そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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ケイト・ショートランド監督「さよなら、アドルフ」は、俳優さん達の複雑な演技が魅力です。
赤ん坊の表情まで演出してしまう徹底ぶりで、こんな表情をさせるとしたらカメラの横でこんな事をしてたのかなぁ…?なんて考えてしまいました。 他の映画だったら、あっさり泣けるだけになりそうなんですが、泣けるだけで終わらせないで、人間を人種でわける事、体制の言う事を鵜呑みにしてしまう事がどんな事なのか、深い所で気づかせてくれます。 映画の中で「ナチスがあんなひどい事を、するわけが無い。アメリカ軍のでっち上げ」なんて話が出てくるけど、不都合な真実は敵国のでっち上げ…人間って国や人種が違っても考える事は一緒。人種でわけるって、無意味よね笑。
山形の隣の仙台で「ファイアbyルブタン」を上映していて、行くか行かないか悩んで、悩むくらいなら行ってしまえと観に行ってきました。
映画の事しか考えてない笑。 ヌードショーというと、いろんな誤解を受けそうなのですが、「ファイアbyルブタン」におけるヌードショーは、神様がつくりあげた人体の筋肉の動き、人体の曲線の奇跡的な美しさと、大地からほんの少し浮かびあがる事を可能にした、靴との暗闇での、夢のような共演。 人間が人体の魅力にとりつかれ、いくつもの芸術が作られできました。 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体の素描に解剖図、そこには、原始的な感情を揺さぶる物があります。 はじめて観たダンスなのに、どこか懐かしい。「ファイアbyルブタン」のクレイジー・ホースのダンサーの魅力は、こんな所にあるのかもしれません。 芸術の根源はつきつめれば、神様との会話です。その会話の始まりはダンスにあると思います。映画好きには複雑ですが笑…。 太古の世界が暗闇に包まれた時に、世界を救済したのは、ある女性の裸のダンス、ヌードショーでした。 ヌードショーは、救世主なんですね笑。
お祭りがような派手なアメリカの映画もいいんですが、どちらかというと、地味で、その町にどんな人が住んでいるのか、感覚で伝わってくるアメリカの映画もいいもんです。
アレクサンダー・ペイン監督「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」に出てくる、かつて、住んでいた町に行く事の、懐かしさと居心地の悪さの絶妙なまざりぐあいや、親子関係は、どこの国も似たようなものなのね…と思ってしまいます。 過去を懐かしむどころか、豪快に罵倒するお母ちゃん(ジューン・スキッブ)が素敵。
「少年は残酷な弓を射る」の美少年でマザコンで、性格がヤバいという子供の頃に読んでた本に出てくるような、素敵な役柄がドンピシャのエズラ・ミラー様を観て、「この人なら、マレーネ・デートリッヒのコスプレをしてもOK !!」と思っていたら、スティーヴン・チョボスキー監督「ウォールフラワー」では、それに匹敵するようなコスプレをしていて、スクリーンにむかって、紙テープを投げたくなりました。なんて、素晴らしいキャスティングなんでしょう。生きていてよかった…。
「ウォールフラワー」観てると、遠く離れた場所で、いろいろ悩みを抱えている友達の事を思いだして、観せてあげたくなります。悩みの内容が、「その気持ち、スッゲー、わかるッ!」という事ばかり。 悩みの種は次から次へと出るけれど、時間や人との出会いで、いい方向へむかうこともあるのよね。 しかし、自分とおなじ年代の人の話より、高校生の映画に共感できるって…そんな大人にわたしはなりたい。
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