そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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文庫本をめくるひとは はやすぎる冬の駅舎
出番を待つ 石油ストーブのとなり もうすこしで 会えなくなる 駆け足で通ったら 見落としそうな階段は 秋の夕暮れ パン屋と果物屋に はさまれている 登ったさきの喫茶店で 文庫本をめくるひとの個展を見つけた ぐうぜんだった 僕はどれくらい 覚えてもらっているんだろう? 階段のきしみをくぐり抜けたら コーヒーの香りで あの頃には 知らなかった 香りのなかで あの頃にくらべて 冷たい 暗い色彩は 作り主を待ちわびている 待ちわびている 色彩のなかで 額縁におさめられた きんいろのしおり あの時に 僕が鞄にまぎれこませた きんいろのしおりは みどりいろの文字で 贈り物 と 名づけられて 作り主を待ちわびていた
もうすぐ10月なのに あたたかい
あたたかいと楽でいい お湯は はやく沸くし 洗濯物だって はやく乾く 昼寝してる猫も楽そうだ いいことも多いけれど あたたかい秋は 焼き芋が遠ざかるようで寂しい
ひとつぶのしがみついている夏は
飛びたてない蒲公英を思いださせる 先に飛びたつことのできた 蒲公英は ソラから宇宙へすいよせられている 宇宙へすいよせられた蒲公英を追悼しているうちに 指を伝うのは とけかけソフトクリーム すこしだけ 果実の香りの服のひとへ 運んでいるうちに すこしだけ とけて しまった それでも 嫌な顔をひとつせずに受け取ってくれた とけかけソフトクリームは おなじように すこしだけ 果実の香りの服のひとの指を伝っている ひとつぶのしがみついている夏を 僕とおなじように 追悼してくれるひとに出会えたことを この瞬間を誇りに思う 胸が苦しくなるくらいに
今朝、猫の声とも犬の声とも違う「きゅう〜きゅう〜」という妙にかわいい声がする
ので窓を開けてみたら、家と家の隙間をたぬきが散歩していました。 東京で野生のたぬきが見れるんだ…。 たぬきはすぐに消えてしまいました。 たぬきが一匹いるということは、たぬきの家族もいるはず。 近所にたぬきの家族がいると思うと何だか愉快な気持ちになります。 どんな所に住んでいるのか見てみたいな−。
みんなはあちこちでかけてるのに
お店にはお客さんがひっきりなしにやってくるから ぼくまで手伝わされる 秋休みの最後の一日くらい遊びたい そう ぼくは思いきってあの子に電話する めったにない緊張する 瞬間 爆弾を処理してる人の気持ちって こんなだろうな 5回くらいかけ直して 無事に成功! 電話で声を聞くだけでも嬉しいのに 会う約束までできた! 時間まで おおいそぎ ぼくは鏡に向かって前髪をそろえてみる カレーのシミがついたシャツをとりかえたらでかけよう あの子の待つ バナナ公園へ! それ行け!バナナ公園!
純粋に輝く魂を持っているひと。
そのひとの輝きにめまいがしてくる。 サガンの生きた時間は純粋そのものだった。 たまたま書いた小説がベストセラーになり、子どもが誰かを好きになるように次々と好きな人ができていく。 気の合う仲間を集めて一緒に生活する。 サガンのやる事なすこと、一度は夢見たようなことばかり。と思うのは僕だけ?(笑) 姐さんと呼びたくなる生き方ですね☆ 自分の母親があんな人だったらやってらんないけど、母親(サガン)の立場になったら 自分以外の生命を抱えてしまった怖さであんなふうになるのも、わかる気がする。 シルヴィ・テステュー演じる「サガン」はすごかった。 な、何かとり憑いてない?なオーラにこちらまでとり憑かれそうな迫力。 追いかけても追いかけても手に入らない幸せを追いかける事のつらさが迫ってきて、サガンの 純粋さ孤独感の深さにめまいがしているうちに気づいたら、映画は終わってしまった。 映画とは全然関係ないんだけど、何故か永島慎二さんの「フーテン」を思い出した。 「フーテン」もまた、作家の孤独感にめまいがするようなところがあって、新しい共 同体を求めてさまよい続ける人の物語だったから…。
陽が登るころに ぼくらは店を追い出されてた
駅へむかうぼくらと一緒に 煙草の匂いも お酒の匂いもついてくる 駅へ着いたところで 田舎町 都会みたいに 電車はやってこない 電車がやってくるまで 陽のあたるうどん屋へ カウンターだけの店は ぼくらでいっぱい うどんをすすりながら 云ったの誰だった? オレたち 大家族みたいだなって 家族だったら 本当 よかったよ めったに離ればなれにならないもんな あいつらと うどん屋に入ってどのくらいたったんだろう? しばらくぶりに行ってみたけど うどん屋は 他のやつらでいっぱいで ぼくの席はなかったよ また 全員揃ったら 陽のあたるうどん屋に行きたいな
下高井戸に南蛮屋さんというコーヒー豆のお店があって、豆を買いに行くたびに好き
な豆を試飲させてくれる。 普段は機械でだしてくれる。これはこれで美味しいけれど、たまにお店の方お手製の コーヒーを飲ませてもらえる。 美味しいコーヒーは神秘的な果汁で、一口飲む事に異世界への旅へと誘ってくれる。 水出しコーヒーになると旅は深く、未知の大陸。 豆が違う事に違う旅になる。 お家でも旅気分を味わおうと奮発して、コーヒー用のやかんを買ってみました。 買ってすぐお店の方の味になるわけもないけれど。 コーヒー豆をたいらにした真ん中にお湯を注ぐ。 お湯は細く光りながら、窪みを作る。ひきたての豆の時は少しだけ山になる。 その後に円を描くように全体を湿らせる。 ここからいつも悩む事になる。 一気にお湯を注いですっきり味にするか、5度くらいにわけて濃いめの味にするか。 5度くらいにわけてお湯を注ぐと、コーヒーの落ちる音が微かに響いてくる。 水琴窟のような音ではないけれど、鈴虫達の鳴き声の中でコーヒーの落ちる音が重な るのはいいものだと思う。 自分で淹れたコーヒーは少しえぐみがあって、旅気分になるにはまだしばらく先にな りそうです。
子どもたちが連れ去られて
屋上には 子どもたちの歓声と象だけが残りました 誰かが仕掛けたいたずらは いつの間にか 天から降ってくる災いになりすましました 子どもたちが連れ去られて 屋上には 象だけが残りました 子どもたちの行方は知らないふりで いつの間にか 天から降ってくる災いになりすましました 子どもたちが連れ去られて 10日目の満月に 象は祖国を思いながら 息絶えました 子どもたちの行方は知らないふりで 国中 象の死を悲しみました
彗星
ぼくたちが いちばんに見つけた 彗星 バッハを聴いていた夜の偶然で 青い影絵のまっただなか コーヒーカップのコーヒーの匂いをさぐるような 青い影絵は 彗星を見つけたから ひとやすみ 同時に 背中に投げつけられのは きみは僕のこと 全然わかってないんだ それは ぼくが涙森で兄に投げつけた 言葉そのもので 彗星とともに 戻ってきた
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