そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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「仙台で先に上映してるのに、山形に来るまで待ってるなんて無理だーッ!」そんなわけで内藤瑛亮監督『ライチ☆光クラブ』みてきました。
いままでいろんな場所で映画をみてきましたが、満席の映画館で男が僕だけというのは、はじめてでした。ま、負けないからな!。 ふだんみている映画と異質な感じがするのはは、もととなっている原作の漫画と、そのもとになっている舞台の感覚をとっても大切にしているからだと思う。他の映画に比べて異質に感じる編集や見せ場は、舞台の場面転換を感じさせるもので、この監督さんは本当、原作を大切にする方だと思いました。 みえない制約があちこちありそうな日本映画で『ライチ☆光クラブ』を作るのは大変だと思う。 良識ある大人がみたら眉をしかめる映画かもしれませんが、この話の根底にあるのは、独裁者の命令に疑問を持たない、思考停止した人間の怖さだったりする。 高校生の頃、東京グランギニョルの存在は知っていても、東京にみにいくお金がなくて、写真をみて想像するしかなかったので、舞台の最前列、あるいは舞台上でみているようなあの感覚は、やっとあの世界観に出会うことができた〜と嬉しくなりました。 閉鎖的な空間で繰り広げられる惨劇。メガネ男子に制服の魅力(この制服が身体の輪郭を感じさせるようにできていて、服を着てるのにやたらと色っぽい)。 エログロ、血飛沫、眼帯、美少女と人造人間…中学生の頃からこんな内容の本ばかり読んでいたので、親が心配していたのもわかる気がする笑 。 そんな中学生の頃から好きな要素がたくさんあったので、同窓会でもしてるような気持ち。そうそうこの感じ!。なごむなー。 山形で上映される時はまたみに行くよーっ!。
新作の映画でヘルムート・バーガー、ドミニク・サンダに出会うだけでも、心がウキウキしっぱなしのベルトラン・ボネロ監督『SAINT LAURENT』は20代の頃に熱狂した映画の美の世界、香りが再びスクリーンに現れる、興奮の連続だった。
今も熱狂してるけど笑。 ルキーノ・ヴィスコンティ監督『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』の狂気と退廃の饗宴。『ベニスに死す』の鏡に写し出されたの老いてゆく自己を認識した、あの瞬間。 リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』のくすんだ夜景と『ルー・サロメ ─善悪の彼岸─』の狂気が表現された、あの身体能力…。 イヴ・サンローランの映画であると同時に、美の王国をつくりあげた映画人への供物のような映画です。 映像だけでも豪華なのに、イヴ・サンローランの衣裳の豪華絢爛さに圧倒。 そう、とっても、とっても豪華なんだけど、こんな変態映画作ってよく怒られないなー。サンローランの男の趣味がよーわからん…なんて失礼な事を考えていたら、フランソワ・オゾン監督の映画に出ていたあの人がとっても素敵な瞬間に出てくるじゃないですか!。 僕のためにありがとう。ごちそうさまでしたッ笑!!。
マルタン・プロヴォ監督『ヴィオレット─ある作家の肖像─』がいろいろと刺激的な作品でした。
自然光にしかみえないのに計算されつくした照明。薄暗い室内で人の顔が浮かびあがる場面。ひとつ、ひとつの場面が、絵画をみているような面白さ。 しかもその照明が自然光、季節ごとの太陽光と調和している。 映画をみはじめた高校生の頃、内容が理解できているのかよくわからないまま、日本とは違ったフランス映画やイタリア映画の光にはまっていったものでした。 絵画の歴史が異なると映像表現にも影響してくるんですね。絵画的に美しいだけじゃなくて、「人間が動物を食うというのは、こういう事です!ドン!」。日本映画じゃあり得ない描写が素敵。 そして映画をみながら世間知らずを痛感。 フランスで女性が自由に思想を展開できるようになったのは、つい最近になってからだったなんて知らなかった。 フランスには男だけどバタイユみたいな人がたくさんいると思っていたので、えーっ、こんな事で冷たくされるんですか?みたいな笑。 あと、『ヴィオレット─ある作家の肖像─』の面白さは、母と娘の愛憎の凄さ。 自分が歳をとったらこんな女になるという嫌悪感と母親という存在から逃れられない、あの嫌ーな感じ。 映画の中で女優さんが少しずつ老いていくんだけど、美しく歳を重ねるなんてものじゃなくて、老いと死への恐怖が漂っている所がいいなー。 あと予告でみた『キャロル』。ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラーの組み合わせにどんぶり飯がすすみそ〜♪。
昨年の今頃、東北芸術工科大学の映像学科の卒業制作の上映会に勝手にフラフラとでかけて行って、感想を好き勝手に書いてから1年。
またでかけてきました。 なんでまたでかけたくなるんだろう?と、いろいろ思い出したら、昔、国分寺の百町森とかに学生さんの上映会をみに行っていたので、こういう雰囲気が懐かしいんだと思う。 大森健太郎監督『ALL MY CINEMA』に秘められた狂気と凶暴さ。 映画が人生を狂わせていくようにみえて、人生が映画によって救済されていく可能性を秘めていて、映画が持つ原始的な力強さを感じさせてくれます。 僕も何度か大変な事があったけど、「この状況ってあの映画のあの状況だよなー」って思ったら、その状況を抜け出すヒントがみつかって、映画に救済された事がある。 この狂気と凶暴さがこれからどう化けていくのか楽しみです。 岩崎駿也監督『バス停は進む』。 不条理でおかしくて、どこかあたたかい。 お盆に田舎の親戚の家でおじさんやおばさん達が話してくれるホラ話にケラケラと笑い転げるあの感覚。 ホラ話の中にふだんは言う事のできない思いが込められているように、『バス停は進む』には田舎特有の不条理さがあるような気がする。 嫌と言うほどそれをみてきたせいか、なんかわかるわー。あの感覚。 葛原学監督『車中泊団地』。 2011.3.11を境に、はっきりと認識した大切な存在(人、場所)や記憶を集めて詩に変えていくような作品です。 主人公が置かれている立場とか、自分自身の経験と重ねていると思うんだけど、その状況を少し離れた位置から客観視できている。 とても繊細な人だけど強い所もある人です。 冒頭の光から被写界深度の浅さとか、朝の空気感とか、映像表現の隙間が集められていて心地いい。 マリオネットのパッチくんに会ってみたいなぁー。あの手のふりふりがかわいい。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督『雪の轍』。
支配されているわけでもないのに、その土地から逃げることができない人達が繰り広げる会話は教養に満ちている反面、怠惰と空虚がつきまとう。 親の世代から街中に影響を与え続ける家庭なのに、たえずよそ者で、共感できる相手は冬になると、ぱったりと来なくなる旅人だけだった。 世間一般の良識や善意といった概念が静かに徹底的に破壊されていく展開の物凄さは快感に近いものがあります。 例えるならベルイマン監督の人間の心理、行動を細部まで冷徹に解剖する、あの視線の怖さと、ロシア映画の広大さに同時にひたるような3時間16分でとても贅沢な時間だった。
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