そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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エヴァ・イオネスコ監督「ヴィオレッタ」は、その題材から誤解を受けそうなんだけど、児童虐待について考えさせられる、ちゃんとした映画です。
イザペル・ユペール演じる母親の娘に対する羨望、過去の負の記憶からくる行動と、芸術にのめりこんでいく狂気のようなものと、それに束縛される子供の行動(演技)には、納得させられるものがあって、泣けてきちゃいました。 編集のリズムが、ものすごい、バッサリ、バッサリした感じなのは、当事者として、その過去を忘れたい衝動からくるものなのかもしれません…。 本編とは関係ないけど、映画のなかに懐かしいモグラが…笑。
暑い夜は まるい模様を描きながら
背中にうきあがる 彼の汗に いくつもの 月を宿らせていたから 声の 欠片が それは パズルのように 生まれゆく声と 壊れゆく声の区別が 僕には つかなかったから 月のいくつかを くすねて 八重桜での 待ち合わせの 合図を 考えることしか できなかった ことしは つながらない糸から ずいぶんになるはずで 海の記憶をたぐいよせる あの お香のゆくえを 探しあったときの 彼の汗の 月が 沈んでゆくよ
ジョシュア・オッペンハイマー監督「アクト・オブ・キリング」に一番、印象的なのは大量殺人を行った人達の人間臭さ、普通の人っぽさで、これは、前に観たマルガレーテ・フォン・トロッタ監督「ハンナ・アーレント」の「普通の人だったのに、与えられた業務を忠実でいたら、大量殺人を行っていた」という現象に通じるものがあります。
実際、起こしてしまった事や感情表現の違いにはあるけれど、どこの国の人にでも通じる部分。 「アクト・オブ・キリング」の構成を考えると、ある答えに気づくように、意図的にさらっとしか触れていない問題があるけれど、クーデターを企てて、大量殺人を行った軍隊を支援した西側の国と、そこに関係した国は、どこの国なのか?という問題があって、それは、インドネシアだけではなくて、現在のテロリストの問題を思い起こさせます。 実際にその人達が犯罪を犯したのかどうか、よくわからないまま「テロリストなんだから、殺されても仕方ないんじゃないの?」という、殺人という行為に関する感覚の麻痺の具合は、「アクト・オブ・キリング」に出てくる人達の姿に重なるものがあります。 「殺人者がその時の状況を演じる、加害者と被害者の立場が逆転する事によって、罪の意識に目覚める」という展開にも思えるんだけど、まぁ、映画好きには好都合な展開(笑)ですが、そう思えるように編集してるんじゃないの〜?と勘繰りたくなります。 編集次第でどうにでもなる映画って、胡散臭い芸術だなぁ〜(笑)。
好き嫌いが別れそうなんですが、ギャレス・エドワーズ監督「GOZILLA」は、大好きな映画になりました。
本多猪四郎監督「ゴジラ」の主題、人間関係や怪獣映画の伝説となったあの名場面の数々を思い浮かべるだけでも、ギャレス・エドワーズ監督が、初代ゴジラをどのくらい好きなのか、ガンガン伝わってきます。 怪獣と人間の絵の組み方の、平面な感じの構図や質感(微妙に画質が粗くなるあたり)の、合成してますぜ、お兄ちゃん的な特撮感が素敵ッ!!。ゴジラの着ぐるみ感がヤバい。 アキオくんが出てきた瞬間には「も、もしかして、この子の苗字は実相寺さんなのでは?(´д`)=3ハアハア」と興奮する始末…って、大丈夫なのかしら、こんなんで笑。 ところで、ハリウッド映画の娯楽映画では、核兵器はどんなふうに扱われてきたでしょうか?。 重厚な人間ドラマを撮る監督でも、都市の近郊で核兵器を爆発させます。 現在の核兵器なんて、広島、長崎に投下されたものより、はるかに破壊力がある事を考えたら、助かるわけがないだろうと思うんですが、そんな映画が出てくるハリウッド映画から、核兵器に対する負の印象を主題にした映画が出てくるのは、画期的な事だと思うなぁ〜。
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