そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。




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ディスカッション:海外からみた佐藤真 字幕の話で思う事

山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 10/8㈰とんがりビル1F KUGURUで開催された『ディスカッション:海外からみた佐藤真』で、マーク・ノーネス氏が佐藤真監督と「方言と方言が生まれた土地の歴史や文化をどう英語字幕で伝えるか?」と試行錯誤した話は、ふだん外国映画をみながら「英語にも訛り(方言)があると思うけど、それを標準語の字幕にするのはどうなんだろう?」なんて思った事があるので、とても興味深い話でした。


僕は山形という土地柄もあってか、お年寄りの話を聞く機会が多い。

おなじ山形県でも地方によって方言が違い、年代によって方言の語彙数が違ったりします。あてずっぽうですが、生活環境の変化とかあるのかも。


お年寄りによっては、ひとつの言葉(本題)にたどり着くまでに、けっこうな時間を要する事があります。

聞く側からすれば「もう少し要点をまとめて…」と思わないでもないけれど、話をする側での頭の中では「一番伝えたい言葉にたどり着くまでに、いろんな思い出が映像となって現れているのだろうな」と考えながら、聞く側も言葉の断片の連続から映像を想像したりします。

その映像に没頭しているうちに、僕(聞く側)はその人の『雰囲気』を記憶しつつ必要な言葉以外は淘汰していたりする。

ぶっちゃけた言い方をすると、聞いても聞かなくても同じ事のような気がしてきて(失礼なやつだなぁー)本題以外の言葉がノイズと化して、その人の目には見えない『雰囲気』の割り合いが多くなっていく。


参考資料として上映された佐藤真監督『阿賀の記憶』の一場面。

新潟県の地元のお年寄りの話が延々と続き、雪道が現れる。

新潟の方言なら何となく、わかるかもしれない。

お年寄りの話に集中して耳をすましているうちに、お年寄りの話にあわせて佐藤真監督がこの雪道の風景の映像を編集している事がわかる。

それは、お年寄りと佐藤真監督達との人間関係から生まれたもので、お年寄りの雰囲気を表現していて、声を代弁している。

ある意味、方言を映像表現に翻訳しているように思えてくる。


「たぶん、この話をしているお年寄りの中では、このような思い出がよみがえっていて、一番言いたいのは『朝鮮人』という言葉で、朝鮮人の人が日本で労働させられた事なんだろうなぁ〜」と考えながらみているうちに『朝鮮人』以外の言葉がノイズと化して雪道に同化していく。


そう感じた瞬間に現れた字幕が「KOREAN」ひとつだけだった!!。

わーすごい!。大当たり!なんかちょうだいじゃなかった。

こんなに省略していいもんなんですか!?。大笑いしながら、どういうわけなのか『イメージの午後 レオ・レオーニ&松岡正剛 間MAの本』(工作舎)が頭にポンと浮かんできた。

posted by 永島大輔 14:55comments(0)trackbacks(0)pookmark





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