そらいろキップ
言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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東京にいた頃、僕の部屋のまわりは、野良猫のたまり場だったみたいで、屋根の上、塀の上に野良猫がいて、ベッド下から出てきた時もあったのに、雪国だと野良猫の姿を滅多にみかけない。
窓の外。 野良猫がゆうゆうと散歩していた、屋根や塀は雪が積もって通行止め。 こんな時は、野良猫はどうしてるんだろう。 どこかの家のこたつで冬眠でもしてるんだろうか?。 はやく、春がこないかな…。
あけましておめでとうございます。
本年もみなさんにとって、いい年でありますように。 不定期更新のブログを読んでくださりありがとうございます。 元旦はぐーぐー寝てようと思ったら、やたらと、はやく目がさめてしまいました。 雪が降ってるかなと思ったら、ちょっと晴れてるみたいなので、お餅を食べたあと、散歩してきました。 こっちの空は東京にくらべて、水色の割合が多くて眺めていると、欠伸が出てくるような空です。 雪が降る事が多いので、初日の出の期待はしてなかったのですが、たまたま、山の向こう側から太陽が登ってきました。 見てると気持ちのいいものです。 初日の出があるんなら、初月の出を見る風流な事が、あってもいいと思うんだけど、新しい夜の始まりって、妙な期待感があるのですが、夜は寒すぎて、散歩は無理かも…。
山の天気は変わりやすい。
ふだん意識してないけど、山の中に暮らしてるようなもので、天気が貼りあわせたように、変わります。 ある夕方。 雷曇の雨に降られて、すこし歩くと晴れ間にたどりついて、地球の反対側へむかう太陽が橙に輝きながら、虹を作ってました。 ほんの十数分の出来事。 この貼りあわせたような天気を遠い町に住む友人に見せたかったな。
確か去年の今頃だったかもしれない。 なんちゃって詩人という詩の掲示板をひさしぶりに閲覧している時に伊達風人さんの父上の書き込みを読みました。 若くして亡くなった息子の詩を読んでほしいといった内容でした。 『きっと詩を読みます』という書き込みをしたものの、僕は本当、不勉強で伊達さんがどんな人かも知らなくて本を探しだせずに1年近く過ぎてしまった。 ちょっと調べた所でわかったのは、伊達さんは山形市出身で、お墓は上山市の牧野村にあるという事くらい。牧野村といえば、小川プロが生活していた村で、僕の映画好きな人生にいろんな影響を与えてくれた村。何か不思議なものを感じました。 先日、フォーラム山形に映画を観にいった時に『幸せの経済学』のチラシ置き場を何気なくみたら〈詩人・伊達風人からのメッセージ〉という冊子が置いてあって、びっくりして手にとりました。 大切に読もうと思います。 僕は宗教は何も信仰してなくて(むしろ宗教は避けているかもしれない)初詣、墓参りに行くくらい。それでも『見えない力』に引き寄せられてる事ってあるのだなと思いました。
昔、昔の事。
その頃は携帯電話も無くて電車を待つ間の暇潰しといえば、本を読んだり、ノートに落書きしたり。夢想の世界にひたっていたり。 そんな時に本の挿し絵に出てきそうな2人組の少年がいました。 全然見かけた事がないから、違う学区の人達だと思う。 1人は当時の山形にしては珍しい長めの茶色の髪の毛で、白い肌。びっくりしたような丸い瞳をしていました。演劇に使いそうなオーバーオールを着ていて、もう1人は小柄な人で黒い髪、日に焼けた肌をしていて黄土色のコートをはおっていて。『銀河鉄道の夜』のカムパネルラとジョバンニを見かけたようで楽しかったなぁ…。 何故かわからないけど、山形に戻ってきて、あれから時間が過ぎて変わった町を歩いてると、この2人組の事や、もう無くなってしまった、隠れ家みたいな洋食屋さんを思い出します…。 思い出してばっかりじゃいけないんですけどね…。
眠るのが好きで眠っている間に夢の中をどう散歩するか、全力をかけているような気がする。
夢の中は足並み揃わない世界で、起きている間の何メートル先には何があるのかが通用しない。 いつのまにか、僕は顔馴染みの声しかしない主のいる山小屋風の喫茶店にいるし、誰なのかはよくわからないクセに幼なじみな友達と川の中の無人島にいたりする。 彼の風貌はよくわからないけれど、「さすらいの孤児ラスムス」といった外国の本の挿し絵に出てくる人に似ている。 たぶん前世か精神遺伝の記憶がごちゃ混ぜになって、何かを訴えに来ているんだと思う。 一度、夢の中でしか会わないはずの幼なじみと起きている間に出会った事がある。 夢で今まで出会っていた証拠に、彼は僕が何か言うといろんな事を言いあててみせた。 楽しい日々だったけれど、夢の中の人たちは、足並みの揃う世界では暮らしにくいらしく、ちょうどいま頃の季節に、足並みの揃わない世界へ帰ってしまった。
このブログを始めるまで、インターネットをやった事がなかった。
僕には新しい道具で、何となく、その道具は「懐かしさ」や「ノスタルジア」は無縁だと思ってたんだけど、ちょっと違ったんだね。 遠く離れた地で、水たまりの深さを測っていた少年の事。彼の書いた詩や文章を思いだしてる。 それは、真っ暗闇な宇宙に銀色の鉛筆で想いを綴っているみたいだった。 近いようで、遥か彼方の星のような詩の数々は、初めて読んだのに泣きたくなるくらい懐かしかった。 でも、その大部分は、違う宇宙に旅しているから繰り返して読む事ができないんだけど、あの時の宇宙はぼんやり、懐かしさを宿して存在してる。 時々、気まぐれな彗星みたいに詩を書いてくれたら嬉しいな、なんて考えてみる。
本日、──月刊 現代農業2011年9月号 福島県飯舘村の酪農家・長谷川健一さんの話NPO主催の「飯舘村に今も住み続ける酪農家・長谷川健一さんのお話を聞く会」という記事を見つけました。
www.ruralnet.or.jp/gn/201109/iidatemura.htm 飯舘村は東京の二子玉川の復興チャリティーでお酒をちょっと、いただいたりしました。その時に頂いた村を紹介する冊子は、村興しに力をいれた暖かいものでした。 その村で何が起きていたのか、この記事はぜひ読んでください。 「現代農業 飯舘村」か「www.ruralnet.or.jp/gn/201109/iidatemura.htm」で検索すると記事がでてきます。
東京にいた頃は夜中でも明るくて「暗闇」の存在が貴重に思えて、田舎に行ったら夜、散歩するぞ〜とはりきっていました。
夜になりかけで数えるくらいの星の頃から漠然と丘の上を目指して歩きだす。 そこは、風の吹き心地がいいのと、少し恥ずかしい思い出があったりする。 田舎道の事なので、街灯も旅人の帰りを待ちわびているように心細く、丘の上の近くにもなると待っていやしない。 それなりに、木もしげっているから、真っ暗になる。距離感がよくわからなったところへ、風の音や、くぼんだ町にかすかに反響している踏切。そして、虫の鳴き声。 自分がこの世にいる事が不確かに思えてくる。 ぶっちゃけ、怖くてスッタカ、スッタカ街灯のあるほうへ、よそ見しないで小走りになります。 暗闇は貴重というけれど、はっきりいって怖いよね(笑)。
ひさしぶりに『なんちゃって詩人』を開いてみました。
3.11以降、気持ちに全然余裕がなくて開く事ができませんでした。 掲示板を見ていたら、伊達風人さんという詩人さんのお父さんの書き込みがありました。 僕はこの時、初めて伊達風人さんの名前を知りました。 まだ若いのに亡くなってしまったそうです。 伊達さんが更新されていたホームページも消えてしまうので、消えてしまう前に息子の詩を読んでくださいという書き込みでした。 残念ながら僕はホームページを見る事ができなくて、ネット上を旅する伊達風人さんの作品を読む事になりました。。。 『かえるの舌』古代の世界に接続したようで、ぞくっとするのに微笑んでしまう不思議な詩です。 伊達風人さんは、おなじ山形の人だし、少しは広める事ができるといいなと思い紹介しました。
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