そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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ここなら けたたましい騒ぎに
まきこまれることもない 花柄ソファーをめくってみれば ほんのすこしだけ 未来へ行けたり 過去へ行けたり 花柄ソファーの秘密を知ってる ぼくらを見ているのは オレンジアンテナのテレビくらいだ バスケットシューズの紐をゆるめたら 一緒に潜ってみない? 花柄ソファーをめくってみれば 今よりは ましな未来に行けるはずさ
トラックの荷台は人生を終えたから
来世では寝台になりました 来世も何もない 僕らは 寝転がります 何もないようにみえて 空は 葡萄畑のように 思惑がはりめぐされいて 思惑が うすみどり こっそり持ちだした うすみどりの眠りを 飲み干したあとは 来世の寝台の痛みも気にならない 脚が重なりあうのは ニースで夢みた 車輪のせいです 重なりあう 脚をよけようか そのままでいようか 考えあぐねているうちに 抜けられない ねぐらになりました 店番の老婆が 呆けた髪飾りに手をかけた 手をかけた 瞬間にくすねた 煙草は 葡萄畑が似合います 慣れるはずもない 原住民の煙を 深呼吸 水泳の授業よりも慎重に これで しばらくは 僕は脚を動かせそうにもないから しばらくは 重なったままでいられるよ 葡萄畑 来世では寝台に生まれ変わった トラックの荷台のうえは はらいそで うすみどり が 思惑だらけの空のしたで 堕落な 僕ら
いつもはボサボサの髪の毛だけれど
クシなんか通してみる 顔だって石鹸つけて洗ったし そう きみがやって来る日だから 間に合わなかった片付けは クローゼットに放り込んだから きみにあげる約束のコリントゲームだって いい色に仕上がったし 準備万端 天気がいまいちでも 気にならない きみがやって来る日だもの
それは 雪のような 地図でした
触れてしまえば とけてしまうので 手にとって見ることのかなわない 祖国の地図で 泣いている アコーディオンです 響きわたる 線路は海へ潜ったけれど 海の精に負けて 赤い雪になりました 話す相手も いないから 忘れそうになる 祖国のことばを アコーディオンの響きに乗せています 祖国のことばを わかる人に出会うこともなく アコーディオン弾きは 海の精に負けて 赤い雪になりました
優しい顔した 風見鶏
石畳の家の屋根 「ぼくら」の仲間のふりして 風にまかせて くるくる くるくる 一番鶏を見限った 「ぼくら」のことを風見鶏 さとすように すり替えながら 風にまかせて くるくる くるくる あれくらいのこと 多めにみてもいいじゃないか 「ぼくら」の仲間が傷つけられたことを ひたかくし 風見鶏は 風にまかせて くるくる くるくる ぼくらはもう騙されないよ すこしでも 風に抗っていくよ 風まかせの風見鶏
毎日映画コンクールのアニメーション部門で「大藤信郎賞」というのがあります。
大藤信郎ってどんな映画を作った人? ずーっと謎のままでしたが、ある年にスクリーンで観る事ができました。 観れた作品は「くじら」(1952年/9分)と「幽霊船」(1956年/11分)。 題材的には子どもむけなのですが、セロファンのぼんやりとした背景と影絵の人間の 動きは、どこか艶めかしく、不思議なエロティシズム。 自分が生まれる前の記憶、記憶の中の原始的なエロティシズムを発見して寒気がし ました。 春の海を見ながら、うたた寝した瞬間に見た夢みたいな映画でした。 こんな、不思議な映画を作った大藤信郎監督はどんな人? 調べてはみたけれど、自分の力量では、日本のアニメーションの歴史の本に数ページ という少ない情報しか調べられませんでした。 そのうち、他の映画に興味が移ってしまいました。ミーハーなもので(笑)。 先日、東京国立近代美術館フィルムセンターで大藤信郎展覧会(2010年6/29日(木)〜9月9日(木))があることを知りました。 そういえば、フィルムセンターに資料が寄贈されたって読んだことがあった。 自分の中で、ずーっと謎の映像作家だった、大藤信郎監督の資料を見ることができそ うで今から楽しみです。 もしかしたら「幽霊船」のセロファン影絵原画も見れるのかなぁ〜♪ ハサミ、チョキ、チョキ♪。
ウズマキ階段を
僕は高須くん と のぼりおり 泣き虫タイプライターに首輪をつけて のぼりおり ウズマキ階段の まんなかへんで ライオンが眠っているから しのびあし タイプライターの泣き声に ライオンの尻尾がゆれたから 口に指をあてた 高須くんの指には サンドイッチのコンデスミルク 泣き虫タイプライター ひとなめすると ライオンの尻尾がねむりだす
新作がでるのが、楽しみで楽しみで仕方のない監督のひとりが北野武監督。
北野武監督の作品の最大の魅力は、今の時代では滅びつつある「作り手の狂気」が作 品の宿っている所。 いい映画、芸術に出会うのはそれなりに覚悟が必要で、「何でお金払ってんのに、こんな怖い思いしなきゃなんないの?」って事があります。 一番怖い思いしたのは、ホドロフスキーの「サンタサングレ」でマジで死ぬかと思い ましたが「作り手の狂気」に向き合った、てか、つきあわされたのは今となってはいい思い出です(笑)。納涼にいかがですか?「サンタサングレ」。 我慢大会がないといい映画は見つからない。 タランティーノみたいになノリならいいんですが、北野武監督の暴力描写って、すげー痛そうで我慢大会。これを乗り越えたら作品の面白さがやってくる。 ふだんの、どこにでもありそうな日本の風景、街中は北野武監督の映像の中におさめ られると「異界」へと変貌していきます。 「アウトレイジ」は登場人物すべてが悪役で油断したが最後、いつどこで誰に殺され るかわからない。 日本のどこにでもある場所が戦場になっていく、日本のどこにでもある場所で、人影に怯え、足音に怯えて、いつしか、どこにでもある場所が禍々しい、悪夢のような景色に変わっていく。 あの場面、すごかった…ゾクゾクしました。ヒント・プロペラ 風景だけでなく、北野武監督の人物描写、時に人が深海に潜む魚のように存在していて、不気味な感じがして好きなんです。 たとえばカウリスマキの映画もまた、人が深海魚みたいだったりします。 あの人物描写が意味、不気味さが一番、発揮されてるのは20世紀最後の無声映画 「白い花びら」だと思う。 今どき日本映画で、白黒映画を撮るのは容易ではないと思うけど、北野武監督が白黒映画を撮ったら、さらにすごそうな気がします。 あと、映像も素敵なんですが、鈴木慶一氏の音楽がメチャクチャカッコいい!。 この映画は暗闇でガーッと見て、映画館の大音量にどっぷりつかる。これが一番ですね。 ぜひ爆音で観てみたい!。
日曜日の昼下がりにフォーラム那須塩原で「渇き」を観てきました。
観たくて観たくて仕方のない映画、若松孝二監督の「キャタピラー」の予告編を観れました!すっげー!たった数分の映像なのに貧血ものの緊迫感! 本編観たら腰が抜けるかも…。はやく観たーい! 本題です。 韓国映画といえば、犯人も不気味、犯人を追跡する人間も不気味で怖すぎて、座席を移動したくなるナ・ホンジン監督「チェイサー」。 犯人を追跡する母ちゃんが一番怖くて、観客が蛇に睨まれた蛙になりそうなポン・ジュノ監督「母なる証明」悪いことしたらこんな恐ろしい人がやってくるなんて、恐ろしすぎて悪いことなんかできません(>_<)。 「渇き」は吸血鬼を題材とした映画なんだけど、吸血鬼より、吸血鬼になる前の人間だった部分のほうが怖いという、コテコテな暑苦しい展開に。さすが韓国映画(笑)。 ちょっと話は変わって、日本の怪談物って幽霊の存在も怖いけれど、もうひとつの怖さって罪を犯した人間の心理と、どんどん破滅へ向かっていく業のすごさが魅力的なんですが、「渇き」もまた自分の犯した罪に苦しみながらも、化け物、吸血鬼になった事で人間だったら できないような事までできてしまい、さらにすごい業へと落ちていきます。 人間だったらできないような事。 映画の中の話と言えばそれまでですが、吸血鬼になった人間がした事って、どこまでが人間の意識で、どこまでが吸血鬼だったんだろう? とっても、とっても人間臭くい吸血鬼映画「渇き」は何だか、とっても恐ろしい事を描いていて、とっても過激な題材を扱っているような気がします。 吸血鬼もすごいけれ、まばたき、指の動きでゾッとさせるあの母親もすごかった…。 追記:6/23(水) 吸血鬼つーより、何気に鬼嫁鬼姑バトルな「渇き」そのうち、ミミズうどんでも出てきそう。 映画を見終わってから、何故か新東宝の怪談映画が観たくなりました。
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