そらいろキップ

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モアナ 南海の歓喜 ロバート・フラハティ監督

ロバート・フラハティ監督/共同監督フランシス・フラハティ モニカ・フラハティ『モアナ 南海の歓喜』。


ある年、山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加する事になったけれど、記録映画とは、どんな物なのかさっぱりわからない。

その時にみせてもらったロバート・フラハティ監督『極北のナヌーク』や『アラン』、小川紳介監督、小川プロダクション『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計 牧野村物語』。

木造の校舎や公民館で16mmの映写機の音ととともに記録映画のフィルムは廻っていた。

あの時以来、ロバート・フラハティ監督と小川紳介監督、小川プロダクションの存在は山のように大きい。


未見だった『モアナ 南海の歓喜』デジタル技術で修復された本作は、昔の映画。無声映画はボロボロの雨(縦の傷)が入った映画という思い込みを根底から覆す。

可燃性のフィルムでなければ表現できない美しい白黒の粒子が、空、海原、大自然となりスクリーンによみがえり、よみがえった人達は親しい友人に微笑むように100年後の観客に語りかけてくる。

時々、ぎこちなく感じる映像の動きは撮影者の身体感覚を感じさせて未知の映像体験へと導いていく。


おなじ土地で暮らしを共にする事で生まれる記録映画。

子供の思い出話をフラハティ監督達が面白がり、それを再現したと思われる場面を含めて『モアナ 南海の歓喜』には、撮影の対象となる人達と撮影者達が共に映画を作る喜び、記録映画を演出する幸福感があった。

フラハティ監督の映画をみてしまうと、記録映画に演出(やらせ)がある事が非難されるたびに「記録映画に対する考え方が100年ほど遅れているのでないか?」と思ったりする。


フラハティ監督の映画の遺伝子は現在にも受け継がれていてる。

『モアナ 南海の歓喜』や『極北のナヌーク』『アラン』は異なる時間で撮影された場面が映像を編集する事により、おなじ時間、おなじ場所で起きた出来事のように感じさせる。

本多猪四郎監督がフラハティ監督の映画が好きだったという話を思うと、『ゴジラ』をはじめとした、異なる空間で撮影された怪獣と人間がおなじ空間にいるように感じる、あの編集がフラハティ監督の編集と重なる。

そして『モスラ』のインファント島はポリネシアで、あの舞踊の原型は『モアナ 南海の歓喜』にあるのではないかと夢想したりする。

posted by 永島大輔 19:22comments(0)trackbacks(0)pookmark





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