そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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ふだん中国製の服を着て、気づけば韓国の音楽が流れている。
とても身近なはずなのに、どこか遠い国のような、中国、北朝鮮、韓国。 それが戦争の事になると、さらに遠い国になる。 地続きの感覚。 戦前の日本人には中国も朝鮮も地続きだったのでは?と思い、NHKアーカイブスで「現代の映像 オンマ 韓国孤児を育てるある日本人の記録」(1966年/モノクロ/29分)、「現代の映像 埋もれた戦後」(1965年/モノクロ/29分)を観てきました。 「オンマ」は日本で産まれ満州に渡ったあと、家族と死別した永松かずさんが北朝鮮へとたどり着き、朝鮮動乱で孤児となった子供達とめぐりあった事がきっかけとなり、32人の子供を韓国で育てる女性の記録。どの国の人であろうと困っていたら放っておけない。日本では戦死したとされていた永松さんの活動は続きます。(調べてみたら生涯に渡って130人余の孤児を育てたそうです) 永松さんを題材にした「愛は国境を越えて」という韓国映画が作られたそうです。ちょっと観てみたい。 「埋もれた戦後」は昭和17年炭鉱労働、ダム工事のため強制的に中国人39000人が日本に送られました。 事故や病気で亡くなった中国人労働者の遺骨を日本軍の軍人だった男性が探して発掘し、中国へお返しする活動の記録。「遺骨を探して発掘」つまりお墓を作ってもらえなかったんですね。 男性の行動を不審に思う人もいれば、中国人労働者の遺骨を発掘して、中国にお返ししたら、中国で戦死した自分の子供の遺骨が発掘されて帰ってくるかもしれない…という思いをこめて協力してくれる人もいます。 戦争の記憶が残っていた時代の映像を観たり、本を読むと、どこか遠い存在の人たちを身近に感じます。 日本では戦争を体験した日本人でさえ、どこか遠い存在に感じ、何か違う存在に対して嫌悪感を抱く方向に行っている気がします。 嫌悪感を抱くよりも、戦争を体験した人たちは戦後、どのような人生を歩んだか知る事のほうが大切かと思います。
ながい ながい 板を渡せば つり橋がわり
川のまんなか 無人島 このくらいの つり橋なら 僕にだって渡れるから 無人島は 僕だけの国 ノラネコ・チャトラ 薄の城 遠くに見えるのは 僕が 産まれる前に ネジを巻き忘れた 観覧車 僕だけの国のはずなのに 僕は 板をはずす事ができないんだ ノラネコ・チャトラ 薄の城 明日になれば 観覧車の ネジを巻くのを 誘われるような気がするから 無人島は 僕だけの国のはずなのに つり橋をはずすことができないんだ
東京にいた頃に山形へ帰省した際に、とある床屋さんの理容師さんに髪を切ってもらいました。
いつもボサボサの切りにくそ〜な僕の髪の毛を素敵にカットしてくれる素敵な腕前^^。 また切ってもらいたいなーと思ってるうちに、その理容師さんはそこを辞めてしまいました。 あらら残念。 ひさしぶりの山形は、どこにどんな店があるのか、わからないんで、ネットで山形の床屋さん情報を調べてたら「VOLTのVLOG」というブログをされている理容師さんがいて、いい感じの鉄塔の写真を載せていました。 映画が好きなら写真も好きなのもあって、読みすすめていったら、件の理容師さんのブログでした。広いようで狭いネット社会(笑) 映画でこんな展開したら「何よこの脚本!」とかつっこまれそうですね(笑) そんなわけで、VOLTさんに髪切りに行ってきました。 VOLTさんのブログにお店の内装の写真を掲載されてます。うわーすごいかっこいい。 ふだん5月に引っ越ししたのに、いまだに段ボール箱に囲まれている我が家にいるので(苦笑)なおさらかっこいい。 ひさしぶりに髪を切ってもらえて、話ができていい日でした。 お店は山大のまん前です^^ VOLTさんのブログ→ ameblo.jp/volt-mshr/ - 70k -
海女さん。
海に潜って貝を採る人達。 何となく頭の中にイメージはあるけれど、実際にお会いした事はない。 「海女」(1968年/カラー/25分/ディレクター:市岡康子/撮影:多田信/音楽:間宮芳生)は海女さんが貝を採る様子を撮影する。 カメラは海面から海中へ、海女さんに寄り添うように、海底の貝を採る姿を画面を切る事なく、長廻し(!)で撮影する。 カ、カメラを担いで海に潜って海女さんの動きについていってる〜!!。こんな映像は初めて見ました。 海女さんの動きは泳いではいるけれど、空を舞っているみたいです。 海女さんの華麗であると同時に勇ましい「舞い」。 その「舞い」の舞台となる海中は日差しが降り注いで輝いていました。見とれてしまう美しさです。 こんな映像を撮れるなんてすげ〜。
実は何気に男のロマン大爆発!な栄文さんの作品。「飛べやオガチ」(1970年/モノクロ/57分)は、こち亀に出てきそうな、おじさんがでるよ(笑)「空への夢」「オレは人力飛行機を飛ばしてみせる!」に情熱を燃やす男のアツい映画。
2007年の山形映画祭で「ミスター・ペリンコと潜水艦」という「オレは自分で潜水艦を作ってみせる!」という男のアツい映画がありましたが、国籍や時代が違っても、こういう趣味にどっぷりはまる人って、いるのね〜!などと感動する僕は朝から晩まで映画を観たりする。何か「人のふり見て、我がふりなおせ」と映画に言われてるのは気のせいだ!。 「飛べやオガチ」は、生涯をかけて奥さんに支えられながら、旦那さん(高校教師)が人力飛行機に夢中になるんですが、何かまわりに協力者(生徒)が集まってきて、みんなが取り組んでいる場面を観ていると「次は飛んでほしい〜」と人力飛行機が飛ぶのを期待するようになります。 この映画の後はどうなったんでしょうか? あと、もうひとつ男のロマンと言えばこれ!「むかし男ありけり」(1984年/カラー、モノクロ/85分)作家・檀一男さんが晩年過ごしたポルトガルのサンタ・クルス。高倉健さんが足跡を訪ねます。 檀一男さんの思い出話を聞かせてくれるサンタ・クルスの人達は嬉しそう。 でも、これだけ嬉しそうに話してくれる人達との別れは辛いだろうな。 安住の地を求めて、理想の地へたどり着いたとしても、いつかは国へ帰らなければならない。 夕陽が海に沈む場面はその気持ちを代弁するように胸に迫ってきます。 「わたしのテレビジョン-青春編-」を3日と半日観続けた。栄文さんの作品は辛い内容もあるけれど、どこか「祝祭」を思わせる所があるだけに、「むかし男ありけり」でしばらく栄文さんの作品を観れないと思うと「祝祭」が終わる寂しさに包まれました。 …旅先の人達には、よかったかもしれないけど、こんな人が父親だったら、ちょっと…思ったのは僕だけ?(失礼!)
数年前に夢の島の植物園でバナナの食べくらべという、バナナ好きには夢のような企画があった。
その時はじめて夢の島に展示されている第五福龍丸に出会った。 あの船がここに展示されるまでに、こんなに数奇な運命をたどっていた。 出来事、事件は「ひとつ」でも、そこには様々な立場の人達が存在する、第五福龍丸には船の乗組員、船を売買する人。船の保存のために運動する人達。そこには政治思想の異なる人達も存在して、反発しあう人達も存在する。 俳句を詠む集団もいる。 その人達を長期間の撮影と巧みな編集で見事な群像を描きだしたのがこちらの作品。 適切な例えか、わかりませんが、ロバート・アルトマン監督の編集をドキュメンタリーでやってるような、すごい展開。ちょっと話はズレますが、映画好きにはたまんない編集!。 「廃船」には、マスコミの取材に追われた乗組員の話がでてきます。世間から身を隠すように乗組員の中には、生活する人もいるけれど、これも原因のひとつではないか?と疑問をなげかけます。 あと、気になったというか共感できたのは第五福龍丸の保存をめぐって、政治が絡んできて複雑化するなかで、何の政治思想もなく純粋に船を保存したい!と動きだした若者達の姿。 先日、原発に対して経産省の前でハンガーストライキを行った人達。ツイッターのアカウントでは@HungryKinchanさんや @masssssannさんの存在と重なって見えました。 いつの時代もこういう素敵な人達がいるんですね。 「廃船」は昔の出来事だけれど、作品の持つ力で当時の空気感を感じる事ができます。この作品はNHKアーカイブス(各地のNHK放送局のビデオブース)でも視聴できると思います。よかったら、ぜひご覧ください。
深刻な作品が多い「わたしのテレビジョン-青春編-」の中で、ほんわかした気持ちになれた作品を2つ紹介します。
ひとつは「多知さん一家」(ディレクター:市岡康子/1965年/モノクロ/25分)両親、9人兄弟(姉妹)あわせて11人(!)が4畳半で暮らしています。朝、母親がこども達を起こす場面では、押し入れや、もしかして戸棚?(笑)からこども達が出てきます。 中学生のお姉ちゃんと小学生のお兄ちゃんが学校へ行ったら母親は7人の侍じゃなくて7人のこどもを連れて近所の神社へ。神社の手洗い水に登ったり、鐘のヒモでターザンごっこ。これ、僕もいとことよくやったなー(←バチアタリ) ほとんどミニ保育所状態の多知さん一家。 こども達を見守る母親の笑顔も素敵なんですが、撮影するカメラのまなざしも暖かい。 現在のカメラは小型化していつ撮影しているかよくわからない(この事は相手との関係性においてひとつの課題だと思う)けど、1965年当時のカメラをまわそうものなら、「グガオーッ!」と、こどもにとっては怪獣か?つーくらい音がしたはず。でも、こども達は安心した表情で遊び、路地裏で眠りこける。 このこどもは現在46〜7歳にはなっている。 みんな現在はどんな大人になっているんだろ?と想像してしまいました。 もうひとつは「あいラブ優ちゃん」(ディレクター:木村栄文/1976年/カラー、モノクロ/48分)先天的に股関節と脳に障がいをもつ、栄文さんの長女、優ちゃんと家族、まわりの人達の記録。 当時の障がい者を題材にした他の作品がどんな雰囲気かわからないのですが、この作品は障がいのあるお子さんを育てる親御さんの気持ちをしっかりとらえながら、明るさ、前向き感にあふれています。 保育園は勉強する場所ではなくて、生活する場所だからと優ちゃんを受け入れてくれた保育園。 水泳はしたいけど水面に顔をつけるのが怖い優ちゃんを「いつか泳げるようになるよ」と、あきらめずに教えてくれる水泳の先生。 実際に障がいのあるお子さんを育てるのは、たくさんの困難がつきまとうけれど、あきらめずに前向きに生きていく大切さを、優しく背中をさするように教えてくれます。 テレビドキュメンタリーゆえに観る機会が限られているのが残念な所、普通に劇場公開してもいい反響がありそうな作品なのに。 ところで、優ちゃんは貴の花(1976年当時)の大ファンで負けるたびに泣いてしまいます。この場面で場内大爆笑になりました(笑)。貴の花はあんなに弱かったんでしょうか(^_^;)?謎だー。
5.15事件から戦争の道へと扇動する新聞にたいして、「真実を報道しろ」と正面から批判した、記者 六鼓氏。
六鼓を演じるのは三國連太郎氏。 栄文さんは六鼓を現在の世界を歩かせ、役作りに没頭する三國連太郎氏と六鼓とはどんな人物だったのか?と話し合い、妻、同僚にも聞いていく。 ただの「戦争に反対した新聞記者の話」の記録で終わらない。 「もし、徹底して真実を追及した六鼓が現在(1977年当時)生きていたら、彼を受け入れる新聞社があるだろうか?」と栄文さんは問いかける。この問いかけは2011年現在にも通じる気がする。 お恥ずかしい事に、僕は1977年当時の報道がどんな状況だったかわからない。 昔から報道する人達は絶えず何かと闘っていたんだと思う。
1950〜70年代のテレビドキュメンタリーを見続けて一番感じたのは「昔はいろんな問題をテレビで提示できたんだ」という事。
…と書いたものの、僕は現在のテレビをろくに見ていないから比較のしようがないので、昔の作品の内容を書いておきます。 「南ベトナム海兵大隊戦記」(構成:牛山純一/1965年)はベトナム戦争の従軍記録。ゲリラ容疑者を拷問処刑する軍隊の隊長に対して戦争責任を追及する構成になっています「ハノイ 田英夫の証言」(ディレクター:太田浩、宝官正章、村木良彦/1967年)はアメリカ軍のベトナム爆撃を北ベトナム側から取材して、アメリカを正面から非難して「あなたは…?」(ディレクター:萩元晴彦、村木良彦/構成:寺山修司/音楽:武満徹/1966年)では街頭インタビューで通行人に「ベトナム戦争に責任を感じますか?」と質問した。日本人だけではなくアメリカ軍の兵士にも 現在、アメリカのアフガニスタンやイラクに対する攻撃を正面から非難するテレビはどのくらいあるのだろうか?。 「反骨の砦」(ディレクター:大島渚、吉田実/1964年)ではダム建設に反対する室原知幸氏を記録した。 ナレーションは徳川夢声氏で音楽は室原氏、支援者達で作り上げた砦にあわせて「荒城の月」が格調高く流れている。 現在のこのような体制に反対する立場の人に対して、尊敬の思いを込めたテレビはどのくらいあるのだろう?。状況は違うかもしれないけれど、脱原発デモやストライキをする人達はどう報道されてきたか?。 3.11以降「情報操作」「隠蔽工作」に対して肯定する意見、否定する意見を目にする機会が増えました。現在は現在の状況を見ただけではわからない。過去のテレビドキュメンタリー。報道と比較した場合、必要な情報はどれだけ報道されているか考えてみたほうがいいと思います。 過去のテレビドキュメンタリーの自由さ(けっして完全に自由だったわけじゃないけど)に触れていたら、ふと、黒木和雄さんの「とべない沈黙」の自由にとべるようで、やがては失速していく映画全編に漂う寂しさ哀しさを思いだした。。。
2011年の山形映画祭では「わたしのテレビジョン-青春編-」というテレビドキュメンタリー特集に朝から晩まで、どっぷりつかる事になりました。
残念ながら2本見逃してしまい、33本中31本の鑑賞。頭の中でパンパカパーン♪とラッパが鳴りまくりな凄い作品ばかり!。 覚えているうちに書き留めておこうと思います。 栄文さんの「祭りばやしが聞こえる」。 お祭りの時になるとやってくるテキ屋さん達。 夜店が出るのは嬉しくて、ワクワクさせてくれるテキ屋さんなのに、どこか近寄りがたかったりする。 この作品は九州一円の大親分とまわりの人達を記録しています。 栄文さんのすごい所は、思い込みや偏見といった物をテレビドキュメンタリーを通して取り払ったところ。 栄文さんの記録したテキ屋さん達の姿は純粋に光っている。祭りを渡り歩く人達の姿、商売中は啖呵を切る鮮やかさに見とれてしまうけれど、日常の楽ではない暮らし、その心情をテキ屋さんが綴った歌に心うたれます。 映像に出てくる栄文さんと森崎和江さんのテキ屋さんとのやりとりの表情が素敵。 映像も音楽(オーケストラ)素敵ですが、ナレーションを書かれた森崎和江さんの言葉のひとつひとつが、優しい雨のように心に染み込んできます。 いつまでも続いてほしいと思ってしまう作品です。 ラストは泣けて泣けて仕方なかった。 お祭りが終わる瞬間のあの寂しさに包まれました。
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