そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







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夜明け   広瀬奈々子監督

山に囲まれた暮らしが嫌で東京に越してみたものの、しだいに山が恋しくなり東京から少し離れた町へと出かけて、似たような風景に安堵するかと思えば、気候と地形の違いに、居心地の良さと悪さを同時に感じてみたりする。

その土地には知っている人が一人もいない。

『夜明け』に漂うのは、あの「居心地の悪さ」と「人恋しさ」。

感覚を思い出させ、感じさせる映画は貴重。

小津安二郎監督の時代(おそらくもっと前から)から続く「家族はこうあらねばならない」という呪いのような物に縛られた他人同士がひとつ屋根の下に住む。

相手に誰かの面影を重ね、その事を責められた者には、父親の姿に共感と物寂しさを感じ、新しい家族を夢みて息子をぎこちなく演じる者を撮らえる、突き放すかのようなカメラに、声には出せない感情があるのではないかと想像する。

例えば小津安二郎監督の『晩春』に近親相姦の香りを感じるように。

『夜明け』の父親と息子を演じた若者は、純粋に家族の代わりだけを望んでいたのだろうか?。

posted by 永島大輔 00:32comments(0)trackbacks(0)pookmark





ヘレディタリー/継承   アリ・アスター監督


る年、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の特集上映があった。

あたり前だと思っていた価値観が崩れていく他の映画とは異なる作り。

忌み嫌われる存在の視点から純粋に快楽を追求した映画は、簡単に泣けて感動できる映画では描けない人間の姿や感情を果敢に追求していました。

パゾリーニ監督の映画を同時代に出会える事ができなかった寂しさを抱えていたけれど、アリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』には同時代に出会える事ができた。

この驚きというか喜び。

映画の中で起きている事が心霊現象と言うのはたやすいけれど、本当にそうなのでしょうか?。

映画が3人称から1人称へとたくみに使い分けられた時に、母親の存在に苦しめられる娘と祖母と母親の存在と罪の意識に苦しめられる息子の心の中が描かれる。

簡単に泣けて感動できる映画ではできない映像表現は当事者にとっては、これくらい怖くて、苦しい事だと訴えてくるように思える。


それにしても、この前はサリンジャーを追いかけていたのに、こんな目に会うなんて…アレックス・ウルフくんの涙目にやられたー。

何か「キャーッ!似合うーッ!かっこいい」なラストという気もする。

posted by 永島大輔 00:29comments(0)trackbacks(0)pookmark





恐怖の報酬   ウィリアム・フリードキン監督

中川信夫監督『地獄』のように、なかば強引に異界へ放り込まれた人達による「お金のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る形相にびっくり仰天したかと思えば、それより怖いのが「映画のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る撮影。

びっくり仰天の場面の連続から生み出される、ずっしりとした重たさと怖さに込められた映画の意味を考えさせられているうちに、豊かに思える世界を支えている、もうひとつの世界がみえてくる。

『恐怖の報酬』をみていたら、ジッロ・ポンテコルヴォ監督『アルジェの戦い』を思いだした。

強引に物事をすすめると後でしっぺ返しがくるのはどこも一緒なのね…。

『恐怖の報酬』のあの人達の姿は、ある国を体現しているみたいだ。

posted by 永島大輔 20:01comments(0)trackbacks(0)pookmark





A GHOST STORY   デヴィッド・ロウリー監督

デヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY』数年に一度、出会えるか出会えないか、それくらい波長が合う大好きな映画。

たとえれば子供の頃に読んだ作者名も題名も忘れてしまったマンガを古本屋の棚で偶然みつけて「あ!あ!これは!」となるあの瞬間で、この映画に出会えた事がとても嬉しい。

それなのに。それなのに。

ほら、子供って好きな玩具の中身がどうなっているのか知りたくて、バラバラにするじゃないですか、『A GHOST STORY』が始まった瞬間から「これだけ、波長が合うという事はこんな風に音と映像をズラしていったり、長廻しを始めたりするのでは…」。

自分が感動している理由が知りたくて、どんな映画の作り方なのか、頭の中で映画の仕組みをバラバラに分解しだすものだから素直に楽しめないぞ。

不思議な懐かしさを感じるのは、監督がどこまで意識されていたのか、わからないけど、音と映像を微妙にずらしていく事で映画独自の表現を追求していったロシア映画を思い出させるからだと思う(アレクサンドル・ソクーロフ監督『ロシアン・エレジー』とか)

あと、手塚治虫先生の『火の鳥』で描かれた輪廻転生の無常さを感じてしまう。映画が終わった瞬間の不思議な寂しさはこれだ。


posted by 永島大輔 19:53comments(0)trackbacks(0)pookmark





ストリート・オブ・ファイヤー   ウォルター・ヒル監督

大興奮の上映後に映画館のロビーで会った常連さんに年始の挨拶よりも先に「『ストリート・オブ・ファイヤー』めちゃくちゃかっこよかったーッ!!」口走るように報告。

勝手に身体が動きだしてしまう音楽のかっこよさ。

服装、髪型もかっこいいのですが、表には顔が出る事のないスタントマンの方達のかっこよさと動きの美しさ。

あの場面でカメラを引いてワンカットで撮るなんてすげー!。

ダイアン・レインもマイケル・パレも素敵だけど、何と言ってもリーゼントでバイクに跨がるウィレム・デフォー。

ショーン・ベイカー監督『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の優しいおじいちゃんは昔はこんなに暴れ馬だったのね。感慨にふけった次の瞬間の魚屋さんに映画に討ち死にされました。やられたw。

posted by 永島大輔 18:35comments(0)trackbacks(0)pookmark





マンディ 地獄のロード・ウォリアー   パノス・コスマトス監督

ふだんベルイマン監督とかタルコフスキー監督とか言ってるのに、何でこっちのほうに転ぶのかーッ!?。

パノス・コスマトス監督『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』「映画に必要な物はスプラッターとアングラとサイケと爆音なのさ」そんな声が聞こえてきて、血しぶきよけに傘をさしたくなる素敵なカルト映画。

「現像室のランプかよ」な真っ赤な映像とヨハン・ヨハンソンの音楽が爆音となって映画館で渦を巻くこの快感!。

ニコラス・ケイジ様の暴れ馬な姿は無声映画でもいけそう。スプラッター映画における無声映画の表現の可能性がここにある。

もしかして、もう少し長い尺が存在していませんか?という気もする。

posted by 永島大輔 18:31comments(0)trackbacks(0)pookmark





生きてるだけで、愛。   関根光才監督

心が風邪を引いてしまった人の苦しさ。本人で無ければわからない世間から断絶されていく、あの怖さを体現する女優とその姿を撮影する、カメラ。

フィルム特有の質感と長廻しの映像に感情が宿り、みる者の心の奥底を鷲掴みにし揺さぶる、映画に圧倒されるこの感覚は、まさにあの人の映画!ジョン・カサヴェテス監督の映画の遺伝子を受け継ぐ関根光才監督『生きてるだけで、愛。』に出会えた事に心からお祝いしたいです。拍手!。パチパチ。

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寝ても覚めても   濱口竜介監督

『寝ても覚めても』の濱口竜介監督の映画をはじめてみたのが酒井耕監督との共同監督『なみのおと』のおかげか、濱口竜介監督の映画は劇映画で原作や脚本があっても、根っこには記録映画の『語り』の面白さがあると思っている。


その『語り』が標準語から遠く離れて方言で語られ『ハッピーアワー』のように映画の筋から離れるほど、共同体の記憶をたぐいよせてきて、言い伝えが生まれる瞬間に立ち会っている感動をおぼえて、不思議な高揚感を感じる。


『寝ても覚めても』にも「記憶をたぐいよせる感覚」を強く感じるのは、劇中に重要な役割となる写真家 牛腸茂雄氏の作品が現れた瞬間に、牛腸茂雄氏を題材にした佐藤真監督『SELF AND OTHERS』の、あの記憶をたぐいよせる感覚がよみがえってきたからだと思う。


佐藤真監督が映画を撮られていた時代は、映画がデジタルカメラでも撮られるようになってきたという技術的な変化と、今までの記録映画の概念を覆すような海外の作品が公開されるようになった時代で、佐藤真監督は映像表現の可能性を果敢に追求されていた方だと思う。

アレクサンドル・ソクーロフ監督『ロシアン・エレジー』と佐藤真監督『SELF AND OTHERS』をあわせてみるといろんな発見があると思う。

posted by 永島大輔 23:40comments(0)trackbacks(0)pookmark





1987、ある闘いの真実   チャン・ジュナン監督

韓国映画から独裁政権の怖さと民主主義の大切さを学ぶ事が多い。

昨年みたヤン・ウソク監督『弁護人』もそのひとつ。


チャン・ジュナン監督『1987、ある闘いの真実』にほんの一瞬現れる新聞には真実を伝えようとしない新聞を諷刺した漫画が現れる。

本作とあわせて光州事件(1980年)を題材にしたチャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』をみると独裁政権に苦しめられている人達の暮らしを変えるために命がけで真実を世界に向けて報道した人達(ジャーナリスト)の存在を気づかされる。

記録に残し伝える事をしなければ、苦しんでいる人達の存在が無かった事にされてしまう。

真実を追求し、民主主義を獲得しようと闘う人達の姿に心を揺さぶられ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、映画が終わったあとも椅子から立ちあがる事ができなかった…。

posted by 永島大輔 20:33comments(0)trackbacks(0)pookmark





ハナレイ・ベイ   松永大司監督

日本人からはみえない、あるいはみようとしない死と隣のあわせの美しい楽園のような島で息子の幻影を追う母親の姿に、目にはみえない友人が嵐の夜に玄関先に訪れたり、部屋の中を漂っていたり、その姿を確認したくて彷徨っていたあの感覚がよみがってきて、とても切ない。

映像の静と動の不思議な極端なつなぎ方。

映像と音のわずかなズレと、映像に重ねられた波の音に揺すぶられているうちに、母親になる前に息子を失ってしまった人(女性)の姿がみえてきて、さらに切ない。

『トイレのピエタ』をみていない事がとても悔やまれる。

posted by 永島大輔 22:04comments(0)trackbacks(0)pookmark