そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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ひさしぶりに背筋がゾクゾクする映画を観てきました^^。
『ポエトリー アグネスの詩』は、他の監督ならここで編集したり、雰囲気盛りあげるために音楽使うんだろうな〜。 そんな要素を一切排除して、劇中の登場人物の何気無い台詞、服装、一見、退屈な場面を積み重ねて、『老い』『人の内面』に対する不安や怒り、そして、孫に対する優しさを描きだす。 こんな話を考える人も凄いけど、老女の心理を体現した女優さんも凄いです。 観てると背筋がゾクゾクするよ。
映画や小説でそこに描かれた『罪の意識』に目眩を覚える時があるけれど『鮎と蜉蝣の時』に描かれる『罪の意識』による『心のすれ違いの切なさ』はまさに、それ!。
著者がこの作品を書いた時は60歳だったそうですが、このお歳で思春期独特の秘められた事柄に対する背徳感をこんなに切なく美しく描けるなんてすごい。戦前の旧制中学の陸上部の先輩と後輩の話なんですが、タイムスリップしたみたいに凄くリアルに迫ってくる。読み終わった時にボーっとしてしまいました。 僕は少数派の意見を認めて云々…な事をよく書きますが、こういう作品に触れると、何でもかんでもオープンにすればいいってもんでもないんだな〜と思った次第です(苦笑)
昔、昔の事。
その頃は携帯電話も無くて電車を待つ間の暇潰しといえば、本を読んだり、ノートに落書きしたり。夢想の世界にひたっていたり。 そんな時に本の挿し絵に出てきそうな2人組の少年がいました。 全然見かけた事がないから、違う学区の人達だと思う。 1人は当時の山形にしては珍しい長めの茶色の髪の毛で、白い肌。びっくりしたような丸い瞳をしていました。演劇に使いそうなオーバーオールを着ていて、もう1人は小柄な人で黒い髪、日に焼けた肌をしていて黄土色のコートをはおっていて。『銀河鉄道の夜』のカムパネルラとジョバンニを見かけたようで楽しかったなぁ…。 何故かわからないけど、山形に戻ってきて、あれから時間が過ぎて変わった町を歩いてると、この2人組の事や、もう無くなってしまった、隠れ家みたいな洋食屋さんを思い出します…。 思い出してばっかりじゃいけないんですけどね…。
気まぐれな教室で
ちかい未来に出会う人たち 見送る人たち まばたきのぶんだけ 覚えもしないうちに 気づいたら雨が降ってた 雨が大地の思い出を 教えてくれる夜は 世界樹の枝に花が咲くから 靴ひもなおした 彼の指先 指先の 数字と絵画は 渚からやってきた 証で 螺鈿の貝殻がひび割れてるから バツの悪そうにして 口をむすんだ 彼の唇 は もう走らない汽車の汽笛だった 僕ら 何のために 天使を連れだしてきたんだろう? そればっかり 考えて 気づいたら雨が降ってた あの 時と 同じ雨が僕なことを 追いかけてきたんだ
不思議な縁で何度か舞台を観る機会のあった舞踏家さんは『かつて天照大御神が天の岩戸に入って世界中が闇に包まれた時に、世界を救済したのはアマノウズメのダンスだった』という話をされていた。
ダンスについて何もわからない僕が書くのは気がひけるけれど、ダンスは見えない何者か、神様、自然と交信する『身体言語』だと思う。芸術の源を辿ると、『霊媒』になる。 ヴェンダース監督『Pina』はダンサーがいるその空間の、光、風、精霊の存在まで感じさせてくれる。 その目に見えない何かを感じさせる『身体言語』をダンサーから引き出したピナ・バウシュという人の存在が伝わってくると同時に、もうこの人がいないという喪失感が伝わってきて、何か凄く悲しくなってしまう。 『ダンサー達の存在のリアルさ』は3D技術が進歩した事もあるけれど、『撮影の対象となる人たちとの距離感』の良さにあると思う。ドキュメンタリー映画の可能性についても考えさせてくれる。素晴らしい作品です。
水は うすくて
泳げない 僕でも 長くは 潜れない どんなに 居心地の いい水だとしても それと おなじ 幸せな日々だって 長くは いられないんだ 落っことした 慣れない味の アイスクリームみたいに すぐに 消えていく
見えない光に 部屋を追われたから
やけっぱち気味 ついに 最後のピクニック 森を避けていたのは 森は 呼ぶ者達が多すぎるから 考えることができなくて きみの姿が わからなくなりそうだから そう すべて 不確かな物で 作られている 何か の はずみで こうして つまんでいる サンドイッチの正体が わからなくて 困る事になる 見えない光に 部屋を追われた 木々の間を 踊るように 歩いてく 外套は 外套の保障なんて どこにもなくて 裏切ったランプなのかもしれないよ ほらね 僕の 言った通り だから お守りがわりに きみの 釦を貸して
時計の針がとまってしまった。
それは「懐かしい人達」が今よりもいて、「懐かしさ」を感じさせなかった頃。 時計の針が動きだす目安を八重桜のしたで聞いた時は、長く思えたけれど、案外、短く思えた。 動きだしたのか、どうか、わからないけれど、出会っ事はないけれど、偉大なおじさんのおかげで、動きだしたように思えてきた。
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