そらいろキップ
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が
すべての、真実。
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山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 10/8㈰徐辛(シュー・シン)監督『長江の眺め』上映前に『ディスカッション:海外からみた佐藤真』でマーク・ノーネス氏、秋山珠子氏、ジャン・ユンカーマン監督による佐藤真監督が海外に与えた影響について話を聴く機会がありました。 93年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で佐藤真監督と呉文光(ウー・ウェンガン)監督との出会いが中国の記録映画の流れを変える事になった話を聴いた後に徐辛監督『長江の眺め』をみて、監督の質疑応答を聴く事ができた事は中国の記録映画の流れが変わっていく瞬間に出会うようでとても幸運でした。 幻想的で美しい硬質な白黒の映像。 そこに写し出される国に忘れさられた人達が発する言葉は少ないけれど、その服装、日常の仕草、ふるまいでもって、巨大な成長を続ける中国の真の姿を雄弁に語る。 トーキ映画、カラー映画の登場とともに忘れさられた白黒の無声映画がひっそりと進化していて、一気に花が開いた瞬間をみる思いで興奮が止まらなかった。 興奮が止まらなかったのは、映像がとても芸術的なのに、社会をみるまなざしの鋭さ。政治性が両立しているから。 『長江の眺め』の長江の風景は、国民を忘れた国の未来を暗示するようで、この世の果てに連れていかれるような怖い風景に震えあがった。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 10/8㈰とんがりビル1F KUGURUで開催された『ディスカッション:海外からみた佐藤真』で、マーク・ノーネス氏が佐藤真監督と「方言と方言が生まれた土地の歴史や文化をどう英語字幕で伝えるか?」と試行錯誤した話は、ふだん外国映画をみながら「英語にも訛り(方言)があると思うけど、それを標準語の字幕にするのはどうなんだろう?」なんて思った事があるので、とても興味深い話でした。 僕は山形という土地柄もあってか、お年寄りの話を聞く機会が多い。 おなじ山形県でも地方によって方言が違い、年代によって方言の語彙数が違ったりします。あてずっぽうですが、生活環境の変化とかあるのかも。 お年寄りによっては、ひとつの言葉(本題)にたどり着くまでに、けっこうな時間を要する事があります。 聞く側からすれば「もう少し要点をまとめて…」と思わないでもないけれど、話をする側での頭の中では「一番伝えたい言葉にたどり着くまでに、いろんな思い出が映像となって現れているのだろうな」と考えながら、聞く側も言葉の断片の連続から映像を想像したりします。 その映像に没頭しているうちに、僕(聞く側)はその人の『雰囲気』を記憶しつつ必要な言葉以外は淘汰していたりする。 ぶっちゃけた言い方をすると、聞いても聞かなくても同じ事のような気がしてきて(失礼なやつだなぁー)本題以外の言葉がノイズと化して、その人の目には見えない『雰囲気』の割り合いが多くなっていく。 参考資料として上映された佐藤真監督『阿賀の記憶』の一場面。 新潟県の地元のお年寄りの話が延々と続き、雪道が現れる。 新潟の方言なら何となく、わかるかもしれない。 お年寄りの話に集中して耳をすましているうちに、お年寄りの話にあわせて佐藤真監督がこの雪道の風景の映像を編集している事がわかる。 それは、お年寄りと佐藤真監督達との人間関係から生まれたもので、お年寄りの雰囲気を表現していて、声を代弁している。 ある意味、方言を映像表現に翻訳しているように思えてくる。 「たぶん、この話をしているお年寄りの中では、このような思い出がよみがえっていて、一番言いたいのは『朝鮮人』という言葉で、朝鮮人の人が日本で労働させられた事なんだろうなぁ〜」と考えながらみているうちに『朝鮮人』以外の言葉がノイズと化して雪道に同化していく。 そう感じた瞬間に現れた字幕が「KOREAN」ひとつだけだった!!。 わーすごい!。大当たり!なんかちょうだいじゃなかった。 こんなに省略していいもんなんですか!?。大笑いしながら、どういうわけなのか『イメージの午後 レオ・レオーニ&松岡正剛 間MAの本』(工作舎)が頭にポンと浮かんできた。
山形映画祭の楽しみのひとつは、日本でなかなか観る事ができない映画が観れる事で、今年はジャン=ピエール・リモザン監督「YOUNG YAKUZA」。
2007年の山形映画祭で上映された「北野武 神出鬼没」の監督さんで、こちらの映画は蓮實重彦氏が北野武監督に、言葉をかけると、北野武監督が映画について、見えない糸を紡ぐように語り出す、他のインタビューとは違った、会話の面白さゾクゾクしました。 「YOUNG YAKUZA」 はヤクザの世界に入門する20歳のナオキ。親、組員、組長のドキュメンタリー。 映画の中に、ピンとはりつめた空気、組長をはじめとした、組の人達の身のこなし、俊敏さ、黒澤明監督「七人の侍」の侍達の動きの鮮やかさに、通じるものがあります。 その鮮やかさがもっとも表れるのは、組長が先代の組長の形見を説明する時の、形見に触れる時の姿勢、指使い、眼差し、語り。 日々の積み重ねの美学、「仁義」に裏打ちされている、その美学に対する「語り」と「仕草」にカメラが完全に同調している。 同じ言語圏でも難しいのに、何故、違う言語圏でこんな事ができるのか、びっくり。こんなすごい映画が国内初の上映なんてもったいない…。 ドキュメンタリー映画の面白さのひとつは、語り手に同調(共鳴)して、その題材独自のカメラの動きが生まれるところだと思う。例えば、小川さん、小川プロ「辺田部落」の冒頭の村人の語りとカメラのように。 暴力団排除の動きが強くなり、昔のようにいかなくなる時代、暴力団でない人達には、暮らしやすくなるはずなのに、その流れに妙な違和感を覚えるのは何故だろう?。 「親にしてもらえなかった事を、自分が代わりに出来れば」とナオキを受け入れる、組長の姿はどこか孤独で、社会の簡単な線引きだけでは、わからない世界がある事を教えてくれます。 この、孤独感、寂しさ、テキヤさんの世界を記録した木村栄文監督「祭りばやしが聞こえる」を思い出してしまいました…。
山形映画祭インターナショナル・コンペディション「パンク・シンドローム」(監督:ユッカ・カルッカイネン、J-P・パッシ)の感想です。
「パンク・シンドローム」は知的障害を持ったトニ、サミ、ペルティ、カリの4人で構成されたパンクロックバンドのドキュメンタリーです。 ちょっと話はズレてしまいますが、日本の話ですが、知的障害の人達と障害の無い人達、共同の舞踏を何回か観た事があります。 舞踏家の方の方針は、踊りの型を押しつけるのでは無くて、その人が、持っている本来の力(その人が得意とするダンス)を掘り出して、ダンスを作るといったものでした。 「パンク・シンドローム」に出てくる人達が、バンドを始めるきっかけは、「その人がやりたい事をやらせてみよう」という、フィンランドでも少数派の福祉団体の方針が土台にあります。 不思議なもので、同じカメラで同じ題材を撮影しても、撮影者によって、仕上がりが変わってきます。 「パンク・シンドローム」のいい所は「視点の暖かさ」にあると思う。 障害者との境界線を引くきっかけになる、身体の動きや、考え方を、その人の「個性」として接している。 その「個性」が輝く時が演奏している時で、特にライヴをやってる時が素敵、ステージで、この人達があの仕草で爆音鳴らしてたら、飛びはねたくなるのわかるわー!。 福祉とかいろいろ考えさせてくれますが、演奏風景観てるだけでも楽しめます。 爆音上映したら、おもろいやろなー、この映画。
山形映画祭インターナショナル・コンペディション「天からの贈り物 小林村の悲劇」(羅興階/ルオ・シンジェ。王秀齢/ワン・シウリン。共同監督)の感想です。
2009年8月8日に台風と大規模な土砂崩れにより、崩壊した村が復興していく過程を3年に渡り記録した作品。 そこに、村が存在した事が信じられないくらいの巨大な土石流の光景は、そのまま、東日本大震災の津波の被害に通じる物があって、いろいろ思い出してしまいます。 家を失った人達は、仮説住宅からきちんとした住宅が用意されていくけれど、そこには、用意する側の思惑が複雑に絡みあって、村本来の姿からは遠く離れた「箱物」だけが出来上がっていく。 台湾は東日本大震災の時に、ものすごい勢いで日本に対して義援金集めをしてくれた国なので、国内ではこんな問題があるのかと複雑な気持ちになりました。 遠く離れた国で、同じような事がおきている。 思い通りに進まない復興以外にも、災害にあった時に、被災者が「しあわせ過ぎたのかもしれない」とふりかえる時、黒澤明監督「赤ひげ」の地震の場面に重なってきます。 映画の中で小林村の祭りの様子で、車座になり、歌を歌う場面は、日本のご詠歌やアイヌのお祭りと重なってくる。民俗学に詳しかったら、もっと違う視点からも観れそう。 いろいろ重なる場面の多い「小林村」には 「災害が風化されてしまう問題」も取りあげられる。 同じ人物の同じような証言が何回か出てきます。同じ時間だったり、数ヶ月後だったり。 映画の見せ方や尺の問題だけを考えたら切られそうな、その場面は、当事者にとって、災害の記憶は風化しないという訴え、そして、風化してしまう事への抵抗の現れにも思えます。 かつての村の様子、亡くなった人達について、大人だけではなく、子供も含めて自然な表情で語りだします。 「長期間通って相手の信頼を得る」というドキュメンタリーの方法論が、頭に染み込んでいて、すっかり、わかったつもりでいたけれど、それが、具体的にどんな行動か、よくわからなかったりします。 監督さん達に映画について話をお聴きした時の事。 閉店間近の香味庵で監督さん達は、「おやすみなさい」「さようなら」と日本語で笑顔で握手をしてくださった。 映画の中で村の復興がうまくいかないのは、利権優先で動く政府に原因があると徹底批判した監督さんの、笑顔は優しく手は柔らかく、暖かかった。 村人達の表情を自然に撮影できた土台のひとつには、これがあるんだろうなぁ…とハッとしました。 ドキュメンタリーの方法論を理屈だけではなくて、感じる事ができました。 作り手の方に直接お会いして話ができるって、いいもんだな〜。
もうすぐ山形国際ドキュメンタリー映画祭が始まります。
ドキュメンタリー映画というと、難しくて、とっつきにくいという印象がありますが、実際、難しいのもあるけど、劇映画と呼ばれる映画にも難しいものがあります。 多くは日常を、題材にしているから、エイリアンやマフィアが襲ってくる映画に比べたら、身近なジャンルかもしれません。 山形国際ドキュメンタリー祭の特色のひとつは、「ドキュメンタリー映画とは、こういう物だ」という考え方をくつがえす作品を上映しているところです。 個人的には、劇映画の多くが起承転結や約束事を必要とするのに比べて、ドキュメンタリー映画は、作り手にもよるけど、自由奔放にできるような気がします。 もうひとつの特色は、作品を作ったのはいいけれど、国によっては、上映したら体制に睨まれたりしますが、その国の映像作家を支援しているところです。 その国の人達が、日本に来て生き生きと話してる姿は見ているだけで、楽しくなります。 もしかしたら、小さな種蒔きかもしれませんが、遠く離れた国と影響しあってるかと思うとわくわくしてきます。 ふだん、情報の向こう側にいる国の人達の生の姿に出会い、話を聞くと、今、住んでいる社会で、伝えられている事のどれが信用できる情報か、考えるいい機会になります。 ぜひご来場ください。
1992年2月7日に小川紳介さんが亡くなられてから、21年になります。
何かと出遅れる、僕の人生で最大の出遅れ感は小川さんに会えなかった事。 小川さん、小川プロダクションの人達が山形に来なかったら、山形映画祭も無かったかもしれない。出会えた人達にも、出会えなかった事になります。 改めて、小川紳介さん、小川プロダクションの人達、小川さんを山形に呼んだ人、山形映画祭の基礎を作った人達に感謝します。 その昔、東京に引っ越すきっかけは、山形映画祭で東京から来た人達と知り合ったのが始まりでした。 10数年近く山形から離れていると、浦島太郎状態で、無くなるなんて考えもしなかった、風景が無くなっていたりする。 正確な山形の方言も知らないし、伝統料理の作り方もわからない。芋煮が作れるくらい。 あらー、あの時の山形はどこにいったんだろう?と思ってた時に、アテネフランセで「ニッポン国古屋敷村」「1000年刻みの日時計牧野村物語」をひさしぶりに観た時は衝撃的だった。 全然古びる事も無く、「あの時の山形」というか「村」が存在していて、おおらかに笑っていた。 映画を観てるというより、どっかの村にフラフラと散歩に行っている感覚は、他のどの映画から滅多に得られないものだった。 フェリーニ監督の「アマルコルド」もこんな感覚におそわれます。「アマルコルド」最高ですよ「アマルコルド」。 小川さんは、消えていく村の記録を残す大切さを大島渚監督との対談で、おっしゃっていたけど、(『小川紳介映画を穫る』117ページ「滅びるときにこそ文化が」)あの言葉の重さがずっしりきました。 ダムや空港、高度経済成長で村が無くなっていった時代だから、実感として、あったんだろうなぁ…。 しかし、もうちょっと早く産まれてたら、牧野村で大島渚監督や淀川さんに会えたり、土方巽様があの扮装で村を歩く姿を拝めたかもしれないのにーッ!。土方巽様のあの、無重力状態な歩き方にはクラクラきてしまいます 本当、出遅れ感、半端ない…。
海女さん。
海に潜って貝を採る人達。 何となく頭の中にイメージはあるけれど、実際にお会いした事はない。 「海女」(1968年/カラー/25分/ディレクター:市岡康子/撮影:多田信/音楽:間宮芳生)は海女さんが貝を採る様子を撮影する。 カメラは海面から海中へ、海女さんに寄り添うように、海底の貝を採る姿を画面を切る事なく、長廻し(!)で撮影する。 カ、カメラを担いで海に潜って海女さんの動きについていってる〜!!。こんな映像は初めて見ました。 海女さんの動きは泳いではいるけれど、空を舞っているみたいです。 海女さんの華麗であると同時に勇ましい「舞い」。 その「舞い」の舞台となる海中は日差しが降り注いで輝いていました。見とれてしまう美しさです。 こんな映像を撮れるなんてすげ〜。
実は何気に男のロマン大爆発!な栄文さんの作品。「飛べやオガチ」(1970年/モノクロ/57分)は、こち亀に出てきそうな、おじさんがでるよ(笑)「空への夢」「オレは人力飛行機を飛ばしてみせる!」に情熱を燃やす男のアツい映画。
2007年の山形映画祭で「ミスター・ペリンコと潜水艦」という「オレは自分で潜水艦を作ってみせる!」という男のアツい映画がありましたが、国籍や時代が違っても、こういう趣味にどっぷりはまる人って、いるのね〜!などと感動する僕は朝から晩まで映画を観たりする。何か「人のふり見て、我がふりなおせ」と映画に言われてるのは気のせいだ!。 「飛べやオガチ」は、生涯をかけて奥さんに支えられながら、旦那さん(高校教師)が人力飛行機に夢中になるんですが、何かまわりに協力者(生徒)が集まってきて、みんなが取り組んでいる場面を観ていると「次は飛んでほしい〜」と人力飛行機が飛ぶのを期待するようになります。 この映画の後はどうなったんでしょうか? あと、もうひとつ男のロマンと言えばこれ!「むかし男ありけり」(1984年/カラー、モノクロ/85分)作家・檀一男さんが晩年過ごしたポルトガルのサンタ・クルス。高倉健さんが足跡を訪ねます。 檀一男さんの思い出話を聞かせてくれるサンタ・クルスの人達は嬉しそう。 でも、これだけ嬉しそうに話してくれる人達との別れは辛いだろうな。 安住の地を求めて、理想の地へたどり着いたとしても、いつかは国へ帰らなければならない。 夕陽が海に沈む場面はその気持ちを代弁するように胸に迫ってきます。 「わたしのテレビジョン-青春編-」を3日と半日観続けた。栄文さんの作品は辛い内容もあるけれど、どこか「祝祭」を思わせる所があるだけに、「むかし男ありけり」でしばらく栄文さんの作品を観れないと思うと「祝祭」が終わる寂しさに包まれました。 …旅先の人達には、よかったかもしれないけど、こんな人が父親だったら、ちょっと…思ったのは僕だけ?(失礼!)
数年前に夢の島の植物園でバナナの食べくらべという、バナナ好きには夢のような企画があった。
その時はじめて夢の島に展示されている第五福龍丸に出会った。 あの船がここに展示されるまでに、こんなに数奇な運命をたどっていた。 出来事、事件は「ひとつ」でも、そこには様々な立場の人達が存在する、第五福龍丸には船の乗組員、船を売買する人。船の保存のために運動する人達。そこには政治思想の異なる人達も存在して、反発しあう人達も存在する。 俳句を詠む集団もいる。 その人達を長期間の撮影と巧みな編集で見事な群像を描きだしたのがこちらの作品。 適切な例えか、わかりませんが、ロバート・アルトマン監督の編集をドキュメンタリーでやってるような、すごい展開。ちょっと話はズレますが、映画好きにはたまんない編集!。 「廃船」には、マスコミの取材に追われた乗組員の話がでてきます。世間から身を隠すように乗組員の中には、生活する人もいるけれど、これも原因のひとつではないか?と疑問をなげかけます。 あと、気になったというか共感できたのは第五福龍丸の保存をめぐって、政治が絡んできて複雑化するなかで、何の政治思想もなく純粋に船を保存したい!と動きだした若者達の姿。 先日、原発に対して経産省の前でハンガーストライキを行った人達。ツイッターのアカウントでは@HungryKinchanさんや @masssssannさんの存在と重なって見えました。 いつの時代もこういう素敵な人達がいるんですね。 「廃船」は昔の出来事だけれど、作品の持つ力で当時の空気感を感じる事ができます。この作品はNHKアーカイブス(各地のNHK放送局のビデオブース)でも視聴できると思います。よかったら、ぜひご覧ください。
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