そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







さよならくちびる   塩田明彦監督

木炭の素描の美しさに似た映像と編集。音楽を道連れにした男と女の旅の記録は、性別と性的嗜好の境界線を越えた所で交わる情念がスクリーンに現れる事なく、みる者の心の中で燃えあがる。

その炎が消えたかと思えば、くすぶり続け重要な主題となる音楽と歌詞(言葉)に乗せて、ただ、ただ、彼、彼女が隣に存在する至福へとむかっていく。

この関係性はロベール・アンリコ監督『冒険者たち』を思い出させ、ジョヴァンニ・パストローネ監督『カビリア』の記憶へと辿り着く。

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ペパーミント・キャンディ   イ・チャンドン監督

韓国映画から独裁政権の怖さ、民主主義の大切さを教わる事が多い。

チャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』ヤン・ウソク監督『弁護人』チャン・ジュナン監督『1987、ある闘いの真実』。

迫害された人々の映画は何本かみた事があるけれど、同胞を迫害した人々の人生を描いた映画はあまりみた事が無いような気がする。

『ペパーミント・キャンディ』で同胞を迫害した人が過去への思いを募らせるたびに、演じる俳優が若返っていく事への驚き、そして、時代が変わるにつれ思想がひとつ、またひとつと剥がれていき、純真無垢な人格が現れた時、この人も人生を破壊された事に気づかされる。

イ・チャンドン監督の人の心を炙りだす演出に、自分の祖父は戦争でパプアニューギニア、フィリピンに行く前はどのような若者だったのか想像してしまった…。

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海獣の子供   渡辺歩監督

宇宙と海の深淵の怖さが精神世界と繋がる映画の作りに、あの映画を思い出させる。

「海の奇跡」と「安海琉花の恐怖の表情」の対比がボーマン船長のあの表情を思わせた瞬間、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の魂が現代のアニメーションに降臨する。

降臨の輝きに現れる鯨の偉大さとおおらかさ。

そして、人影の美しさは、アニメーションにエロティシズムを宿らせた大藤信郎監督『くじら』『幽霊船』を思わせる。

 

予告編のアニメーションの動きに「これは何かある」と思ったけれど、米津玄師様が主題歌を担当しているとか、『縄文にハマる人々』の山岡信貴監督新作『トウレップ』が本作と連動しているという理由でみたので、ここまで好きな映画の要素が詰まっているとは思わなかった。

ミーハーな映画バカでよかったー。

映像表現、アニメーションの表現の可能性を追求する映画に出会う事ができて

よかった。

実験映画を映画館でみる事の気持ちよさ。

大感激です!。

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ビューティフル・ボーイ   フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督

前作『オーバー・ザ・ブルースカイ』(2012年)音楽を糧とする夫婦の映画が終わった瞬間に訪れた、あの感覚はどこからやってきたのか?。

新作『ビューティフル・ボーイ』にその事を思った。。
芸能人が薬物に手を出すと、出演した作品がお蔵入りになる。存在が抹殺されるような国とは大違い。
薬物中毒から更生する大切さ。
当時者と家族に訪れる現実の厳しさが伝わってくる。
静かな映画だけれど、編集のタイミングが思いの他、はやかったりするのに目の負担にならない。
夕闇に消えていく一瞬の光景の美しさが連続するような心地のいい編集。

全編に渡って音楽が奏でられているのだけど、これがいい意味で気にならない。抑えられた声の高さ、自然の音。音楽の組み合わせは遠くの木の葉が触れ合う心地よさを思わせる。
この編集と音楽が映画の詩を生み出し、文学の詩と出会い、過去と現在を流浪していた、親の子供への思い。
いつか回復する事を信じ待ち続けていた思いが実を結んだ時に、魂が天に昇る崇高さへとつながっていく。
『オーバー・ザ・ブルースカイ』が終わった瞬間に訪れた感覚に再び出会えた。

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荒野にて   アンドリュー・ヘイ監督

前作の『さざなみ』で映画の登場人物の感情を自然の光、闇、音や風にのせる演出の豊かさが、いっそう輝やきを増している。

映画の場面には写らない、はるか上空をゆく飛行機の音、草原の日陰の虫の鳴き声、木々のざわめきが、新しい土地に暮らし始めた少年の期待を表現し、ある出来事をきっかけに変わりはじめる。

誰にも頼る事もできずに荒野を彷徨う少年に、ささやかな希望が訪れたかと思えば、現実の残酷さを知らせる砂埃が現れ、さあっと引いていく。(それは黒澤明監督『蜘蛛巣城』の霧のような見事さ)その事を認識した時の少年のこわばった顔が黄昏時に浮かぶ。


字幕の仕事をされている方達には申し訳ないのですが、映像と音の表現の豊かさ、チャーリー・プラマーの存在感に映画をみている事を忘れて3分の1ほど字幕を読むのを忘れてしまったのです。

このような体験は滅多になく、アンドリュー・ヘイ監督『荒野にて』に出会えた奇跡にわんわん大泣きしてしまい逃げたトイレは満員だった。

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魂のゆくえ   ポール・シュレイダー監督

牧師の日記。

「経験を感情がうわまっていく」という言葉から、イラク戦争も環境破壊も経験ではなくて感情が優先されがちな事に気づかされる。

『魂のゆくえ』は本来なら自分の信仰心を強固にするための「経験を感情がうわまわっていく」事をきっかけに世界が崩れはじめる。

この既視感はアレクサンドル・ソクーロフ監督『ファウスト』。  

魂の所在を探すうちに、悪魔との契約から得た力を自分の物と思い違いをしたあの姿。

『魂のゆくえ』の牧師は息子を死に追いやった意識。自分達の宗教が隣人を死に追いやった意識。

心の中にあらゆる罪の意識(感情)が形となって現れる。

神の存在を証明するために行動する牧師の姿がかつての聖職者がそうであったように、世間からは異端にうつり、神の奇跡と思えるような出来事は罪の意識の産物にすぎない事が、牧師の感情を克明に記録した日記により暴かれ、牧師の魂のゆくえは神の不在の証明へと辿り着く。

この残酷さと、このスリリングさ。

本当にみたかった映画はこれだ!。

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ブラック・クランズマン   スパイク・リー監督

映画の土台を作られたあの監督の事は大好きだけど、あの映画は「映画の面白さ」とは別に「社会への影響」とは無関係ではないと頭ではわかってはいても、本質を突く形で引用されてしまうと、とても動揺して泣けてしまった…。

それも含めて映画の歴史を絡めた「反骨精神と滑稽に満ちていて、観客を挑発する」たくさんの仕掛けの見事さに「スパイク・リーの兄貴!かっこいい!」声援を送らずにはいられない。

アカデミー賞でのスパイク・リー監督の発言には共感できるので『ブラック・クランズマン』みたら、すっきりしたぁーッ!!。

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シシリアン・ゴースト・ストーリー   ファビオ・グラッサドニア/アントニオ・ピアッツァ監督

『シシリアン・ゴースト・ストーリー』のような映画に出会うために、映画館に通い続けて映画の夢をみているのだと思う。


いつかまた出会う日を信じて待ち続ける。

彼を忘れない事の大切さ。

本来なら出会う事のない映像と映像が出会い、暗闇の奥底からわきあがる情熱は映画の詩、言葉の詩となり、すべての垣根を越えて世界を満たしていく。

映画にみとれているうちに、詩の心を伴った、いくつかの台詞が心のどこかに消えてしまい、思い出せない事が悔しい。

起きた瞬間に大切な夢を忘れてしまったあの感覚。

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禁じられた遊び   ルネ・クレマン監督

美しい農村から人々が消えていって死に包まれた後に、もとの美しさが戻ってくる怖さ。

とても大切な人をなくした時、楽しい思い出よりも、負の記憶がその人を思い出させる事になったりする。

子供の「ごっこ遊び」は、自分が体験した事に対する思いを言葉で表現する代わりに遊びで表現する。

ポーレットはミシェルと「ごっこ遊び」を繰り返す事で両親の記憶を再生しているのだと思う。

戦争や混乱した社会は子供という小さな人をふくめ人間にどのような影響を及ぼすのか。

日本の戦前〜戦後の少年犯罪はいまよりも過激で残酷だった事を知ると、その疑問はさらに深まる。

『禁じられた遊び』の純粋さと狂気は

ドロタ・ケンジェジャフスカ監督『明日の空の向こうに』。ヤーノシュ・サース監督『悪童日記』へと時を越えて繋がっていく。

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未来を乗り換えた男   クリスティアン・ペッツオルト監督


奇妙な間隔で映像が分断と接続を繰り返し、主人公の視点が自己と他者をさまよい歩き、思考が自分以外の人々にも熱病のように伝染していく。

とらえどころの無い迷宮のような映画にみえるけれど、迷宮の奥にあるのは捨てられた人々。

迫害された民族の記憶の集合体だった。

過去の出来事が現在に重なり、映画で表現された時に、それは生々しい現実感を伴いみる者に迫ってくる。

パブロ・ラライン監督『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』。詩人を追いかけているうちに、詩人の思考に捕まってしまう。

あの感覚に通じる凄さ。

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