そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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子どもの頃に親戚の家でよく食べさせてもらったのが、ぶたなべです。
子どもの頃だったんで、作り方がいまひとつわからないけれど、鍋に昆布をいれて沸騰してきたらみりんを適当にドボドボ。 再び沸騰したら白菜やら豚肉をいれて火が通ったら、たまごにつけていただきます。 親戚の家は老人の2人暮らしで、いま思えば、けっこう大変な暮らしだったんだろうけど、いろいろやりくりして、ぶたなべを作ってくれたんだろうな…なんて思いだして、あの頃の味に近づくように作ってみました。 ちょっとしんみり。
扉は壊れたままだけれど
壊れたままでいいんだ そのほうが ぼくらの部屋に叱ってくれるために 誰かが 踏みこんで来てくれるから ねえ おまえは あの消毒くさい町の黒ネクタイが オレたちのことを見たら 何て云うと思う? 囁く 声は影絵越し あおじろい 月あかりにうかんでる 離すことも 剥がすこともできないまま 天の川が見えた ゆっくり 緩慢に流れてる ぼくはできれば このままでいたいと思う そして できれば ぼくは罵倒されたかった 壊れた扉から 踏みこんで来た人に
宛名のない手紙がくるのを待っているので
ひきだしは 鍵をかけずにそのままになっています 鍵を間違えて かけられてしまわないように 僕は コートに縫いつけています 縫いつけたときに 一緒に縫いつけられた四角は しあわせだったころの なごりです しあわせだったころの なごりについて 僕は 何気なく話したことがありました 僕が 何気なく話した なごりは 彼のコートにまぎれこんでいたようです あたらしい しあわせとひかりをみつけた あとに乗った電車 地下を走る電車(それは 夜がいつまでも続かないことを伝えています)のなかで なごりが 彼のコートで ぼんやり響いていました
昨夜は下北沢の440(four-forty)へ、あまみのユキへいくんのライブを聴きに行ってきました。
奄美大島出身の彼のライブは、ほんわかしていて島でふらふらと散歩しているような心地にしてくれます。 ライブハウスに行くのはひさしぶりの事でした。 ライブハウスはスタジオミュージシャンの人も演奏すれば、バイトや仕事を続けながら演奏している方もいます。 大学時代からバンド始めて、会社勤めしながら20数年なんて方も! 夢を実現したり、夢をコツコツと形にしていくのは大変な事です。 僕の夢はどこまで形にできてんだろう?と悩む事があるけれど、ライブハウスに来て演奏してる人たちの姿を見てると、とってもとっても勇気づけられます。 (僕ももうちょっと頑張ってみよう)そんな気持ちになりました。 ※「あまみのユキへい」で検索すると彼のホームページが検索できます。 よかったらぜひご覧ください。
いつまでも はじめての冬の空
からからの湿り気のない冬の空は いつまでも異国だけれど 繁華街の近くに潜む 忘れられた建物に 布がたなびく午後は すこしだけ違っていた はたおりの友人に会えたのは 数えるくらい どんな住まいで どんな暮らしをしているのか僕は知らない 何も知らないけれど はたおりの友人が おりあげた布は はじめての冬を どこか懐かしい冬に変えてくれた
らせんの紐は 赤でも緑でもなくて
味気ない 紺いろで 真夜中の呼び鈴ともに むすばれていた ひろってきた猫の話 大晦日の夜にジャンプする 儀式 好きな友達のこと 話がつきかけたら ギターが静かに語りだす 時々 ぼくらのことを ギターは応援してくれたよね 宛名も なにもないぼくらの話は らせんの流星群で 夜のかなた カセットテープにも 何にも録音しないまま 夜のかなたへ
子ども映画には独特の面白さがあります。
大人とは違った視点、考え方。子どもの視点に立てば立つほど大人映画とは違った雰囲気になっていく。 昔の作品では羽仁進監督「教室の子どもたち」(1954)アルベール・ラモリス「赤い風船」(1956)最近では前田哲監督「ブタがいた教室」(2008)どの作品も、子ども目線のいい作品で、時々思いだします。 「かいじゅうたちのいるところ」もまた子ども目線。 立ったまま子どもの話を聞くのではなくて、膝をかがめて子どもの声に耳を傾けている人の姿を想像してしまいます。 マックスという男の子が家族に対して、ストレスをためて怒っていく過程や、かいじゅうたちのいるところで、大人なんだか子どもなんだかよくわからない「かいじゅうたち」あ、こう書くと自分の事みたい(苦笑)(^_^;) 「かいじゅうたち」に対して言った言葉(子どもらしい、意地悪な点もふくめて)がトラブルの火種になって、自分の言動、行動を振り返ってみるマックスの心、 相手は「かいじゅうたち」なんだけど、他者と関わる事で子どもの心が成長していく過程が、とっても丁寧に描かれています。 こんな映像を作りだす監督もすごいけど、この子役さんもすごい人ですね。 かいじゅうたちのいるところのセットも素敵で、爪のひっかき傷から砦の花、模型の木材、砂漠…何から何までかわいい♪本当、細かい所まできちんと作っているし、かいじゅうたちの表情もとっても繊細に作ってるんで映画館のスクリーンで観ないと、面白さが半減してしまいます。 ぜひ映画館で♪ こんなかいじゅうたちなら一度会ってみたいな〜。
僕の住んでいる星はかなり 弱っているらしい
気温もあがってきていて 空気も悪くなり 治りにくい病気も増えてきている この星に必要なことは どんなことだろう? 僕にできそうなことを教えてくれる話は 星の数ほどあるけれど この星が弱っている原因をついたと思える話はそれほど 多くはない 競い合うように行ってきた 核実験や 降りそそぐ 爆弾はこの星に何の影響もないんだろうか? 僕が日々の生活の中で 消した電灯や 僕が日々の生活の中で 乗る回数を減らした車 これらのことは この星を守るためにどのくらい役にたっているんだろ? 本当のところ この星に必要なことは どんなことだろう?
ながいことかかったけれど 憧れていたものが手にはいった
手にはいったのかもしれない バラバラになった物も集めることができそうだし 何の不満もないけれど 何故だか 木の葉が流れていくのを見ていたのを思いだす いたずらに 木の葉を流した かわかみで ふれる事のできない すいめんを ──ふれてしまえば 壊れてしまうから 木の葉は なぞっていく それは ゆっくりだったり 激しくだったり 退屈に思えた すいめんは僕が考えていたものと 違っていた 憧れていたものを手にしてみたら 木の葉が流れていくのを 思いだした…
雪がほのかに光をはなつ
月が雪を照らしだしていることを忘れそうになる 僕は塾のかえり道で 朗読者をみつけた 雪にうもれるとうもろこし畑で 古い古い本を読みあげているのは ヴァイオリンの音とともに とうもろこし畑から消えていった あの時の少年だ 誰よりも 懐かしさを感じる少年は 古い古い本を読みあげている 本に書かれた文字のころの 雪と月あかりをとりもどす 儀式 僕が生まれる ずっとまえの雪と月あかりはもうすぐ 雪にうもれるとうもろこし畑へ やってくる
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