そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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2013年大晦日「あと2〜3本みたら100本いけたのに、こんなんじゃダメだあぁッ!!」と反省!。
2014年せっせと映画館に通っているうちに大晦日。 なんとか125本みることができたのはいいんだけど、ものすごい勢いでお金が映画館の闇の世界に消えていったなぁ〜笑。 「みのがした映画もあるし、もうちょっとで130本いけたんじゃないか?…」なんて反省しているうちに、映画バカもいい加減にしろと云わんばかりに除夜の鐘がなりそう。 そんなわけで、2014年にみた好きな映画を10本選んでみました。旧作をいれるか悩んだんですが、新作でまとめてみました。 他の地域と山形では公開時期に間があるので、作品によっては2014年ではないかも…。ベストテンではないので順不同です。 【邦画】 私の男 そこのみにて光輝く 新世紀映画『彌勒 MIROKU』 あいときぼうのまち 楽隊のうさぎ 百瀬、こっちを向いて。 渇き。 2つ目の窓 イン・ザ・ヒーロー ある精肉店の話 【洋画】 悪童日記 インターステラー 遥かなる勝利へ リアリティのダンス それでも夜は明ける プリズナーズ ウォールフラワー 危険なプロット 私は生きていける オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ
戦争を描いた映画で時々出会う、違和感。
それは、本土で戦争が無くなってから、長い時間が流れて培われた現在の価値観、倫理観で描かれているからで、国をあげて殺人を奨励していた時代に、現在の倫理観で描いた所で、行った事のない国を想像で描いた映画の、あの違和感に似ている。 ヤーノシュ・サーシュ監督『悪童日記』は、この違和感を感じない。 きれいごとばっかり並べて、毒にも薬にもならない映画が嫌いでなので、みる人によっては、毒になりそうな、この映画が大好きになりました!。 映画が終わった瞬間、スキップして帰りたくなるくらい大好き!。主演を演じた双子くんの存在感が素敵です。このまんまバンドでも始めてくんないかしら〜♪。 双子くんが着ているコートやシャツのデザインも素敵。 戦時下なら、誰もがおちいりそうな「狂った倫理観」を双子の兄弟で、お涙頂戴の映画になどならなように、一切の同情をよせつけないように、徹底的に観察するように演出、撮影することで、人間にとって子供にとって『戦争のない環境』がいかに大切かを映画にしてみせます。 子供が周辺の人々から見て、どんなに奇異な異常な行動をしても、子供は社会(世界)と繋がっていて、そこにも原因があること、見落とされがちな原因を見事についていています。 この観察するような撮影をする人は誰だろう?と気になって調べてみたら、ミヒャエル・ハネケ監督『白いリボン』という、根拠のない思い込みがいかに危険かを、観察するように撮影した、撮影監督クリスティアン・ベルガーという人だったので、納得!。 山形市ではフォーラム山形で1/9(金)まで上映しています。強烈な映画がみたい!という人はぜひご覧ください。 真面目な文章とおちゃらけた文章が混在していて、非常に読みにくい感想だなぁ…笑。
今日はもんのすごい映画を観てきました!。
こどもシネマテーク&ワークショップで上映された、アミール・ナデリ監督『駆ける少年』(イラン/1986年/94分)は、イランイラク戦争の戦災孤児達を題材にしていて、大人と互角に渡りあっていく力、時には友達を出し抜いて生きてい力、とにかく、生きていくための、生き物の身体能力と感情が紅蓮の炎のように燃えあがる、エネルギーの塊のような映画です。 なにがもんのすごいかというと、現在の映画の多くは、危険な場面は俳優にカメラが寄っていって、転んでるようにみえるように映像を編集していると思うんですが、『駆ける少年』は「これでもか!」というくらい、引きのカメラ。 引きのカメラには、戦災孤児達がどんな社会に置かれているかのを象徴する、都市の風景が次々と現れる。 これだけでも、魅力的な映像なんだけど、生きていくための力が発揮される場面では「ひええーっ、こんな撮影をやってもいいんですかあっ!?Σ(@Д@)」の連続で『子供を題材にした映画』の概念がガラガラと崩れていく。 主人公のアミルくんは宮崎駿監督が描く少年を実写版みたいな少年で、槍を持ってギガントと対決できそう!!。 次回のこどもシネマテーク&ワークショップは、2015年2月8日(日)。会場は山形市のビックウィング大会議室で相米慎二監督『お引っ越し』と冨樫森監督『ごめん』が上映。上映後に冨樫森監督のトークショーがあります。
11月30日(日)いのちをつなぐmini映画祭in天栄村が福島県の天栄村の文化の森てんえいで開催されました。
天栄村に入ると。まわりは田んぼ、田んぼ…。 秋になると、あのメチャクチャうまい天栄米が、この田んぼ一面に実っているのかと想像するだけで、お腹が減ってきます。 田んぼの形はまっすぐではなくて、曲線を描いていて、農作業に機械が導入される前から、お百姓さんが何代にも渡って、この土地で稲作をしてきた時間を感じさせてくれます。 映画祭のはじめは、地元の子供達が映画祭スタッフの人達と作ったコマドリアニメーションの上映。 子供達と天栄村のりんご、ネギ(いい香り)、ヤーコンが活躍する映像。この子達がエミール・コール監督「カボチャ競走」を観たら楽しいと思う〜。 次に上映された纐纈あや監督「ある精肉店のはなし」。 飼育から屠殺、販売までされている一家を題材にしたドキュメンタリー映画が上映されました。 「屠殺」というと、何を思いうかべるでしょうか?。 この作品では、その思いうかべたことを、いい意味でひっくり返すようなことが記録されています。 ひとつの命を寿命がきてしまう前に頂いてしまうことの意味。 その命をほとんど手作業で、食卓へ届けられる形にしていく過程には礼節がこもっています。職人さんの肉をさばいていく技は料理好きには、ホレボレ〜。 こういう映像に出会うと、「屠殺なんて、残酷」と、家庭に肉が届く過程を無かった事にして、食べているだけのほうが、動物の存在を無視していて残酷なんじゃないの?と思ってしまいます。 屠殺に関わってきた人達の歴史が、作品の所々にしっかりと記されていて、お肉屋さん一家の表情、人柄にひきつけられるうちに、屠殺に関わってきた人達についてまわってきた、ある制度。 制度を必要とした人達について考えてしまいます。 上映後は纐纈あや監督と原村政樹監督のトークイベントが開催されました。 原村監督「天に栄える村」は、東電原発が爆発して「東日本には人が住めなくなるのではないか」とまで言われた、あの時、稲作地帯における放射能汚染から米をどう守るかという、人類史上初めての問題に取り組んだ、お百姓さん達の姿を記録した映画です。 その土地で先祖代々受け継いできた水田を守り抜くお百姓さん達の姿はとても力強い!!。 「天に栄える村」を観るのは2回目ですが、観るたびに物凄い熱量を感じさせてくれます。 両監督に共通するのは、報道では伝える事が少ない、そんな内容では誰も見てくれないと、報道では伝えない出来事を、どう伝えていくかという思いであふれていました。 ドキュメンタリーは撮影の対象となる人々にとって、一歩間違えれば迷惑となってしまう、その問題と、どう向き合っていくか?。 「24時間映画のことばっかり考えている」という両監督の話は刺激的で、あっという間に時間が過ぎていました。 いのちをつなぐmini映画祭in天栄村は、大きな家のような公民館で開催されていて、手作り感のある素敵な映画祭でした。 次回も是非参加したいです。
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