そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
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雪がとけていくさまは 卵の殻がやぶれるそのもので
土のうえには 太陽と星のこどもが あゆんでいく さきを導かれている あゆんでいく さき そこは 近い未来に石の塊に蓋をされてしまった 今の過去が幻影になるつつあるので 頼りない手帳をもとに 太陽と星のこどもの遊び場を さがしに 吠えかたを知らない 犬のむれに見つからないように 爆音なり響く 畦道を 生まれることのなかった 兄に手をひかれて (たえず 僕につきそう影のひとりは彼に違いない) 散らない 櫻の森へ まがいものの太陽に 抗いながら 太陽と星のこどもの遊び場を さがしに
母さんには しかめっ面されるけど
穴のあいたGパンが お気に入り 靴だって 壊れかけがいい こっそり でかけて パン屋でパンのミミを買ってきたら 木のうえでねむる練習をするんだ 落ちないように 何で そんなことするのかって? いろんなものを よく観ていたいから
遠い町の出来事だと思ってたけれど
桜がついに 僕の町にもやってきた もう学校へむかうバスが 遅れることもなくなるんだ バスのうしろで あいつはいつも隙間をあけていた ほかの生徒や客に気づかれないように 僕はきまってそこにすわる 言葉にならない挨拶と一緒に 学校でだって 話することはないもの 雪のおかげで いつもより ながくすわっていられたよ 僕のとなりで あいつが画集をめくる ゆび 絵の具のついた ゆび そこの空間だけ 聖域だった もうそれが短くなるんだ いつもより ながい聖域をくれた 雪にありがとう
いくらヒマとは云っても毎日毎日、ノラさんで遊ぶわけにも行か
ない。 暖かくなって頭も冬眠からさめてきたので、本でも読んでみる。 ひさしぶりに江戸川乱歩さまの小説を読む。 江戸川乱歩さま、横溝正史さまの小説を読むたびに、故郷に戻ったような気持ちになる。 そして、ちょっとカルピスでも飲みたくなる。 子供のころは謎解きに熱中して読んだけれど、大人になってから 読み直すと、東京がどれだけ変貌をとげたのかわかって面白い。 東京のあちこちに、森や畑があるって不思議…。 町並みの描写を読むと、大正、昭和が遠くに感じられます。 が、江戸川乱歩「二銭銅貨」(大正12年。1923年発表)の主人公の貧乏描写が素敵(笑) 春になると質屋に羽織、下着、火鉢を預けられるから、貧乏 人は助かる…といった描写がでてきます。 「D坂の殺人事件」(大正14年。1925年発表)には喫茶店で安い コーヒーをお代わりして、1〜2時間つぶす主人公がでるし。 僕は質屋さんのお世話になったことはありませんが、春が近づく につれ、湯たんぽのお湯を沸かすガス代が減るだの、カイロを買 わずにすむだの、春になると助かるの〜と安心したり。 コーヒー1杯で何時間も喫茶店にいたりしたことがあるから、貧 乏描写に、時間的には遠い大正時代が身近に感じられました(笑) 江戸川乱歩さまにでてくる人物は、暇だから屋根裏に登る。ぐーたらぐーたらしてると思ったら、パノラマ島作りだす。 何か、微妙に親近感を覚える人物が次々でるのは気のせいだろう か(笑) ノラさんの相手をしているうちに、事件に巻き込まれないように 気をつけなきゃ! ※ちょっと花粉でハイな永島がお送りしました。
からっぽ巣箱
鳥が巣立って どのくらい どれだけ 空の旅を楽しんでいる どこかに いい巣を見つけたろうか 巣立った小鳥のことは気にかけるのに 自分がいた巣箱のことは気にかけないでいる
彼は
遠いむかし 出会うことのなかった詩人ににていた みめ かたち 運命さえもにていた それは とまらない 歯車のような 何かのイタズラのようだった
風の行方をみにいこうよ
名前も告げずに 電話口 あいつの気まぐれ 僕の楽しみ 気乗りしないふりをする あいつから チョコレートをせしめるために 風に飛ばすものを 鞄につめたら 丘のうえ 風の行方がみえる 丘のうえ 椅子 椅子はいらない ダッフルコートのポケットに 一緒に手をいれていたら 飛ばされないもの 風に飛ばされていくものは 風の故郷へ 双眼鏡で眺めているうちに ダッフルコートのポケットのチョコレートは やわらかくなっていた
田舎町で育った中学生は、古本屋というものに出会ったことがな
かった。 かわりに、古本も並んでいる新刊の本屋には出会っていた。 広さは八畳くらいで昼間でも薄暗い、本棚には新刊のマンガが場 違いのような色彩をはなっていた。 お店の主人はいつも、ひとり事を呟いている。 同級生の中には「気味わるい」と云うのもいたけれど、子どもの 頃から知っている本屋なので「こういうもんだ」と慣れていたの で気にもならなかった。 ぼくのめあてはマンガではなく、昔の値段ででている文庫本。 昔の値段でもあり、他の本屋ではみることのできないい装丁で、 珍しくて、少ないこづかいから何冊か手にいれた。 そのうちの一冊は芥川龍之介「少年・大導寺信輔の半生」(角川 文庫、昭和四十四年発行)で、いい具合に薄茶いろで、不思議な 甘い香りをいまも漂わせている。 本棚に本が少なくなると、主人作の油彩画が並ぶようになった。 年々、油彩画が増えていき、本屋なのかアトリエなのかあいまい な空間になっていった。 高校にはいり、隣町に遊びにいくようになり、この本屋にも滅多 にいかなくなった。 いつのころからか、カーテンを締め切ったままになり店の窓やトタン(トタンといえばセンベイ!)でできた壁に、絵が描かれるよ うになった。 世界の平和を祈るような文字があらわれて、本屋は更地になって しまった。 本屋が更地になって何年かあとに、タルコフスキーの「ノスタルジア」に出会った。 世界の平和を祈り続けるドメニコの姿に、ふと、この本屋の主人 を思いだした。
まるくて黄色のものに、ドキドキ。心がわくわくします。
満月、たまごボーロ、ホットケーキ、どら焼き、甘食… 「満月以外食い物じゃないか」という気がしますが(笑) ネズミに耳をかじられる前のドラえもんも素敵です。 何故だか、こういったまるくて黄色のものをみるとわくわくする のです。 中学生のころは、満月になると自転車で後をつけたものです。 大人になると満月の後をつけるよゆうもなくなり、くもりや雨と もなると満月をみることもできません。 しばらく満月をみていないなぁ… そんな時は、昔ながらの鉄製のフライパン。オリーブオイル。 溶き卵。 テフロン加工とかいろいろあるけれど、夜空を演出するには、鉄 製のフライパン!。 熱を放つ夜空に溶き卵を流しこむと、やわらかい、甘い香りの満 月のできあがりです。 ただ、地上に降りた満月はあっという間にきえてしまいます。 やはり、満月は夜空に浮かぶのが一番のようです。
夢の中が祝祭だったので
青い朝は いっそう 静か 帰りそびれた ほたる魚の泣き声は ひっそり 塀のかなたの笛吹き むかし ねむった人のことを思いだしているうちに ほたる魚の泣き声は 川に落とした 砂糖菓子のように…
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