そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark|
粒子がざらついている
色彩のない世界で 太陽が町を焦がす音で シーツを発見する あれから 何が変わったんだろう? 何も変わっちゃいない もとから 色彩なんて 存在しなかったんだ いつから こんなふうになった? 手を ふりはらった時から? そう 僕は さしのべられた手をふりはらったんだ そして 僕は 彼の名前を思いだせない せっかく 手をさしのべてくれたのに あれから 何が変わったんだろう? 何も変わっちゃいない 粒子がざらついている 色彩のない世界で 太陽が町を焦がす音で シーツを発見する 発見したら 学校へ 行く服に着替えて 彼の姿が見えるか 見えないかくらいの 電車に乗りに行くんだ
かくれた先は
青空をみあげれば きゅうり畑 ここなら しばらく見つかることもない 土の においのところなら あいつも 追ってこれない いつから かくれて暮らすようになったんだろう? ただ 僕は何かを伝えたいだけだったんだ 伝えようとして 気づいてもらおうとして 僕は 誰かを 傷つけていた
不思議なもので、映画の詳細は忘れているのに、その映画の「空気感」をふと思いだ
す事があります。 たとえば「春にして君を思う」(※1)の、凍てついた寂しいけれど何かに結ばれてい るような安心感。「バンドワゴン」(※2)の滲みでるような枯れ葉の色彩。バンド仲 間との関係性。勘違いでなければ、バンドワゴンのフィルムはアグファだったかも。 色彩が独特だった。 「青い鳥」もまた、独特の空気感を思いださせる映画です。 あの、からっ風の感覚。心の出口を探して迷っている人たちの表情とか、観てから半 年が過ぎてしまいましたが、いまでも心のどこかにひっかかっています。 映画のなか、作り物の世界だけれど「あの子たちは、あれからどうしたんだろう?」と思いだしたりします。 ここには、派手な音楽も派手なアクションもありません。 できれば、関わらずにすませたい題材かもしれません。 人は誰でもつまずいたりする事があって、起きあがり方に悩むこともあります。 そんな時に、そっと背中をさすってくれるような作品です。 近所のレンタルビデオ屋さんで見かけたら、よろしくお願いします。 ※1「春にして君を想う」(フリドリック・トール・フリドリクソン監督) ※2「バンドワゴン」(ジョン・シュルツ監督)
もうすぐ また やってくる
永遠みたいに あっけなく 影の車輪が 転がる日々 きみが作った 海のにおいに うずめさせてくれるのと ひきかえに僕は 誰にも 教えていない 蜃気楼の見える坂を教えてあげる
寝坊するのが好きだった
そんな ぼくが早起きになれたのは きみのおかげ きみが寝ているうちに 起きれば きみが どこかへ行ってしまうような 心配もいらない きみが寝ているうちに 起きれば きみの まぶたが ひらく音が聞ける それは 夜が ひききらない 朝にだけ ひびく音楽 だから ぼくは きみが寝ているうちに 起きるんだ
坂道
港へつづく 坂道で 宇宙と太陽のこどもに つまみあげられそうになる そうだ 消えてしまわないうちに 刻みこむんだ 水かきの部分に…
「牧野村」は「まぎのむら」と読みます。
山形県上山市というところにあります。 山形映画祭のあつまりともなると「小川さんの映画でも観るべ〜」となるので、同じ 映画を繰り返し観ることになるから、牧野村物語も5〜6回は観ていると思う。 4時間近い映画を5〜6も観てよく飽きないね…と言われそうですが、小川さん、小川 プロダクションの映画はどの作品も何度観ても面白い。 ラスト近くになると毎回「ああ、しばらくこの映画を観れないんだ…」と寂しくなり ます。 簡単に説明しますと、小川プロダクションは三里塚闘争の記録映画を製作してきまし た。 小川さん、小川プロダクションは闘争よりも、闘争に巻き込まれた農民の生活、歴 史そのものを記録していきました。 いろんな縁があり「農民の生活を記録させてもらうなら、農業に携わさなければ農民 の心は記録できない」と山形県上山市の牧野村へ移住して、自分達で米作りをしなが ら、村の人々と交流して協力してもらいながら、10数年の歳月をかけて、この映画を 作りあげました。 現在、江戸時代、縄文時代を自由に行き来しながら牧野村の歴史を記録しています。 村の人々がカメラに向かって話しかける表情が豊かで、そこにカメラが録音の人がい ることを忘れてしまうような映画です。 映画を観るというよりも、自分の好きな村へ、村の人々に昔話を聞きにいくような感 覚になります。 好きな村、好きな人々のところへは何度でも行きたい。 小川さん達の映画を何度でも観れる理由はこれだと思う。 山形では何度も観ていた牧野村物語。 東京に引っ越してきたら観る機会も減ってしまっていました。 同時に山形へ帰省するたびに過疎化していく、村が無くなっていく現実をまざまざと 見せつけれます。 「今ごろ気づいても遅い!」と自分でも思うのですが、牧野村物語の村の歴史、人々 をありのまま記録することの大切さ、偉大さを実感したのは、山形から遠く離れて、 東京で観たときでした。 そこには過疎化する前の山形の風景がありました。 自分には使いこなせない方言がありました。 違う生活圏から来た人々が作った映画って違和感を感じがちですが、小川さん達の映 画は違った。何の違和感もない。 そして、自分達の故郷がどれだけ豊かな土地か教えくださった。 映画を通して村を残してくれた小川さん、小川プロダクションの方々に感謝。
霧笛にふりむくのは 旅人ばかり
海のかなたへ 船がでる 地図をひろげれば お互い 線引きばかりの 海のかなた 気にするようで 気にするでもなく 音の缶詰 ゆられている 昔から 変わらない 海の群れ星は 特別に思えた悲しみも 昔から 変わらないことと 海のかなたで 歌ってくれる 音の缶詰は 地図をひろげれば お互い線引きばかりの 海のかなたで 言葉いがいの つながりをもとめられて ゆられている
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、1989年に山形市の市政100周年記念として、
故小川紳介監督の呼びかけ、山形市民、県民、映画関係者の方々のおかげで始まりま した。 「ドキュメンタリー映画って、何?」と問えば「監督がこの作品はドキュメンタリー映画ですって言えば、それがドキュメンタリー映画」という、答えが返ってくるのが 山形国際ドキュメンタリー映画祭。 毎年「な、何だこれ〜!?」という、映画の可能性をバンバン広げる映画を上映してま す。 社会派な作品から、人の死後の世界。登場人物が鬼に食われてみたり。 ひとつの町が壊される風景、そこに住む人々を延々、9時間上映したり。 次に何がでるか予測不可能な作品が続々でます♪ 人の税金で映画の上映なんかして…という声も聞こえてきますが、山形映画祭は世界 各国の作り手を支援していて、ただ上映しているわけではないんです。 日本では、天皇制や靖国問題とかに触れなければ、自分の作品の上映を気軽にできま すが、国によっては上映活動 芸術活動をすることで、体制ににらまれたりします。 そういった国の作り手を精神的に、作品が入賞すれば経済的にも支えてきました。 芸術、文化で海外の人々を支援し続けてきました。 、 山形映画祭が始まった頃に比べて、パソコン、デジタルビデオカメラの普及で、ドキュメンタリー映画が製作されやすくなってきて、ドキュメンタリー映画が映画館で 上映される機会も増えてきました。 機材が手に入れやすくなった事もありますが、山形から20年に渡ってコツコツ、ドキュメンタリー映画を発信し続けてきた成果もあるのではないでしょうか? 一地方都市の文化事業が国内、国外に影響を与えるなんてすごいことです。 さらに、山形映画祭開催後はものすごい量の記事がでて「山形」の宣伝になります。 あの量を宣伝費になおしたら、すごい金額になりそう… これらのことが、あの予算でできるなんてすごいと思う。 それに、映画祭期間中は山形市内のホテルは予約するのも大変になる。 たくさんのお客さんが来て、ホテルや飲食店などでお金を使うから、経済効果もある んです♪ こんな映画祭が今年の10月に開催されます。 得体の知れない映画を朝から晩まで観て、晩から朝までいろんな人と語り合う。 1週間続くとけっこうキツイ。極楽と苦行(笑)紙一重の映画祭ですが「あら〜、どだな 映画すんだべ〜?」(←山形弁)と思ったアナタ! リンクのところに、山形映画祭のリンクをはりました。どうぞ、ご覧ください♪
あたらしい町に 住むことになったけれど
知り合いもいないから 退屈しのぎに 喫茶店 木製階段のきしむ音が 呼び鈴がわり コーヒー飲みながら 見下ろしていたきみは ジャンプしたら手が届きそうだったね 呼び鈴を聞けなくなって どのくらい? もう きみの頭には ジャンプしたって届かない あれから ずいぶん時間が過ぎたんだね あれから ぼくは何ができて 何ができなかったんだろう?
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|