そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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『命をつなぐバイオリン Wunderkinder』(マルクス・O・ローゼンミュラー監督Markus O Rosenm ller)予告を観ただけで、何が起こるかわかってしまうのに、それでも泣かされてしまうのだった。
こういう作品に出会えると映画を観続けてよかったーと思います。 大人のいざこざに子供を巻き込むって嫌よねー。例えば気に入らない国の学校には補助金出さないとか、程度の差はあれ、時代や国が変わっても人間のやる事は同じという事が過去の出来事(過去とは言っても、現在にも影響してるけど)を題材にした映画を観るとつくづく感じます。 子供達の恋愛感情が芽生えるか 芽生えないからくらいの微妙な関係性とか、演奏場面の素敵さに、昔の少女マンガに出てきそうな、あんな男の子が学校にいたら楽しかったろうなーと楽しめる反面、ガツンとのしかかる現実が待っていた。やっぱり、この現実は忘れちゃいけないよね。 ドイツ映画とひとつにくくっていいのかわからないけど、ドイツ映画の演技の独特さ(いい意味での微妙なわかりにくさ)が好きで、音楽の先生の存在感とかいいなと思います。台詞に歳を感じさせる所がナイス脚本!(笑) ドイツ映画ではなくてフランス映画になるけど、子供が出てくる映画が好きな人はジャン・ルー・ユベール監督(Jean loup hubert)『フランスの友だち Apres la guerre 』もおすすめです。
価値観や社会の仕組みなんて、その時代によってコロコロ変わって、普遍性なんてないというか、ぶっちゃけ「いい加減なもの」なんだけど、そんないい加減な物にふりまわされてしまう人達の心を、丁寧になぞった、悲しいんだけど、じんわり暖かい気持ちになる映画です。
冒頭から主人公となる人が、その場所でどんな人間関係を築いているか、華やかさをもって映画の世界に誘ってくれるんだけど、映画はさらに、その華やかさが何によって成り立って、誰が犠牲になっているかまで、自然にすとんと頭の中に入るように教えてくれる。 本来の自分を隠して生きていく事がどんな事か、その「悲しさ」を本来の自分を現した時に、はっと気づかせる、残酷なくらいの映像と演技のうまさにホレボレ〜♪。 右も左もバカ男ばっかりで、男にうっぷんたまってる人には、スッキリするかもよ(笑)。
映画や小説、芸術から人生を知る事があって、何かの困難に出会った時には「この心境って、あの監督(作家)が「○○」で描いていた事だよな」と自分が置かれた境遇を客観的に見る事ができて、立ち直る時に役立ったりします。
若いうちにジョン・カサヴェテス(John Cassavetes)監督『こわれゆく女(A Woman Under The Influence)』『オープニング・ナイト(Opening Night )』を観てると人生に役立つ事、間違いないですわ☆。 アンジェイ・ワイダ監督(Andrzej Wajda)『菖蒲(Tatarak)』は女優さんが演じる役柄と実人生の重なり合いの奇妙さを描いていて、虚構と現実の混ざりぐあいが面白いです。 アンジェイ・ワイダ監督というと『カティンの森』『コルチャック先生』といった、硬い映画を作る印象が強かったんで、えーどうしちゃたの?という驚き。 何歳になっても創作意欲が衰えないって、すごーい!。 作風は変わっても、あの「生命がギラギラと燃え立つ瞬間」の描写は健在で、今回も観ていて、心の中がゾワゾワしてきました。 デジタルはデジタルでいい点もあるんだけど、フィルムで作られた「菖蒲」光と影のとらえかた、風が光と共に植物や人間を撫でていく眩しさとか、遠くに広がる川の絵画的な不確かさとか、フィルムのよさがにじみ出て、あーフィルムの良さってこれだよねーと嬉しくなりました。 フィルム切り換える数秒前に出る、パンチ穴とか懐かしい〜(笑)。 「息子が生きていたら、この歳くらい…」村の若者に話かけたら、いつの間にやら気になる「年下くん」に悶々とする日々が待っていた。 何か「歳だからって諦めちゃダメよー!」と励まされているみたい。やっぱり、映画は人生の教科書だった。教科書どおりに悶々としよーっと。ごちそうさまでした。って、アンジェイ・ワイダ監督の映画の感想で書いていいのかしら(笑)。
床の冷たさに気づいた頃に
宿り主のわからないピアノ ピアノが連れてきた存在のせいで 僕、僕たちは泣きそうになっていた 薄れゆく記憶の中は 不確かなものばかりだから 砦を作っていたのに 彼の唇からの 震えは 床の冷たさに 叶わない しみを残していた いちばん 確かだったのは 彼の唇と指先を棲み家とする オレンジ チョコレートの香り どんなに探っても 香りだけ。
何か観ておかないとまずいよな…。
三百人劇場や旧ユーロスペースに観に行った。アラン・レネ監督(Alain Renais)「HIROSHIMA MON AMOUR」(1959年 )、ベルナルド・ベルトリッチ監督(Bernardo Bertolucci)「暗殺の森(Il conformista)」(1970年)。 「暗殺の森」あの、冷徹な怖さは映画館で観てなんぼですね。 映画史の伝説な俳優さんが、現在もご存命な事も驚きなんですが、ミヒャエル・ハネケ監督(Michael Haneke)の新作に出演されると知った日から楽しみだった「愛、アムール」(AMOUR )の演出、演技は、すごかった…。字幕を読むのを忘れるいきおい。 ハネケ監督は、起承転結のはっきりした、物語で観客を感動させる映画とは、正反対の映画を作る方で、物語性を無くす事、同情を寄せつけない事で、核心を描いていく方だと思う。 「愛、アムール」は人間の尊厳、大切な物は何かと、極限まで追いつめていくんだけど、いきつく先がすごい。奥さんの体調が日々変化していく過程も鳥肌ものの演技なんですが、奥さんの体調に同調していくように旦那さんの体調も変化していく、奥さんを思う微妙な一瞬の仕草には、背筋が寒くなりました。 俳優なのに、実際の夫婦に思えてくるわ、 映画なのに、とてつもない豊穣な川の流れに出会った気持ちになりました。 いっぺんでいいから、ハネケ監督に会ってみたーい!!。
もう聴くことができないのに
いつまでも すみきった 水辺みたいに のこる うた 白いガラス 破片を詰襟から はらうときに 大切な殻を きしむ床に 無くしてしまった そのせいで いつまでも 帰りかたがわからない いつまでも 大切なあの人の顔を おもいだせない
3/1(金)〜3(日)山形国際ドキュメンタリー映画祭主催「ともにあるCinema with Us 忘れないために1 東日本大震災復興支援上映プロジェクト」がフォーラム山形(山形市)で行われました。監督との質疑応答の時間やもっと話を聞きたい方に、お茶会や夜は香味庵での交流会があったりと、一方通行にならずに作り手と観客が交流できるミニ山形映画祭のいい雰囲気。
効率優先のシネコンで、上映作品の間を1時間近く開けてしまうなんて、企画するほうも会場を提供するほうもすごいなぁーと思います。 「なみのこえ」は「福島県新地町編」と「宮城県気仙沼市編(編集中)」に別れていて、そこに住む人達の聞き書き形式の映画。 インタビューで細かく編集するって、編集の仕方によって、その人が「○」と言ってるのに「×」と言ってるようにつなぐ事もできるわけで、それって、どうなのよ?と疑問に思ってた時期がありました。 今では「撮影させてくれた相手が映像を観て、OK なら、それでいいんじゃない?」と思います。 「なみのこえ」一見、カメラをポンと置いただけのシンプルな映像なんだけど、ものすごーく複雑に編集されているのに、自然に目の前で喋ってるような気持ちになる不思議な映画です。 ジャン・ユスターシュ監督「ナンバーゼロ」や王兵監督「鳳鳴」の映像に通じるものがあります。 「なみのこえ」の最大の見所は「なんの話かよくわからない」な所。 地震や津波、東電原発人災でどのくらい被害が出たかとかは、統計を調べればわかるけれど、「そこに、どんな人が住んでいて、どんな人生を送っていたか?」という事柄は見えにくい。 「なみのこえ」は具体的な事はわからないけれど、そのわからなさゆえに、話している人の心の動き、人生の片鱗を想像させてくれて、いま起きている事を身近なものとして考えさせてくれます。 この手の編集をする映画に、なかなか出会えないだけに、観る事ができて良かったと思ったと同時に、映像や編集だけに偏るのではなくて、質疑応答では「撮影させてくれた方が思っている事を、いかにしてうまく、傷つける事なく伝えるか?」という監督の気持ちが伝わって、ますます観て良かったと思いました。
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