そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark|
ドイツ映画の心の奥底から組み立てられた演技と、その演技を生態を観察するような、分析するような視点でとらえたカメラが好き。
ふだんはみる機会が少ないのですが、短期間に3本続けてみることができそうです。 このまえエドワード・ベルガー監督『ぼくらの家路』をみてきました。 人間の幼少期は対人関係や環境が人格形成に大きな影響を与えると思う。 『ぼくらの家路』に出てくる子供達の、いっけん突拍子もない言動や行動の原因にはおそらくこんな経験がある。 多くを語らないけれど、きちんとした裏付けがカメラを通じて伝わってきます。裏付けの厚みが映画をみてるとノートに人物設定を書き出したくなるくらいすごい。 10歳の人を主人公にして、こんなに複雑な心理描写ができるなんてすごいな。 とっても大切なことを一瞬、忘れる場面があるのですが、それがすごいリアル!。 問題を一人で抱えるには、小さすぎる存在であることや、この兄弟が置かれた環境の酷さを象徴してます。 どうやって演出したらこんなことになるんだろう?。 あっけにとられているうちに終わっていた…。 このあとは『ふたつの名前を持つ少年』『あの日のように抱きしめて』と続くよ〜。
ダヴィド・オールホッフェン監督『涙するまで、生きる』。
辺境の地の映画。 荒野はいろんな事を語りかけてくれる。 そういえば、アレクサンドル・ソクーロフ監督『ファウスト』の荒野もいろんな事を語りかけてくれる。 まわりに荒野しかないから、そこに住んでいる人間が中央(都市)でどんな影響を受けてきたのか、思想、国策の違いが海でいくつかの海流が出会うように浮きあがってくる。 飢えのために人を殺した容疑者を町へ連れていくあいだに、出会うのは平和のために人殺しをしている人達で勇ましい。 異なる文化圏、民族がお互いの気持ちを伝えあえるように言葉『フランス語』をアラブの子供たちに教える人は危険思想の持ち主とされる。 9.11から14年が過ぎて報復では紛争は解決しない、解決するどころか、負の連鎖で複雑化する事が証明された世界に住んでいると1954年を舞台にした『涙するまで、生きる』の、異なる民族が共存することへの願いは、とても近い、現在にも通じるものを感じます。 映画の中で言葉を教えてもらっていた子供たちが世界を動かせる年齢になったら、どんな世界になっているんだろう?なんて想像してしまいます。 『涙をするまで、生きる』やエーリック・ポッペ監督『おやすみなさいを言いたくて』のような映画に出会うと、テロについて話されている内容が色褪せてみえる時があるんだよねぇ…。
ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』にこれだけ引き寄せられてしまうのは、舞踏の魅力に似ているからかもしれない。
その昔、縁あってある舞踏家さんの公演の手伝いをしたことがある。 手伝いになっていたのかどうかは疑問だけれど、公演のあいま、暗黒舞踏や天井桟敷に関わった方達に、土方巽さんや寺山修司さんの思い出話を聞くことができて、土方巽さんが大切にしていた暗黒をほんの少しだけど感じることができた。 ──照明にも命があります。消す時はポウッと消しましょう。 舞踏家さんがあるダンスの源を教えてくれた。 子供の頃、日本が戦争に敗けて引き揚げてきた時に汽車からみた風景。 日本へ帰ってくることができた喜び。 その時の食事のこと…。 引き揚げてきた時の記憶が音楽と照明と舞踏でひとつになった時、いくつもの歳月を過ごしてきた舞踏家は一瞬にして当時の子供になっていった。 前置きが長くなってしまったけれど、ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』の映画が動く写真であることへ抗うように蠢く人々、囁き声、絵画のような画面構成、魂の宿った照明、暗黒は舞踏の魅力へと繋がっていく。 舞踏に過去の記憶が込められているように『ホース・マネー』にも過去の記憶が込められている。 ヴェントーラは現在の時間を生きていると同時に革命の頃の年齢を生きている。 彼が現在、どの時間にいるのか周辺に存在する人々から推察していくしかない。 推察していくなかでみえてくるのは、人々を救済するはずの革命への絶望と忘却したい思い。 映画の静寂さはヴェントーラが閉じ込められた監獄そのものの精神病院を象徴しているのかもしれない。 涙をにじませながら囁く声は、アフリカからポルトガルへ出稼ぎにきた彼らが声をあげることができなかった時代を象徴しているのかもしれない。 自分の意思を伝えることのできない、自由を奪われた人々の歴史を、声の言葉だけではなく、身体の動き(身体言語)や暗黒で記録しているので、他の映画とは異質の映像表現、記録映画の概念から遠く離れた映画にみえるかもしれないけれど、『ホース・マネー』の力強さの根底にあるのは、ヴェントーラ達との会話と信頼関係、共同作業からうまれたもので、その方法論は記録映画そのもので、表現方法は違ってもロバート・フラハティ監督『極北のナヌーク』に通じるものがある。 カーネーション革命は春だけれど、『ホース・マネー』はある台詞で革命を詩の美しさをもって否定する。 その台詞が気になってペドロ・コスタ監督にたずねてみたら、台詞(言葉)のなりたちを説明された後に「あなたがそこに気づいてくれて嬉しい」と言っていただけた。 ペドロ・コスタ監督にこんな事を言ってもらえるなんて、ものすごく嬉しい。映画バカでよかったよ…(;_;)
いまごろなんですが、佐藤嗣麻子監督『アンフェア the end』をみてきました。
僕がふだんみている映画のほとんどは洋画になってしまいます。
そんな僕にどんな現象が起きているかというと、邦画の演出、台詞、言い回しに違和感を感じることがあって、映画の世界にはいりこめない時があります。なんか芝居くさいだもん。
佐藤嗣麻子監督の演出は違った。
浮世離れしているのに、かっこいい、ストンと頭の中に入ってくる、台詞。
徹底的に裏をとってる確かさが伝わる、どっしりした設定。とってもアナーキーな世界観なのにとってもリアル。
あと佐藤嗣麻子監督の映画の魅力は小道具や服装のセンスのよさ。
『アンフェア the end 』の電球の傘や隠れ家の棚とか、ダッフルコートの質感とか、ひとつひとつみていて飽きないです。
組織のために平気で嘘をつく人間や、風見鶏のように態度をコロコロと変える男社会のあの嫌〜な感じ。
あの嫌〜な男社会に、真実を探して女一人で立ち向かっていく雪平の姿がめちゃくちゃカッコいい!。めちゃくちゃスッキリしたっ!。
雪平を騙そうとしていろんな男が近づいてくるけれど、いつの間にその魅力にひかれていっちゃうとか、逆ハーレム状態なのも素敵よね〜っ。雪平様にバカと言われたくなってきた!。
あとちょっと前の作品になるけど『K-20 怪人二十面相・伝』は佐藤嗣麻子監督の美学が宝石箱のようにぎっしりつまっていて、ワンシーンワンカットという物凄いアクションにレトロな感じの機械もあれば、子供が着てるセーターのモコモコ感がめちゃくちゃかわいい!。
そして、小林少年を本郷奏多さんが演じているあたりで座布団10枚あげたい笑。
懐かしさ。
優しい人に 出会った夜に 大切な人のことを重ねていたら 卑怯なことだと せめられた 半分の地下の部屋は 暖かいのに 寂しい 寂しいのは 彼が 涙を浮かべていたからです なにも わからなかった 涙の意味も 言葉の意味も 僕には それは 太陽がのぼる前に 部屋の隅 電気スタンドの根元に 沈んでしまったから やりなおせそうにない 月夜の煉瓦塀の坂道は いままで優しかったのに 知らないふりの 冷たい背中です いろんな事が心に 絡んでくる 不安の原因は よく陽のあたる家から ようやく出会えた 大切な人と 引き離された夜に始まります どんなに手を伸ばしても 届きそうにもない 星の隣にあるから どうにもならなくて 情けないままです あんなに すみきっていたのに ひどい言葉を あびせられて あっけなく 世界は濁っていく そりゃあ 僕にも 悪い所は あったけどさ 太陽と月をたくさん数えたら 濁りがとれる日が くるかもしれませんよ 嘘か本当か 気休めなのか よくわからないことを 枯葉の海で 云われてから 数えるのが面倒になるくらい それだけの 太陽と月が いれかわったよ 忘れた数の月の夜 友達の 笑顔と言葉は 5月の隠れ家で 僕に水をくれた人に 重なるものがありました 結局 僕は 卑怯者かもしれないけど 今度ばかりは やりなおせそうな 気がしてきたよ ずうっと 続くものだと思っていた 世界の濁りを とりはらってくれたのは なにものにも とらわれない 純度の高い 彼の 言葉です 忘れた数の月の夜 蛙が嫌いな 男の子の言葉に 僕は 助けられたよ
なんのあてもなく
確かなものもなく 城壁を越えたのは 生まれる前からの 友達が待っているから あの むこうがわに 顔もわからない 名前もわからない 彼がいるのは 橙の灯りがともる街 みんなに知られる事もなく 忘れさられた街を 路面電車が通っていきました 乗っているのは 星空の仮面の人ばかりだから 僕は不安になる ねぇ たとえば不安になっている僕がこの座席に座っているとしたら いまから到着する 駅にいる僕は 誰になると思う? 鞄に隠れている 彼は まだ 形にならなくて 真夜中の笛のように 話しかけてくれるから すこしだけ 安心できる 駅で看板を みあげる僕は しろく ぼんやり うすあおく ひかる 手紙に 城壁に置き忘れてきた それは わざと 城壁に置き忘れてきた 友達のことを思い浮かべていた
長いことJUGEMを開くことができなくてようやく開くことができました。
また再開しようかな
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|