そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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物理学の知識が無くて、SF映画の歴史も知らないので、感想を書くのはドキドキなのですが、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の宇宙に独りだけになってしまった時の絶望的な孤独感。
人間が未知の領域に踏み込んでしまった時の感覚も音も遮断された世界で目覚めた、人間が知らない脳の機能…を映画を通して、感覚で体験してしまうと、宇宙を題材にした映画に出会うたびに、ついつい比べてしまい、「『2001年宇宙の旅』のような怖い映画を新作で観てみたいなぁー」と思っていたものでした。 クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』は、まさに「そうそう!こんな映画が観たかった!」と嬉しくなる映画でした。どこか荒唐無稽で、果てしなく大がかりで、一度観ただけでは何だったのかよくわからないけれど、いままで観た事のない映像と、人間の心を深く描いた映画。 マシュー・マコノヒー演じる父親としての強さと人間の弱い部分に泣けました。 わかりやすい映画が増えているのは気のせいなのかもしれませんが、いまの時代に、こんな映画が作られるなんて、奇跡に近いと思う。ただ、話の展開や編集を観ていると、本当はクリストファー・ノーラン監督は、3時間40分とか4時間の映画にしたかったんじゃないの?と思ってしまいます。そのうち完全版とか出したりして笑。 『インターステラー』を観ると『2001年宇宙の旅』のあの場面って、そういう事だったんだ〜!と発見できたりします。 スタンリー・キューブリック監督は半世紀、100年先をいってる人なのね。
キム・ギドク制作、脚本。イ・ジュヒョン監督「レッド・ファミリー」は、北朝鮮の工作員(スパイ)を題材にした映画です。
日本では韓国も一部の人々にやたらと敵対視されていて、北朝鮮になると、悪そのものという印象が強くなっていますが、そこに住んでいる人達は、実際、どんな思いでいるのでしょうか?。 「レッド・ファミリー」南(韓国)に工作員として送り込まれ、韓国の人達と交流を通して、体制にどこの国が敵であるのか、一方的に教え込まれる事の滑稽さに笑わされて、人間として一番大事なものが何であるのか、気づいていく工作員達の心の動きに泣かされます。 武力で変えられる事ができなくても、映画(芸術)の力で変えられる事があるかもしれないなんて思ってしまいます。 キム・ギドク監督「嘆きのピエタ」の某お店と裏路地が出てきてちょっと嬉しい。 こういう映画を観ていると、独裁者が「あの国は敵だ」と教え込むのと、敵だと言われている国で「あの国は敵だ」と報道するのは、やってることはおんなじなんじゃないの?という気がします。 お上の言う事を鵜呑みにすると、ろくな事がないのは、どこの国もおんなじなのね〜。
実は今日までジョン・フォード監督の映画を観た事がなくて、昨夜は「明日は、ジョンフォード監督の映画がやっと観れる〜\(^^)/」興奮の夜。
「駅馬車」は、パッと観れば、『先住民=悪者』だけれど、登場人物をよくよく観ていけば、ジョン・フォード監督はアメリカをどんなふうに観察して、観客に何を伝えたかったのか考えさせてくれます。 先住民に対する過剰、というか滑稽とも思える「恐れ」の感情。 何かと言えば、兵隊を必要とする人達。 他国へ乗り込んで、我が物顔にしては、現地、先住民の報復に怯えて軍隊を増やしていく事になるアメリカの姿が「駅馬車」には描かれていた。 駅馬車に同乗した人達の姿は、アメリカに住む人達が日々悩んでいる問題が凝縮されているようにも思えます。 もしかして、乗り物系のパニック映画で世相を封じ込める脚本って、「駅馬車」からきてるんでしょうか^^?。 現在の映画は危険な場面のほとんどはCGになってしまって、それに慣れていると「駅馬車」は、「人間って、こんなスタントをしても死なないもんなんだなー」びっくりの場面が連発!!。 移動撮影の映像の迫力と、スタントマンの姿に泣けた!!。 いやー、いくらなんでも、これ人形でしょう?と思ったら、ワンカットの中で動いて人間だとわかった時の驚きは忘れられません。
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