そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







恐怖の報酬   ウィリアム・フリードキン監督

中川信夫監督『地獄』のように、なかば強引に異界へ放り込まれた人達による「お金のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る形相にびっくり仰天したかと思えば、それより怖いのが「映画のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る撮影。

びっくり仰天の場面の連続から生み出される、ずっしりとした重たさと怖さに込められた映画の意味を考えさせられているうちに、豊かに思える世界を支えている、もうひとつの世界がみえてくる。

『恐怖の報酬』をみていたら、ジッロ・ポンテコルヴォ監督『アルジェの戦い』を思いだした。

強引に物事をすすめると後でしっぺ返しがくるのはどこも一緒なのね…。

『恐怖の報酬』のあの人達の姿は、ある国を体現しているみたいだ。

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A GHOST STORY   デヴィッド・ロウリー監督

デヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY』数年に一度、出会えるか出会えないか、それくらい波長が合う大好きな映画。

たとえれば子供の頃に読んだ作者名も題名も忘れてしまったマンガを古本屋の棚で偶然みつけて「あ!あ!これは!」となるあの瞬間で、この映画に出会えた事がとても嬉しい。

それなのに。それなのに。

ほら、子供って好きな玩具の中身がどうなっているのか知りたくて、バラバラにするじゃないですか、『A GHOST STORY』が始まった瞬間から「これだけ、波長が合うという事はこんな風に音と映像をズラしていったり、長廻しを始めたりするのでは…」。

自分が感動している理由が知りたくて、どんな映画の作り方なのか、頭の中で映画の仕組みをバラバラに分解しだすものだから素直に楽しめないぞ。

不思議な懐かしさを感じるのは、監督がどこまで意識されていたのか、わからないけど、音と映像を微妙にずらしていく事で映画独自の表現を追求していったロシア映画を思い出させるからだと思う(アレクサンドル・ソクーロフ監督『ロシアン・エレジー』とか)

あと、手塚治虫先生の『火の鳥』で描かれた輪廻転生の無常さを感じてしまう。映画が終わった瞬間の不思議な寂しさはこれだ。


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ストリート・オブ・ファイヤー   ウォルター・ヒル監督

大興奮の上映後に映画館のロビーで会った常連さんに年始の挨拶よりも先に「『ストリート・オブ・ファイヤー』めちゃくちゃかっこよかったーッ!!」口走るように報告。

勝手に身体が動きだしてしまう音楽のかっこよさ。

服装、髪型もかっこいいのですが、表には顔が出る事のないスタントマンの方達のかっこよさと動きの美しさ。

あの場面でカメラを引いてワンカットで撮るなんてすげー!。

ダイアン・レインもマイケル・パレも素敵だけど、何と言ってもリーゼントでバイクに跨がるウィレム・デフォー。

ショーン・ベイカー監督『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の優しいおじいちゃんは昔はこんなに暴れ馬だったのね。感慨にふけった次の瞬間の魚屋さんに映画に討ち死にされました。やられたw。

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マンディ 地獄のロード・ウォリアー   パノス・コスマトス監督

ふだんベルイマン監督とかタルコフスキー監督とか言ってるのに、何でこっちのほうに転ぶのかーッ!?。

パノス・コスマトス監督『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』「映画に必要な物はスプラッターとアングラとサイケと爆音なのさ」そんな声が聞こえてきて、血しぶきよけに傘をさしたくなる素敵なカルト映画。

「現像室のランプかよ」な真っ赤な映像とヨハン・ヨハンソンの音楽が爆音となって映画館で渦を巻くこの快感!。

ニコラス・ケイジ様の暴れ馬な姿は無声映画でもいけそう。スプラッター映画における無声映画の表現の可能性がここにある。

もしかして、もう少し長い尺が存在していませんか?という気もする。

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生きてるだけで、愛。   関根光才監督

心が風邪を引いてしまった人の苦しさ。本人で無ければわからない世間から断絶されていく、あの怖さを体現する女優とその姿を撮影する、カメラ。

フィルム特有の質感と長廻しの映像に感情が宿り、みる者の心の奥底を鷲掴みにし揺さぶる、映画に圧倒されるこの感覚は、まさにあの人の映画!ジョン・カサヴェテス監督の映画の遺伝子を受け継ぐ関根光才監督『生きてるだけで、愛。』に出会えた事に心からお祝いしたいです。拍手!。パチパチ。

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寝ても覚めても   濱口竜介監督

『寝ても覚めても』の濱口竜介監督の映画をはじめてみたのが酒井耕監督との共同監督『なみのおと』のおかげか、濱口竜介監督の映画は劇映画で原作や脚本があっても、根っこには記録映画の『語り』の面白さがあると思っている。


その『語り』が標準語から遠く離れて方言で語られ『ハッピーアワー』のように映画の筋から離れるほど、共同体の記憶をたぐいよせてきて、言い伝えが生まれる瞬間に立ち会っている感動をおぼえて、不思議な高揚感を感じる。


『寝ても覚めても』にも「記憶をたぐいよせる感覚」を強く感じるのは、劇中に重要な役割となる写真家 牛腸茂雄氏の作品が現れた瞬間に、牛腸茂雄氏を題材にした佐藤真監督『SELF AND OTHERS』の、あの記憶をたぐいよせる感覚がよみがえってきたからだと思う。


佐藤真監督が映画を撮られていた時代は、映画がデジタルカメラでも撮られるようになってきたという技術的な変化と、今までの記録映画の概念を覆すような海外の作品が公開されるようになった時代で、佐藤真監督は映像表現の可能性を果敢に追求されていた方だと思う。

アレクサンドル・ソクーロフ監督『ロシアン・エレジー』と佐藤真監督『SELF AND OTHERS』をあわせてみるといろんな発見があると思う。

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1987、ある闘いの真実   チャン・ジュナン監督

韓国映画から独裁政権の怖さと民主主義の大切さを学ぶ事が多い。

昨年みたヤン・ウソク監督『弁護人』もそのひとつ。


チャン・ジュナン監督『1987、ある闘いの真実』にほんの一瞬現れる新聞には真実を伝えようとしない新聞を諷刺した漫画が現れる。

本作とあわせて光州事件(1980年)を題材にしたチャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』をみると独裁政権に苦しめられている人達の暮らしを変えるために命がけで真実を世界に向けて報道した人達(ジャーナリスト)の存在を気づかされる。

記録に残し伝える事をしなければ、苦しんでいる人達の存在が無かった事にされてしまう。

真実を追求し、民主主義を獲得しようと闘う人達の姿に心を揺さぶられ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、映画が終わったあとも椅子から立ちあがる事ができなかった…。

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ハナレイ・ベイ   松永大司監督

日本人からはみえない、あるいはみようとしない死と隣のあわせの美しい楽園のような島で息子の幻影を追う母親の姿に、目にはみえない友人が嵐の夜に玄関先に訪れたり、部屋の中を漂っていたり、その姿を確認したくて彷徨っていたあの感覚がよみがってきて、とても切ない。

映像の静と動の不思議な極端なつなぎ方。

映像と音のわずかなズレと、映像に重ねられた波の音に揺すぶられているうちに、母親になる前に息子を失ってしまった人(女性)の姿がみえてきて、さらに切ない。

『トイレのピエタ』をみていない事がとても悔やまれる。

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乱世備忘─僕らの雨傘運動 陳梓桓(チャン・ジーウン)監督  

香港の民主主義、民主的な選挙を求めるデモ隊の人達や学生を友達のような親しさで撮影された陳梓桓(チャン・ジーウン)監督『乱世備忘─僕らの雨傘運動』には「撮影の対象となる人達と同じ視線を持ちながら、今はどのような状況なのか外側から分析する視点」という記録映画にとても大切な要素がある。 

学生運動を題材とした映画といえば小川紳介監督、小川プロダクションの三里塚闘争シリーズや土本典昭監督『パルチザン前史』は好きな映画だけど学生運動に対してどこか怖い物を感じてしまう。

『乱世備忘─僕らの雨傘運動』がそれを感じさせないのは撮影された人達の語りには思想の押しつけのような物がなくて、ひとりひとりが疑問に思い、いまはどのような状況なのかを考えて、いつまでも自由に意見を出しあえる雰囲気があるから。 

陳梓桓監督はここに共感して撮りたかったのだと思う。

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止められるか、俺たちを 白石和彌監督×井上淳一脚本

白石和彌監督、井上淳一脚本『止められるか、俺たちを』舞台挨拶に行く事はできないけど、初日の朝一番でみてきました。

僕の中で芸術に熱気と猥雑さが存在した1960年代への憧れは強い。

永島慎二さんの『フーテン』の世界に憧れていたので『止められるか、俺たちを』の若松プロに集う人達の姿には胸が熱くなります。

現在も映画の世界で活躍されている人達が実名で登場する。あの伝説的な人(というか怖そうな人)の若い頃の姿に目が点になり大笑い。そして、映画や社会に対するひたむきさに泣けてくる。

芸術を表現する人が政治的な事を言うと安易に「芸術に政治を持ち込むな」とウザい事を言われてしまう今の時代には、本当、こういう映画が必要なんだと思います。

気持ちのいい映画の爆弾のような映画です。


『止められるか、俺たちを』は映像のしっとり感が魅力的。

夕暮れの後の夜がやってくる木陰の薄暗さとバイクの質感や、夜のプールの水面の透明感や色遣い。デジタルでもこんな表現ができるんだーと発見の連続。

あと「映画にメガネ男子が出るとテンションがあがる」という方は必見。いろんなタイプのメガネ男子が出る。

歌うオバケ(きゃー!)も素敵だけど、Wけんじにやられた。

映画をみていると60年代のアングラ界隈の交流関係がみえてきて興味深い。
タモト清嵐氏が演じているオバケが秋山道男氏という方で、あのJUNEの表紙のデザインをしていた事を知って感動したのでJUNEを買うような、いけない子供でよかったと思いました笑。

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