そらいろキップ

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七人の侍(1954年)   黒澤明監督

この1週間は大変だった…。
ひさしぶりに「七人の侍」が観れるかと思うとソワソワ落ち着かなくて、当日の朝は5時に目がさめるし、手も足も気のせいかソワソワ。
黒澤明監督の映画が観れる日は何だか、とってもとっても特別な日に思える。
山形にいた頃、なかなか黒澤さんの映画がかからなくて、東京で上映があると知るや、夜行バスやら新幹線で観に行ってたからかも…。

ひさしぶりに観た「七人の侍」は、あっという間に休憩になってあっという間に終わ
ってしまった。
カメラのすごさ、役者さんの「たたずまい」の美しさ。音の入れ方、例えば、緊迫した場面は音を下げたりとか、その場面は時間を計れば短いんだろうけど、映像と音の組み合わせで長いようにも感じられる。
そして、あの編集のすごさ!
前の作品「生きる」の仏間の場面の編集は、たまげて椅子から落ちそうになった。

黒澤さんの映画を観るたびに、映像表現って無限の可能性があるんだなぁ…と思う。

「七人の侍」は1954年(あ「ゴジラ」と同じ)の作品で、戦争で日本中が焼け野原に
なってから10年もしないうちに作られた。
敗戦後、「民主主義」がやってきてしばらく「時代劇」が撮れない時代がありました。あれ?何か不思議。
しばらくして「時代劇」が作れるようになりました。
映画の設定は、戦国時代で戦が戦を生んでいくうちに野武士があらわれて、殺戮、略奪の被害にあう百姓が「侍」を雇い、村を守ろうとする…という映画は戦争、敗戦、戦後の混乱期を体験した人々には、どう見えたんだろう?

「七人の侍」は戦争に、巻き込まれた人々の気持ちを代弁したり、時には人間の「したたかさ」も伝えてくる。
「侍」と「百姓」はお互い、理解しあうようでいて、どこか「溝」がある。
ハッピーエンドに見えて、どこか寂しさが残るのは何故だろう?
戦が終わってしまえば「よそ者」になる「侍」の姿、敗戦後、兵隊だった人々にはどう見えたんだろう?
あの最後の台詞って複雑な一言だなぁ…。










posted by 永島大輔 20:18comments(0)trackbacks(0)pookmark





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