そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark|
前作の野生の王国状態(笑)の「アンチクライスト」に痺れまくりでしたが、今回も「こ、こんな展開でいいんですか?」だったー!。お金のかかる映画でここまで好き放題できるって、すげーな。観客を楽しませるとか無くて「オレについてこいッ!」って、竹刀でビシバシ叩かれてるみたいな映画。
ラース・フォン・トリアー監督の追い求める物、表現したい物って原始的な宗教、呪術的な行為に至る人間の心の輪郭なんではないだろうか? ずっと深い部分。 降りていくと精神世界で繋がっているような。 言語も文化も違う国の人なのに観ていると、心の扉が開いていく感じがする。 これがタルコフスキーだと静かに開くんだけど、この人の場合、バッタンバッタンいってるような気がしないでもない(笑) タルコフスキーといえば「メランコリア」に出てきたあの絵画って「惑星ソラリス」にでてきてたあれでしょうか?思わずニマニマしてしまいました。 シャルロットもかっこいいけどランプリのいや〜な母ちゃん役のシャーロット・ランプリングも素敵だった。
田舎育ちで、まわりにお年寄りが多かったおかげか、お寺や神社に行く機会が多かった。
生きている者と死んでいる者との境界線がどこか曖昧だったから「永遠の僕たち」は肌にしっくりくる映画。この不思議な空気感いいなー。以前、出会った幽霊を懐かしく思ったりする。 この映画はいろんな人の心情によりそってくれる。そのひとつが第二次世界大戦の日本人の心情。 時々、アメリカの人が「原爆の投下は正しかった」と発言するけれど、戦後、原爆の情報公開は日本でもGHQの検閲を受けたから、僕は日本人だけど、原爆の全容を知らないのかもしれない。 「原爆の投下は正しかった」という発言の土台には国家の情報操作があるかもね。 ガス・ヴァン・サント監督が当時の特攻隊がどのような境遇だったか、ご存知かわからないけど、あの展開を観ると知ってそう。だとしたら、すごい人だ。 日本人も当時の海の外の人達の心情に歩みよらなきゃね。 ところで、映画が終わるまで気づかなかった。 主役の少年は「地獄の黙示録」のどっちが被写体かわからん(笑)な報道写真家、デニス・ホッパー様の息子さんだったー。言われてみればパパに目元が似てるとほのぼのしました^^
地球のはしっこにある村だから
地図に載ってない町だけど それでも 春告げ鳥が鳴く時期に テント芝居はやってくる テントの杭に立つ少年は 僕の友達で 僕は学年が変わるけど 友達は 変わらない 背丈も声も 初めて出会った時のまま 友達の手のひらは 小さくなった 僕の手袋と おなじ大きさで また木箱を見せてくれたよ 知ってる? この箱に入ると 地球の裏側へ行けるんだ 途中で迷わないように 二人の靴の紐をつないで 閉じた木箱は 僕には窮屈でも 僕達は知らない街 歩きにくい 靴の紐はほどくわけには いかないから テント芝居の友達と 僕は お互いの脚を絡ませながら 知らない街は 月蝕の王子様が 懐中時計の針が どれだけ すすんでも 支配してる そろそろ帰ろうとしたって 僕には窮屈な 木の箱から ぬけだせないから テント芝居の友達は… 満足そうな 寝息をたてている
ぐーたらな日々を送ってはいても、早起きさせてくれる監督の1人がルキーノ・ヴィスコンティ監督。ひさしぶりに「ベニスに死す」に再会できるので朝からそわそわしっぱなし。
「ベニスに死す」は自分の才能、芸術活動に衰えを感じた作曲家が美の化身に出会い、芸術に対する敗北の痛みに恍惚としていく。ひさしぶりに観て気づいたのですが、そこには「芸術を支えた上流階級が着飾る事」と「庶民の貧困の度合い」を対比させる事で「絶対の美」を追求する。(繁栄と貧困は無関係ではないものね)芸術活動そのものに対して、冷めた視線で描かれていた。映画芸術を駆使して豪華絢爛に批評する所がヴィスコンティの凄い所ですね。観てて鳥肌。 全てが通俗的な物で、そこには「純粋な芸術」など存在しない。作曲家アッシェンバッハが追い求めた「美の化身」にしても本人の「思い込み」である可能性も指摘しながら追い求める姿の「純粋」さと「滑稽」しを織りまぜる事で、作られてから40年もたつのに「ベニスに死す」は追い求めても出会う事の無い芸術の神に敗北する事の快楽が輝き続けている。
日曜日の昼さがり。
僕はパン屋さんにいた。 そのパン屋さんはシベール西店というお店で、次から次へと焼きたてのパンが窯から出てきては、パンを冷ますために並べられる場所があって、たくさんのパンが並んでいるのを見ていると幸せな気持ちになる。 幸せな気持ちにひたっていたら、炭酸水みたいな不思議な音がどこからともなく聞こえてきて、この音の源はどこだろう?と見渡したら、焼きたてのバケット達が音楽を奏でていた。
園子温監督の映画は「芸術に打ちのめされる快感」にみちあふれている。
それはありきたりの「感動作」では得られない「快感」。 数えるほどしか観ていないけど、園子温監督に出てくる人達は全力で「人が生きていくのはどんな事か?」を問いかける。全力で欲望のままに、本能を剥き出して生きていく。 全力で破滅へも向かえば、全力で再生へと向かう。 この全力さがいいんだよね。 ところで、何でこんなに強烈な映画を連発できるんでしょうか?。すげー。
こわがりの僕が
にいさんに つきそってもらわずに のぼったハシゴの先は 屋根裏部屋です 切り取られた 空は 数えきれない はねのたよりで うまっていました はねのたよりには この星の いろんな思い出が 書かれているのに 文字を覚えてた 僕には 読むことができないから 雪のように つもっていく はねのたよりを ながめているだけです この中の どれかに にいさんにのことが書かれているのに
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|