そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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泣かせる映画監督もいれば、あまりの面白さに悔しくて地団駄踏みたい衝動にかられる監督もいて、クリストファー・ノーラン監督は地団駄率が異様に高い。
あの大仕掛けの手品のような映像好きだな〜♪ 現実に騙されたらムカつくだけですが、映画や文学には騙されれば騙されるほど、やったー!と思います。 『ダークナイト・ライジング』よく観ると(あれ?)と疑問に思う場面がでてきて、それがつながった時の騙された感。 もう、床に足をドスンドスンしたくなったよ。うるせー客だな(笑) こんだけ『暗い』『濃い』『くどい』三拍子揃った話を大仕掛けの手品みたいな映像で描く監督ってなかなかいないから、次回作出るまで寂しくなる。 しかし、ダークナイトといいライジングといい、悪役の悪巧みのしつこさ、このモデルって、こんな映画を撮ってる監督さんご本人ですか?と質問してみたい(笑)。
地下の礼拝堂は 発光する苔と
僕達のランタンだけが頼りで すべてが不確かなまま浮かびあがる 隠し事かが無いとしたり顔の人達は あいたまま 何も見ない瞳の持ち主 地下の礼拝堂の暗闇は 隠し事に泣いた人達の魂が集っている そこには 誰かに見つけてもらうのを待ち続けている 彼ドゥ・ジイ・ダリアがいた とうの昔に 生きるのをやめてしまったのに 朽ちる事のできないまま
宣伝です。
フォーラム山形という映画館では月1のペースでロシア映画を上映しています。『ロシア名作映画館』のチラシを見てたら、9月にパラジャーノフ監督『火の馬』が上映されるではないですか!。 僕がロシア映画にはまる事になった、きっかけはタルコフスキー監督とパラジャーノフ監督の映画に出会ったから、タルコフスキーやパラジャーノフの映画は眠くなるなんて良く言われますが、僕の場合そんな事はなくて、もう脳が覚醒してヤバいくらいドキドキします。ちなみにタルコフスキーは映画館で各作品3〜4回は観てますが一度も寝てません。 パラジャーノフ監督『アシク・ケリブ』『スラム砦の伝説』『ざくろの色』を連日のように観た時は衝撃だった。 湖の底のように光る金の装飾、布から染みでる赤。 登場人物は大地の精霊と共鳴する舞踏のように蠢いて、それは、神秘と官能の塊だった。 子供の頃から夢想していた帝国が本当にあった!。もう『ラピュタは本当にあったんだ!』状態です。 映画の構図の取り方、音楽のいれ方、観た当時も異彩を放っていたけれど、ある日、下高井戸シネマで『アシク・ケリブ』に再会。 映画館で上映される映画がハリウッドのほうを向く作品が増えてきた時代に観る『アシク・ケリブ』は、映画で一体何ができるか、映像言語の可能性や今観ている映画はほんの一握りの世界でしかないことを教えてくれました。 パラジャーノフ監督はソ連に弾圧されたけど、屈する事なく、何度もの投獄と出獄の間に豪華絢爛な映画を作り上げました。 ソ連は崩壊して、パラジャーノフ監督が遺した映画は今も輝く。パラジャーノフの勝利の笑い声が聞こえてきそうです。 で、こんなに好きなのに『火の馬』を観てなかったので、ついにこの日がやってきたー!と興奮して宣伝した次第です(笑)。
ネットの世界を『仮想社会』と呼んだりするけど、ネットもテレビも『虚構』が混じっていて、『作り上げられた虚構』『偶像』を『虚構』が追いかけて行く。
『ヘルタースケルター』の簡略化されたセットは、(あれもこれも作り上げられた虚構)と訴えてくるようで、他の人工美が施された世界と見比べると面白いです。 映画に描かれる整形手術やら都市の姿、水族館とか見てるとね、変身願望にとりつかれた人間や、人工美満載のユートピアを作った人間が出てくる江戸川乱歩の世界に現実が接近しているような気持ちになります。 女性らしさとか書くと誤解されそう。 映画の世界、監督は男中心の世界で、映画の中に描かれる女性像は男の視点、理想像で、木下恵介さんとかある意味で女性監督もいますが、男が思い描く女性像ばっかり見てるとこういう女性の監督が描いた女性を見ると何か新鮮で「やったー!」って思うんだよね。岡崎京子さんの本は数えるほどしか読んで無いけど、本に描かれてた『痛み』はこういう事だったんじゃないかと思う。
水紋はなぞっていた地図の行方を
水紋の読み解き方がわからないから 眺めてばかりだ 淡い、紫の唇の彼と。 たぶん、僕だっておなじようなもんなんだろう 淡い、紫の唇が赤くなる前に 読み解かなきゃいけないのに 頬に絡んだ髪の毛をなぞってばかりだ 地図の行方は 蝋細工の洞窟灯り 僕達がいつまでも このままでいられるように 森の神様にお願いしたから 必ず辿りつけるはず 彼の淡い紫の唇から 繰り出す言葉は 文字にすがる事のなかった人達と おなじなんだ 僕は口封じのまじないみたいに 自分の言葉を 淡い紫の唇で 塞いだ
虐げる、足の裏で。
完全な彼と 未完成な僕達とで。 うっすら 頬の埃は 胸の奥底を鳴らす 弦楽器。 その音色に気づくのは 人の心のうちを 読む 特技を持った 彼が うるんだ眼差しで 僕を虐げるから 僕は足の裏に力のこめる 少しだけの儀式のように 彼は 聞き取れない詩を囁いた
退廃的な芸術に耽溺するのなら、ありとあらゆる芸術を動員して豪華絢爛がいいとは思っていても、なかなかこの手の映画にはお目にかかれないから、ちょっと前の映画の感想。
『コックと泥棒、その妻と愛人』は、壁の絵画から人物の衣装にいたるまで、豪奢な光を放つ映画。 例えば、それは、江戸川乱歩に出てくる怪人達が手抜かりなく作りあげた理想境に実際に招待された感覚の真っ赤な色彩の館。その館はレストランで泥棒が妻と手下とやってきては非道の限りを尽くして、月明かりの下で天使が悲しい声で歌う。 悲しい歌声に包まれて、悪夢のような華を咲かせます。 今でも、退廃的な芸術はあるにはあるけど、ピーター・グリーナウェイ監督が作りあげた、ひっそりと隠れ家で耽溺したくなる映画はなかなかお目にかかれないから、寂しい。 紹介しておいて何ですが、かなり強烈な映画なんで、気軽に観ないほうがいいかもです(笑)
8ミリの映像は雪明かりに照らし出された光景そのままの不確かで、出会った事のない少年達が松前の空を信じて駆け抜ける時に。
間違いなく、大木裕之監督の詩の世界に感染した。 それらが、普段見慣れている、映像表現とかけ離れている事は障害にはならない。 3時間の上映のうち、ほとんどが無音だとしても。 普段見慣れている、映像。世界から、解き放たれた、それは旅人、流浪の詩。真似したところで、どうにもならない。 どんなに、どんなに、『松前君の映画』にはたどり着けない。 たどり着けないうちに、雪明かりの祝祭と、天使が降りてくる、猥雑さだけが残り続ける。 この猥雑さは、今となっては幻の物だ。 僕はまた、『松前君の映画』に感染したい。
東京にいた頃山形映画祭で知り合いになった、アジアを中心としたゲストと居酒屋に行く機会がありました。
マレーシアや韓国の人が経営する居酒屋は日本語と違った時間の流れ方。この時間の流れ方が好きで、台湾の人がやっているお店を探したりしたので、お店の人達を思い出したりして、何か懐かしい映画。 住む場所が変わって、そこの生活習慣が独特である事に気づかされる。 映画に出てくるお葬式はすごく時間がかかるけど、山形も場所によっては都会の時間感覚だと、びっくりするくらい時間がかかる。 映画に描かれる、生活習慣、風俗を見ているだけでも楽しめます。 田舎の錆びれ具合とか見ていると、すごく親近感がでてきます。 台湾の人は親日的と聞いた事がありますが、いろんな所に日本が出てきます。 梶芽衣子の使い方には爆笑(笑)。 ところで、猛烈に気になる映画があります。『少年は残酷な弓を射る』がそれ!予告に一目惚れして、どんな映画で、どんなポスターができるのか楽しみにしていて、フォーラム山形でポスター見て、きゃあ〜!と叫びそうになりました(笑)このポスター作った人偉い!。 豪華絢爛な退廃好きには鼻血もの(笑)本編が楽しみだ!。
変態もここまでくると、悟りの境地。スクリーンに向かって拝みたくなりますね(笑)。
話だけだと貸本マンガ系のぶっとんだ展開!『ありえねーよ、姐ちゃん』なんだけど、豪華絢爛な美術とアントニオ・バンデラス、エレナ・アナヤのお色気にして、秘めれた物語が明かされるうちに、禁断の純愛映画のドツボに嵌まるから恐ろしい(笑)。発情期の犬みたいな純愛。何か、男のバカさ加減が不幸の始まりって気がしないでもない内容。 これ観ると世界が変態に見えるから不思議〜♪。 ※姐ちゃんとは、もちろんアルモドバル監督の事。
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