そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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キェシロフスキー監督「殺人に関する短いフィルム」で、個人による殺人と国家による殺人、死刑についての差異に考える機会を作ってくれて、チャップリン監督「殺人狂時代」は、個人の殺人は犯罪になるのに、戦争で人を殺せば、殺すほど英雄になっていく世界を批判した。
フリッツ・ラング監督「条理ある疑いの彼方に」は、「人が人を裁く難しさ」とかいった問題を通り越して、法律はそれに関わる人の思惑や損得勘定で揺らいでしまうもので、白か黒かなんて、情報で変わってしまうもの…鋭い眼差しで訴えてくる。 こんなに、刺激的な題材がてんこ盛りなのに、80分の尺におさめられるってすごいなぁ…。 ところで、本編とは関係ないんだけど、映画に出てくるバンドのドラムに「F」ってマークスがついてるんですけど、けっこう、お茶目なところもあるのかもしれない、フリッツ・ラング監督。
日本らしさとから、その国らしさみたいな感覚はそんなに好きでは無いけど、ステファヌ・ブリゼ監督「母の身終い」の母親像は、口数が少なくて黙々と働き続ける日本の母親像に通じるものがあって、フランス語を媒介としているのが、疑問になるくらい、身近な映画。
その役柄のための借りの住まいとは思えない整えられた家の中は、そこに長い間、暮らし続けていたと錯覚させる痕跡(映画の小道具、大道具)が、あちらこちらに存在していて、その、痕跡が、家族じゃないとわからない、あの不快感。 なんで、この人は、こんな仕草をして、こんな物の置き方をするんだろう?という、不快感と争いの種に結びついて、いくんだから、ステファヌ・ブリゼ監督の視線の細やかさはすごいものがあります。 主人公の母親が、多くの時間を割いてきた、家事の物音、音の記憶のいれ方。 こういうの好きなのよね〜。 りんごの皮をむいた時のザクザク感やパンにバターを塗った時の音とか、どんな音響さんが作ったのか気になる〜。 「母の身終い」は、日本では「ええっ、そんな施設が合法的にあるんですか?」とびっくり。 すごい静かな演出で、見えにくいかもしれないけど、その施設、制度の問題点を気づかせてくれます。 その選択を選んだ時の、その人の思考、判断は、病気の症状によるものではないのか?という所で、「母の身終い」の母親の病気の症状を考えると、あの選択は、その人の本来の考えなのか?と思ってしまいました。
ジム・ジャームッシュ監督「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」は、夜が好きで、廃墟が好きで、古道具が好きでなんて人には、楽園のような映画で〜す!。
陰影礼讚な映像に、気だるい音楽。この気合いの入った、だらけだらけ精神に、観てるこっちまで、椅子からずり落ちそうな姿勢になるのだった。 それにしても、マーラーやカフカとかは、わかるけど、どんな手伝い方をしたら、バスター・キートンなんだろ〜?笑。
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督「ハンナ・アーレント」は、映画の展開の都合もあるかもしれませんが、アイヒマンの裁判は、「結論ありき」の内容で、別に、アイヒマンでなくても、ナチスの関係者なら証言はどうでもいいから、死刑にしてしまえという空気が漂っているのが伝わってきます。
でも、その空気に流されてしまうと、事の本質が見えなくなっちゃうのよね。 流されることなく、本質を見抜いて、真実を訴えた、ハンナ・アーレントの姿はかっこいい!。 なんか、ミーハーなノリなんですが、実際、かっこいいんだから、仕方ない。 僕が観る映画はどちらかというと洋画が多くなるんだけど、洋画を観てると、逆に日本がどんな国か考える機会になります。洋画は戦争責任を明確にして、本質をついたりするんだけど、日本は戦争責任とかよくわからない国なのよね…。
手塚治虫先生「アドルフに告ぐ」はナチスがどうこうより、戦争に反対した日本人が日本人(特高)に命を狙われるという描写のほうが怖いけど、ニキータ・ミハルコフ監督「遥かなる勝利へ」も、ソ連の敵であるドイツよりも、ロシア人の味方であるはずのロシア人のほうが怖い映画だった…。
国や国民のために良いことだと思っていたのに、いつのまにか、歯車が壊れて、恐怖国家へとなっていく。うま〜い言葉に乗せられて、お国のために…なんて、思ってたら、棄てられるって、どこの国も同じようなものなのね。 英雄となった所で、お偉いさんの気分次第で、何もしなくても、いつ「犯罪者」になるのかわからない。 スターリンの独裁政権を批判した「遥かなる勝利へ」。キナ臭い方向へ向かう国に住んでると、過去の物語ではなくて、近未来の物語にも思えてくるから、怖い。 戦争は美化したら、敗北。何もかも破壊するだけ、「戦火のナージャ」では、世界が破壊されて「遥かなる勝利へ」の標的は人の心だった。 19年の歳月をかけて完成された「太陽に灼かれて」三部作、俳優さん達が映画の設定にあわせて、実際に歳を重ねている事で、生きながら亡霊にされた人々の「奪われた人生」そのものが、迫ってきて、観ていて、涙がとまらなかった…。
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