そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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船は 遠ざかる
やわらかい森を小さくするかわりに 僕は 彼を裏切った 救済できなかった事を 大きくしながら ラッパの音がたなびく 空のように 呆ける 僕の爪先に たまる唾液に うつる 空は 蒸発していくんだ 彼の空 と 僕らを 捕まえた 太陽が まじる時に 彗星を 捕まえそこねたのが 救済できなかった なぐさめの声は うらみ事の 裏返し 鞄にしまいこんだ手帳に書かれた 彼の 筆跡は ソプラノのままで 僕は 知らない大人になりかけているんだ
今年の1月頃にツイッターで「その昔、山形では雪のスクリーンで上映会があって…」なんて呟いたら@StudioKeyboardさんに「みゆき野映画祭in斑尾2012」という雪のスクリーンに映画を上映する映画祭を紹介していただきました。お金が無くて長野には行けなくて、どんな映画やってるか気になっていたのですが、まさか半年後に山形で観れると思いませんでした。世の中狭いね〜!(笑)
個性的な映画揃いで見応えがありました。 なかでも『僕らは残った We who stayed behind』(マーティン・デ・スラウ監督 Martin de Thurah/25分)「な、何故、僕の趣味をご存知なのですか?」とスクリーンに問いかけたくなるぞ!(笑)ある日、謎の伝染病にかかった大人達が失踪してしまい、子供達が残された。主人公の少年役って、誰かに似てると思ったらカネフスキー監督『動くな、死ね、甦れ!』の主人公ワレルカ(パーヴェル・ナザーロフ)かも…。 bernard fauconの写真に出てきそうな廃墟に、少年達、マネキンと共生してしまう猥雑さ、寂しさ。そして『裸電球』の人工的な美しさ!この手の人工的な美しさって下手すると安っぽくなりがちなんですが、ちゃんと世界が構築されていて、子供の時に発熱した時に見た悪夢のような感覚がそこにはあった。 bernard faucon、少年SF物が好きだったりすると「キャーキャー」叫びたくなる映画です。DVD化熱烈希望ッ!! ※今回のプログラムには2011・3・11に被災地で産まれた人達の映像(約3分)が上映されました。 どんな状況でも、命は続いていくし、続いていく世界を作る事の大切さを感じました。どんな状況でもあきらめちゃいけないなと思いました。
はっこう
棄てられた 子供の骸が 川の真ん中へんの 国で 発光する 夜です 幸せなぞ 何もなく 死んでいった 夜 骸に 人の皮を まとった 悪魔が 溢れかえって 人間です 嘘を つき月の夜は 廃線路の侵食した 図書館に 苔むした 中から 飛び立つ 鳥は 見たこともない 鳥 羽のまわりだけしか 見えない 鳥 の羽根に 貼りあわせた 魂の 輝く時に 空が割れます
星の中で すごしたいから
透きとおった 湖は この星の奈落そのものだったから 握りしめた 友達の冷たい手のひら 厚みのある下唇から 繰り出す 夜の詩が もやいだった 月に照らされた すこし荒れた 唇は 僕の 事を 他のやつらのように 慰めてくれた 夜の詩 沈んでいくのは この 星の奈落に引き寄せられるのは 何かを考えるからで つまり 何も考えずに いれば 湖の水面に 漂っていれば 星の中にいることができるんだ 厚みのある 彼の下唇 夜の詩に なぐさめられながら
昨夜はフォーラム山形にて『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』若松孝二監督、井浦新さんトークショー付き上映会に行ってきました。
山形でお二人の姿を拝見できるなんて夢のようです。お二人とも観客の質問に一つ一つ丁寧に答えられていて、あっという間に1時間過ぎてしまいました。『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は三島さんの価値観、思想と現在との差異を描いた映画。戦前はあたりまえだったものが、そうでは無くなっている。 戦前の軍国主義がいいとは思えませんが、昨日と今日でコロっと変わってしまう人に比べて三島さん達は筋が通っている。 筋が通っている故に、『刀の世界』では世界を変えられなくなってきている現実をつきつけられる。 軍隊を持たない国とか言って自衛隊という軍隊が存在していますが、その自衛隊がいかに武力的に活動できないように『仕組まれて』いるか。僕としては武力的に活動されたら困るんですが、武力的に活動できない背景にはいろんな事情を感じさせます。それに対しての矛盾、苛立ち。 何か頭にくる人の気持ちが「あーそういう事だったんだ!」わかってくるからすごい。 自分と違う思想の方の意見を知るって、大切なんだなと思いました。 あと、映画には出てこないんですが、映画に描かれる三島さんの姿に自分の思想とは反対の位置にいる人(美輪明宏様)に戯曲『黒蜥蜴』を捧げられる関係性は興味深いと思いました。
確か去年の今頃だったかもしれない。 なんちゃって詩人という詩の掲示板をひさしぶりに閲覧している時に伊達風人さんの父上の書き込みを読みました。 若くして亡くなった息子の詩を読んでほしいといった内容でした。 『きっと詩を読みます』という書き込みをしたものの、僕は本当、不勉強で伊達さんがどんな人かも知らなくて本を探しだせずに1年近く過ぎてしまった。 ちょっと調べた所でわかったのは、伊達さんは山形市出身で、お墓は上山市の牧野村にあるという事くらい。牧野村といえば、小川プロが生活していた村で、僕の映画好きな人生にいろんな影響を与えてくれた村。何か不思議なものを感じました。 先日、フォーラム山形に映画を観にいった時に『幸せの経済学』のチラシ置き場を何気なくみたら〈詩人・伊達風人からのメッセージ〉という冊子が置いてあって、びっくりして手にとりました。 大切に読もうと思います。 僕は宗教は何も信仰してなくて(むしろ宗教は避けているかもしれない)初詣、墓参りに行くくらい。それでも『見えない力』に引き寄せられてる事ってあるのだなと思いました。
東京にいた頃に『虚無感』について語ってくれた友人がいて、同時に『バッハ』の魅力について語ってくれた。そのせいか僕の中では『虚無感』と『バッハ』はつがいのようになってしまった。
バッハの心の奥底を分解していく、金色の輝きを持ち合わせた『鍵』のような音楽。 『SHAME -シェイム- 』では、それが絶妙のタイミング。音量でかかる。主人公の心の奥底を次々開けながら。しかも、映像は時にはびっくりするくらい長廻しだったり、人の肌や夜の空気感に含まれた『艶かしさ』をしっかりとらえている。主人公が『虚無感』を彷徨している時に、バッハがしかも『あの人のハミングつきのバッハ』がかかるんですよ!。 絶妙すぎて『ハラショー!』と叫びたい。 この映画の『虚無感』と映像、音楽のセンスの良さは映画館じゃないと味わえないですよ〜。
だから
ぼくたちは 眼帯を あの飾りの眼帯を 彼がずらす前に 柱時計を模した棺桶の中で ずらす 瞬間を待ち続けている 彼を 救いださなければならないんです そのために ひきずられた猫の影が 月に灼かれたというのに これ じゃ 無駄になってしまいます だから ぼくたちの 縄をほどいてください だから ぼくたちには ドゥ ジィ ダリアがつきまとうんだ 公園をいく 左手から 生えた赤い風船なんか 呪いの象徴にしか見えやしないんだ
価値観、世界観の違いを教えてくれる映画。日本でひとたび法に触れたり、道をはずれると、立ち上がれないほど、非難、中傷の的になる。それは、現実に起きてはいない事でも起きているように非難される。非難されるといえば、戦場で捕虜になってしまった人が『極悪人』のように扱われた事もありましたね。
実際犯罪に巻き込まれたら、こんな事をかけるかわからないけど、どんな人でもやりなおす機会があっていいんじゃないだろうか?。 マシンガン・プリーチャーのモデル、サム・チルダースは麻薬に手を出し、服役後に不思議な縁が重なり戦場の子供達を救済しようと奔走する。 この人のやり方が正しいかどうかはわからないけど、こうしないと子供達を救済できない現実。世の中きれいごとで片付くわけもない。 ところで、戦場で使われる『殺人の道具』で裕福に暮らしてるのは誰なんだろう?。 この映画で一番凄いのは、『戦場ではない国も戦争に無関係なわけではない』と諭してくれる所だと思う。 実際のサムの映像を観ると、彼自身を撮影した映像をもっと観てみたくなります。
彼は
雨と ともにやってきて 雨音が なぞる輪郭を 邪魔しないように 囁いてくれる 彼の声は 心地よい 木の香りをふくんでいて 知らない 季節の扉を教えてくれた 扉の向こう側は 僕の 記憶 足跡の輪郭にたまる 水で メタセコイアに 埋もれた映画館だったんだ
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