない空間があって、庵野秀明監督『シン・ゴジラ』にもその空間が存在します。 なんでしょう?。 ゴジラは荒ぶる神のようでいて、中心に近づくか悩んでいるような、中心が無くて困惑しているような、この感じ。 バルトが言っていた「中心─都市 空虚の中心」って、この事なんだー!と今ごろ気づいたりする。 たまたま何じゃないの?。 『シン・ゴジラ』には「この状況で外で打ち合わせですか?」みたいな場面が出てきますが、あの場所の歴史は、その空虚の中心と密接な繋がりがあったりするので、庵野秀明監督は確信してると思う。ゴジラの動きの原型をあの芸能に求めたのも納得。 本多猪四郎監督『サンダ対ガイラ』が海彦山彦の話なら『ゴジラ』は空虚の中心(天照大神)とゴジラ(須佐之男命)の話であり、帝が住む都市の話だ。 戦前の日本では神話は現実の世界だった。 作っている人達の趣味を出しているようでいて、帝が住む都市、東京を象徴する存在が重要な役割で出てきてメチャクチャおもろいわー。
ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督『アイヒマン・ショー 歴史を写した男たち』はマルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』と組み合わせてみたくなる映画でした。
この二つの作品に共通しているのは、ユダヤ人を強制収容所に送る重要な役割を果たした、アドルフ・アイヒマンをナチスという肩書きを抜きにして『何故、人間が人間に対してこんなに残虐な事ができるのか?』人間の行動そのものに迫っていった所です。 映画の中に、その発端となる事が出てくるけれど、現在の日本の姿と怖いくらい重なるものがあって寒気がした。 『アイヒマン・ショー』は強制収容所を生き延びた人達の証言に向かい合う事で、アイヒマンがどういう反応(表情)をするのか、彼が心を持った人間である事を証明するために、記録映画の監督レオ・フルヴィッツは、身体の仕草の細かい所まで記録していく。 民族や思想の枠を越えて、人間として記録していく姿をみていたらレオ・フルヴィッツ監督の映画がみたくなりました。 当時の記録映画と現在の俳優達が演じた劇映画がたくみに編集されて、実際の裁判『アイヒマン・ショー』を同時代にみているような感覚になります。 「この状況を撮影できるのってナチス側の人間だよなー」という記録映画が出てくるのですが、それが、編集と音入れによってナチスを糾弾する映画に生まれ変わっている。 いい事だとは思うのですが、編集次第で話の内容が変わるし、過去の映画と繋がっているように思えるし、映画とは胡散臭い代物だなぁー。 そこが好きなんだけど。 しかし、あの感動的なラストで何でこんな事を考えなければならないのか…。
のほほ〜んと散歩するにはぴったりの商店街のアーケードが舞台の足立正生監督『断食芸人』。
その、のほほ〜んとした日常を破壊する野性的な映画で、生まれた頃には街頭演劇もパプニングもストリーキングもいなくて思い出話的にいくつか聞いた事があるくらいなので、芸術と政治が結びついて闘争していた60年代を追体験できて刺激的でした。 政治と芸術が結びつく事には、いろんな意見があると思いますが、自分の親の世代が一億総懺悔の名の下に戦犯になっていて、本当の戦犯はのらりくらりと暮らしている不条理な国に生きていて心の葛藤を表現したら、芸術と政治が結びついてくると思います。 商店街に現れた『断食芸人』に関わる人達の姿を描く事で、自由と思える社会で飼い慣らさていく心をこれでいいのか?と挑発するように揺さぶり続ける。 社会の制度からはみ出してしまった存在に気づく事で、そこがどんな社会なのかみえてきたりする。 すべてが解決して平和になったように思えて、それはみえないように、心の目を塞がられているだけなのかもしれない。 映画館へでかけていくと、どこかで映画の世界と繋がっていると思えてくる。 『断食芸人』をみにきていた年配の女性はもしかしたら、若い頃は足立正生監督の映画とか好きで、いろんな運動をしていたのかもしれない…勝手に妄想しながら、桜井薬局セントラルホールの出口はそのまま商店街のアーケードへとつながっていた。 こんな感じの場所であの映画を撮影していたのね…そう思うと、何だか愉快な気分になってくるのでした。
数年に一度、心の周波数があうような、頭の中でラッパがなりそうな、座布団が一度に十枚とんできそうな、大当たりの映画に出会う事があって、宮藤官九郎監督『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』がまさにそれだった。
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|