そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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川沿いの映画館が植物に変わる前
僕たちは 声を持たなかった ふだん 話する 声は持ち合わせていたけれど それは枕木の寝床にも およばないもので 何の手がかりにも ならなかった 野うさぎのような 髪の色をした彼は 左頬の痣から逃れるように 雑音まじりのラジオを聴きながら 遠くの友達の事や 遠くの時刻表に載らない 汽笛について 膝を抱えて教えてくれた 雑音まじりのラジオは 浄められた夜 遠くの友達にも 聴こえてるか 聴こえていないか 話してる僕たちは 探偵小説の行方不明を探っているみたい
山形の東口は珈琲を飲める店が何軒かありますが、西口にも素敵なカフェがありました。 USED CD / RECORD & CAFE RAF-RECさんは山形駅西口を背にして直進、徒歩5分くらい、中学校のお隣にあります。 お店の中にはCDやレコーダーが販売されています。 僕が知らないだけなのかもしれませんが、山形でなかなか、こういうお店に出会えなかったもので嬉しくなりました。 映画の事ばっかり考えてるので、どこに何があるのか、よくわからないもので笑。 今日は珈琲を頂いてきました。 ほんのり甘い香りの珈琲を飲みながら、オマケのお菓子をボリボリ食べながら、レコードの柔らかい音楽を聴きながらぼ〜っとしてきました。 映画館の近所にこういうカフェがあるっていいな。 お店に置いてあった、フィッシュマンズ大全を読んだおかげか、部屋に帰ると「宇宙 日本 世田谷」をかけていた…。 店長さんへ「カリフォルニア・ドールズ」のチラシを置かせいただいたり、写真を撮らせていただいたり、ありがとうございました。
金曜しねまてーく!VOL.5はジャック・ロジエ監督「オルエットの方へ」。
日記映画とか好きだったりすると、血が騒いでくる作り。 ついでに、16mmを35mmにブローアップとか、ますます血が騒いで鼻血が出そうになります(笑)。 大久保清朗先生も解説の時に話をされていましたが、映画で予測不可能な自然の雰囲気を出すのは、とても大変な事だと思います。 一時期、それを表現している映画にどっぷりはまっていたものでした。 日本の映画だと、大木裕之さんの「松前君の映画」「遊泳禁止」の光の純粋さと眼差しのいかがわしさとか、最高です。 鈴木志郎康さんの「風の積分」とか、なんぼでも空の映画を観る事ができるので、極楽です。 「オルエットの方へ」もまた、その季節、独特の高揚感、それが終わってしまう寂しさ、いたる所に「詩」が存在します。 人気のない海の寂しさ、農村のゆるやかな雰囲気。 時計は振り子は出るけれど、針も数字も出ないのに、光の気配で現在の時間がどのあたりとか伝わってきて時間が流れる事への感覚があふれてくる。 言葉にしたら、伝わらない言葉を次から次へと映像で表現されている。 物語自体は夏休みのOLさんがキャーキャー大騒ぎしてるだけなのに(40年前の騒ぎ方の世界共通感が楽しい)。 ダイエットは明日からッ!と食べては飲み、食べては飲みの繰り返し「映画に出てくる食い物は食えない」の諺が身にしみます。鰻が食いたい。 撮影がすごかった。 映画の中にヨットの場面が出てくるんですが、パッと思いつく映画の殆どは、カメラに水飛沫や波がかかっても、それを使っているけれど、「オルエットの方へ」は大人が4人も乗れば満員な狭いヨットの上で撮影して、ヨットが波でザブンザブン揺れてるのに、カメラに水飛沫がかからないッ!!。何でー!?。 浜辺を全力でカメラが駆けても揺れが少ないし、いったい誰がどんな風に撮影したのか、むちゃくちゃ気になる映画でした。
何も一度に「嘆きのピエタ」と「さよなら渓谷」上映しなくても〜と思う反面、濃い映画が並ぶと「わーい!」と喜んでしまうのだった。「おまえはどんな趣味しとんじゃ?」って言われそうですが、「こんな趣味でーす」としか言いようがない(笑)。
たまたまなのか、狙ったのかこの組み合わせ。 「嘆きのピエタ」の母親と名乗る女性と男の複雑な関係の後に、「さよなら渓谷」を観ると、超複雑な女性の心理が、「ありゃま、もしかして、そーいう事!?」とっつきやすくなるから、不思議です。 「さよなら渓谷」は罪を償っているうちに、被虐趣味が芽生えてきてるんじゃないの?という男と、一緒に暮らしていても、相手に対して、ひたすら憎悪が残り続ける女の、虐げた者と虐げれた者の関係性のすごさが魅力。 その関係性の微妙な変化の表現が、演出も役者さんも素敵なんですが、どっしりした撮影(夜景や海の場面、最高!)と、場面、場面にあわせた音の使い方、ある場面で、サーッと周囲の音がひいてく瞬間は、映画館で映画観てるんだ〜!って堪能できました。 主題歌が頭から離れないんですけど、どうしよう笑。
堀越二郎氏の実際の人柄はわからないけど、宮崎駿監督「風立ちぬ」では、ただ、ただ、大空を飛びたくて、飛行機を作り続けていて、軍は、ただ、ただ、戦争に勝ちたくて、飛行機の事を理解せず(さらっとしか出ませんが、かなり重要な場面だと思う)に、飛行機を作らせていたと描いている所を観ると、どこが、戦争賛辞なんだろう?。
「零戦出すと戦争賛辞」のように言われがちですが、戦争に利用されてたのは、飛行機だけだったわけではなくて、医学の勉強をしたくて、行ってみたら七三一部隊だった人もいたし、絵画や映画だって戦争に利用されていた。 当時の日本人がどこまで意識してたのか、わからないけど、戦争やりたくて、その道に進んだわけではなくて、純粋に好きな事をやってたら、たまたま戦争があって協力せざるをえなくなった人もいたはず。 「風立ちぬ」の根底にあるのは、純粋に好きな事をしてる人間と、戦争へと突き進む国との溝、戦争へ協力した事に対して、つきまとう、影のようなもので、大好きな研究に没頭してたら、原爆を開発するきっかけになってしまった人の気持ちって、こういう事なんだろうなぁ…と思うと、何故か泣けてきました。
予告の段階から気になって気になって仕方がなかった、キム・ギドク監督「嘆きのピエタ」が、冒頭から「キャー!」の連続で、えげつなーい映画好きには喜びの悲鳴がでまくり。
えげつないといっても、エログロ変態過ぎて、どこが社会諷刺なのかよくわからない 、グリーナウェイ監督にくらべたら、まだましよね。 何か物心つい頃には「四谷怪談」とか因果応報的な話が身近にあったからか、「嘆きのピエタ」の展開は、とてもしっくりくるものがあります。 ある日、突然やってきた、母親と名乗る女性。母親と安息の日を手にいれたかと、思えば、自分がしでかした罪からくる疑心暗鬼の日々だった。 この、疑心暗鬼が、すごーく静かなんだけど、「四谷怪談」の戸板返し状態で、映画的な面白さで、バッタン、バッタン迫ってくると、もっと、やってーッ!と心の中で叫びたくなりますわ。 極限状態に置かれた、人間の心の動きの複雑さもすごいけど、これらの原因のひとつに「都会が繁栄してるからといって、すべての人が豊かとは限らない」をあげて、植民地主義的な社会で、豊かに暮らす人、搾取されて、棄民となる人の姿を写した所がすごいと思う。
ふだんの休みといえば映画館に行くか、部屋で頂き物のソファーで珈琲を飲みながら、ぼ〜っとしてるかのどちらかなので、たまには違う事でもするか!と蔵王温泉に来ました。 ひさしぶりの蔵王はすごい霧。 電信柱の一本先が霞んで見えない、霧の中のをふらふら歩いて思い出すのは「ノスタルジア」「蜘蛛巣城」「霧の中の風景」「春にして君を想う」…映画館から離れても、映画バカはそのままだった。 露天風呂と、温泉街なのに秘湯気分に浸れる川原湯の温泉梯子をしたら、喉が乾いて、珈琲が飲みたくなって、音茶屋さん(@otochaya)にお邪魔してきました。 なんというか、かまくらに木材を運んで作ったような、手作り感あふれる店内で、写真の右奥の木に吊るされた蛙のぬいぐるみがかわいい。 真ん中の手を見てると無性に寺山修司様の「田園に死す」が観たくなるのよね〜。 注文したグァテマラは一口飲むとフワフワと口の中にとけていく感覚でおいしかったです。 青谷明日香さんという方の、ゆる〜いけど心にしみる音楽がかかるお店の中。 天井で、ぐるぐる廻る扇風機を見てたら気持ちよくて、ぼ〜っとしてたら、あっという間に1時間近く過ぎていた。 温泉の後に、こんな素敵なカフェでぼ〜っとするとか、いいな〜笑。
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