そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。




<< 星空   トム・リン監督 | main | ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 スティーヴン・スピルバーグ監督 >>



スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by スポンサードリンク |-|-|pookmark





日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち   ホアン・ヤーリー監督

詩人と映画館や美術館の帰りにガス燈の灯る町を夜の果てまでさまよい歩く。


夢物語と思われていた願いがホアン・ヤーリー監督『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』を通してついに叶った。

それまでみてきた、いままでみてきた、これから作り出そうとする芸術について途切れる事なく語り続ける詩人達のとりこになった。

ながいあいだ探し続けていた人達が映画館のスクリーンの向こう側にいた。


台湾の詩人達が日本語を使い。

日本語で思考し日本語の詩を創作する。

僕がふだん使っている日本語と詩人達との日本語の違いはそのまま、言語の快楽へと変貌していく。

このまま永遠に言語の快楽と映画と音楽が出会った奇跡に耽溺していたかった…。


『日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち』は台湾の歴史を描くと同時に戦前の日本ではどのくらい芸術が豊かであったか、日本を知るうえで貴重な記録映画。

その芸術は戦争で破壊されつくし、台湾は日本の植民地支配から解放される。


植民地支配から解放されたのに漂う喪失感と息苦しさ。

その息苦しさはエドワード・ヤン監督『牯嶺街少年殺人事件』の戦前から台湾に住んでいた人達と戦後に中国からやって来た人達の間にある断絶された関係の萌芽に思えた。

posted by 永島大輔 20:33comments(0)trackbacks(0)pookmark





スポンサーサイト

posted by スポンサードリンク 20:33 |-|-|pookmark


この記事に対するコメント











この記事のトラックバックURL
http://sorairobanana.jugem.jp/trackback/1576