そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







ミッドサマー   アリ・アスター監督

Ari Aster監督『 Midsommar 』との出会いは『 Hereditary 』に降臨した異世界への旅。 

この異世界は僕にとって心の故郷。


『 Hereditary 』と同じように、わかりやすい、消費しやすい物語になってしまった神話を本来の姿へ戻す試みが「家族」という単位から「村」という単位で過激に展開する。

先住民族の共同体を破壊する事で発展してきた人々の子孫が、先住民族の共同体の慣例に取り込まれていく。この皮肉。

文明社会への報復であると同時に『Midsommar』は共同体の慣例に従わないと生きていく事ができない人々の心の叫び声。良心の呵責。共同体が暴走していく事への恐れが描かれる。

Ernst Ingmar Bergmam 監督の人間観察。 Pier Paolo  Pasolini 監督 が解放した人間の精神と性欲。Peter Greenaway監督の人体の魅力と探究がAri Astera監督の手により、新しい映画芸術に生まれ変わる。

この映画芸術に出会えた事が、とても嬉しい。

Stephen Merchant 監督『 Fighting with My Family 』主演のFlorence Pugh の華麗さと強さを感じさせる身体言語とLuchino Visconti監督『Death in Venice』の美の化身 Björn Andrésen と再会できた事に祝杯をあげたい。

posted by 永島大輔 14:43comments(0)|-|pookmark





この世界の(さらにいくつもの)片隅に   片渕須直監督

戦前の女性の境遇を女性の視点から描く。その視点は木下惠介監督に通じ、当時の社会状況について考えさせてくれる。

絵と色彩、動きの豊かさ。

のんの声で生命を得た「すずさん」と家族、友人達の優しい世界。

音楽の心地よさが映画の世界へと誘う。

「軍国主義」から遠く離れた存在に思える「すずさん」が当時の思想に染まっていた原因のひとつは、映画の中でも使用される「隣組」をはじめとした「軍歌」の「音楽の心地よさ」にあり観客はその体験を共有する。

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と出会う事は知らず知らずのうちに戦争への道を進んでいった人達の記憶の追体験へとつながっていき、『この世界の片隅に』よりも、多くの人達の存在を感じる事になる。


遊廓が日常の中に存在する事の意味。

日本とドイツとの関係。

屋根裏の座敷わらしにユダヤ人の姿が重なり、敗戦後の町に掲げられた旗は見間違いでなければ日本の植民地支配から解放された歓喜の象徴にみえてくる。


優しさに満ちあふれ、親子で安心してみる事ができる本作は「無かった事にされそうな事」が自由に描く事のできない国の映画のように表現され、昔と今の共通点を教えてくれる。




posted by 永島大輔 23:24comments(0)|-|pookmark





冬時間のパリ   オリヴィエ・アサイヤス監督

アナログとデジタルが出会う時。

SNSで誰もが情報の発信者になる事ができる時代への戸惑い、反発。

そして、賛同する人達の姿を通して、それまでの価値観や考え方、芸術の表現のあり方、読み解き方が変わっていく現在の社会を描きだす。

人間が良かれと思って作り出した仕組み(制度)に人間が縛られてしまう姿にミヒャエル・ハネケ監督『白いリボン』の村人達の姿を連想させて、時代が変わっていく事を受け入れる思いにルキノ・ヴィスコンティ監督『山猫』(正確には原作)を重ねて、ジャン=リュック・ゴダール監督のあの映画にも引用されたアルチュール・ランボー『地獄の季節』のあの詩が心にこだまする。

オリヴィエ・アサイヤス監督の社会をみる視野の豊かさに驚き、「どんなに時代が変わっても恋愛のすったもんだは繰り返される」という鼻歌のような恋愛模様に笑いっぱなし。

ところで、映画の前半は映像の粒子が粗く、後半から終わりにかけて鮮明になっていく。

映画の展開にあわせて変えているのか。フィルムで撮影してるのでしょうか?。とても気になる。

posted by 永島大輔 16:58comments(0)|-|pookmark





リアスの風   佐藤利樹監督

東北芸工大映像八期生の卒展で出会った映画。

佐藤利樹監督『リアスの風』。

東日本大震災をきっかけに生まれた町に暮らしてきた人達と移住してきた人達の共同体の記録映画。

映画の作り手が撮影の対象となる人達の姿を限られた上映時間の中に「どのように記録に残し伝えるか」という思いと向き合う誠実さが伝わってくる。

映画の編集の切れ目に現れる1秒にも満たない場面は消してしまえば映画をみるほうは、すっきりするかもしれないけど、そこには共同体の人達と過ごした日々から得た「思い」がたくさん詰まっている。

共同体の人達が海の町に暮らす姿と映画の作り手の「誠実さ」と「思い」は失われた時代に向きがちな気持ちを希望のある未来へと導いてくれる。

posted by 永島大輔 23:24comments(0)|-|pookmark





朝がキライ、   安住悠汰監督

東北芸工大映像八期生の卒展で出会った映画。

安住悠汰監督『朝がキライ、』。

学生でも社会人でもなく何者でもない。

まわりからみれば自由気ままに思えるかもしれないけど、それは不安で心細かったりする。

友達が共に過ごしてくれる夜の心地よさと友達と離れる朝の光に包まれた寂しさ。

感情。空気感。

目にはみえない「感情」や「空気感」を映画で表現するのは難しい事だと思うけど、それがよく表現されている。

『朝がキライ、』は自分語りの映画にみえて環境が変わってしまった友達にむけた応援歌。

優しくて少し厳しい応援歌は友達だからこそ歌える。

偶然なのだけど映画の中の「空気感」が漂う上映会に行く事ができてよかった。

posted by 永島大輔 23:23comments(0)|-|pookmark





パラサイト 半地下の家族   ポン・ジュノ監督

ポン・ジュノ監督の映画の絵作り。

日常の何気ない暮らしの場面から物語の重大な転機となる場面。

すべての場面が鮮烈に目から心の屋に飛び込んできて話の運び方の面白さと人間描写の豊かさに引き込まれる。

深刻な場面でも挟み込まれる「笑い」は黒澤明監督『生きる』のあの「笑い」。

ポン・ジュノ監督の映画にはいろんな所に黒澤明監督の映画作りを感じる。

黒澤明監督の映画を映画館でみたくて、山形から福島や東京へと旅した者には、その事がとても嬉しい。

『パラサイト 半地下の家族』は韓国の社会が抱える矛盾を、ある家族の姿を通して表現する。

とても深刻な場面で大笑いして精神が高揚していくにつれて、『パラサイト 半地下の家族』の寄生虫とは誰の事なのかという疑問が生まれる。

ソン・ガンホ演じる父親は気づいた時には「闘争」「革命」の担い手になっていたのだと思う。

このような形で「闘争」「革命」を煽動する映画を撮るポン・ジュノ監督は凄い。




posted by 永島大輔 15:23comments(0)|-|pookmark





風の電話   諏訪敦彦監督

呉市の親戚の家から生まれ故郷の大槌町へ旅をする少女の心の軌跡と祖国の歴史。

戦前、海軍とともに繁栄した歴史。

日本軍が原子爆弾を作るためにウラン採掘が行われた歴史。

その歴史を抱える国の現在の姿を静かに時に力強く描く。

「即興の演出」と言うけれど映画に登場する人達が、その土地の人達を演じられるように演出の仕掛けが巧妙に用意されている『風の電話』は「記録映画」と「劇映画」の境界線に存在している。

それは戦前へと逆戻りしていく国に対する思いを俳優の身体を借りて表現した

黒木和雄監督『とべない沈黙』に共鳴するようで心の奥をざわつかせる。

『風の電話』は、その土地に住む人達と映画をみる者に対して、心の奥をざわつかせる「覚悟」と「礼儀」を持った映画。

「礼儀」は春の光景となって現れる。

冬と春が同時に存在する。

太陽の暖かさと風の冷たさ。

あの光景はまさしく東北の春だ。

東北の春が映画に記録された事がとても嬉しい。この映画を作られた方達に感謝。


オマケ。

『風の電話』に限らず映画には「そんな偶然があるのか?」という場面がある。
個人的な体験から言えば、こういう偶然はある。
例えば山形から福島に映画をみに行くと、ふだんは北の大地に暮らしている福島出身の友達が帰省したついでに、ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』の同じ上映時間の回をみに来ていて、お互いびっくりしたりとか。
日常がアリ・アスター監督『へレディタリー/継承』してるぞ。






posted by 永島大輔 21:30comments(0)|-|pookmark





Last Letter   岩井俊二監督

高校時代の恋愛への淡い思い出…という体裁だけれど、映画の登場人物が性的役割、社会的役割から微妙な距離を保つ人達で、異なる世代と出会う事で自分の老いを実感し、生への執着と希望の輝きを放った時、映画の主題がルキノ・ヴィスコンティ監督の「滅びの美学」に通じている事に気づき、『Last Letter』という映画に収められた光、空気、家屋、人物のすべてが愛おしくなる。

やや内輪の話になってしまうけれど、映画のエンドロールに、いつも通っている映画館で一時期、働いていた人達が名前を連ねているのは嬉しい。


posted by 永島大輔 23:51comments(0)|-|pookmark





コンプリシティ 優しい共犯   近浦啓監督

近浦啓監督『コンプリシティ 優しい共犯』には「漢字」をはじめとして登場人物の名前やお祭りのある日など、映画のあちこちに中国と日本にとって大切な事が両方の国を繫げる大切な架け橋のように描かれている。

映画は蕎麦屋の主人と中国の青年が言葉が通じないながらも、お互いの存在を必要としていく姿を描く事で相手の存在を認め、気持ちを想像する事の大切さを教えてくれる。


『コンプリシティ 優しい共犯』のもうひとつの主役は「食べ物」。

作る人の心が料理に影響する事とか、料理を媒体として相手への気持ちが表現されている。

中国の食べ物もうまそうだけど、何故、近浦啓監督は山形のうまい物をここまで知っているの?というくらい、うまい物が次から次へと出るぞ。

こんなに蕎麦が喰いたくなった映画ははじめて。あの蕎麦が食べたい。蕎麦ーッ!。

posted by 永島大輔 21:32comments(0)|-|pookmark





家族を想うとき   ケン・ローチ監督

映画の主人公リッキーは「父親」の役割を全うしようとするけれど、暮らしの歯車は少しずつずれていく。

映画はいろんな疑問を提示する。

「父親らしさ」「男らしさ」。

そして「この貧しい暮らしの原因は自分にある」という「自己責任論」はどこから何のためにやってくるのか?。


リッキーの労働時間1日16時間、休日が週に1日は産業革命の時代を思わせて、かつてイギリスを支えてきた炭鉱で働いてきた人達の老後を描く事で、これまで国を支えてきた人達に対する仕打ちを痛烈に批判する。

一方で、その状況でも生き続ける人達への眼差しはとても暖かい。

とても短い場面の積み重ねなのに、俳優の感情の「間」がしっかりと残されていて、人の『尊厳』とは何か教えてくれる大切な映画。

posted by 永島大輔 15:24comments(0)|-|pookmark