そらいろキップ

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汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

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アイヒマン・ショー

ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督『アイヒマン・ショー 歴史を写した男たち』はマルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』と組み合わせてみたくなる映画でした。
この二つの作品に共通しているのは、ユダヤ人を強制収容所に送る重要な役割を果たした、アドルフ・アイヒマンをナチスという肩書きを抜きにして『何故、人間が人間に対してこんなに残虐な事ができるのか?』人間の行動そのものに迫っていった所です。
映画の中に、その発端となる事が出てくるけれど、現在の日本の姿と怖いくらい重なるものがあって寒気がした。

『アイヒマン・ショー』は強制収容所を生き延びた人達の証言に向かい合う事で、アイヒマンがどういう反応(表情)をするのか、彼が心を持った人間である事を証明するために、記録映画の監督レオ・フルヴィッツは、身体の仕草の細かい所まで記録していく。
民族や思想の枠を越えて、人間として記録していく姿をみていたらレオ・フルヴィッツ監督の映画がみたくなりました。

当時の記録映画と現在の俳優達が演じた劇映画がたくみに編集されて、実際の裁判『アイヒマン・ショー』を同時代にみているような感覚になります。
「この状況を撮影できるのってナチス側の人間だよなー」という記録映画が出てくるのですが、それが、編集と音入れによってナチスを糾弾する映画に生まれ変わっている。
いい事だとは思うのですが、編集次第で話の内容が変わるし、過去の映画と繋がっているように思えるし、映画とは胡散臭い代物だなぁー。
そこが好きなんだけど。
しかし、あの感動的なラストで何でこんな事を考えなければならないのか…。






posted by 永島大輔 19:00comments(0)trackbacks(0)pookmark





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