そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







迫り来る嵐   ドン・ユエ監督

山形国際ドキュメンタリー映画祭を通して90年代以降の中国の記録映画をみてきたおかげか、映画の中に再現された中国の町並みに懐かしさを感じ、時折、混在する廃墟にそこはもう存在しない場所である事を気づかされて寂しさを感じたりもする。

記録映画に話がずれてしまうけど、王兵監督『鉄西区』では数年間で町がまるごと変容してしまうし、徐辛監督『長江の眺め』では、山奥に近代都市が誕生したりする。

『迫り来る嵐』では嵐のように急激な経済成長を遂げた事で自分達の故郷、存在感を喪失した人達の姿が浮かびあがってくる。主人公の名前、余国偉にはどんな思いが込められているのだろう?。

真実なのか。

狂騒の産物なのか。

10数年前の思い出がすべて消え去っていくのはとても怖い。

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ともしび   アンドレア・パラオロ監督

アンドレア・パラオロ監督『ともしび』映像の粒子の細やかさと陰影の美しさに引き込まれ、朝靄がリリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』の夜霧に重なるシャーロット・ランプリングへの恋文の映画。

シャーロット・ランプリング演じるアンナの暮らしが崩れていく。

言葉による説明が失われた『ともしび』は映像が雄弁に心の中を語りだす。

映像が奥行きを失い、光を失い、硝子に反射した風景が心の中を語りだし、崩れていく暮らしに抗うように芸術が挟み込まれていく。

芸術が人の心を救う手助けになる事があるけれど、監督がその芸術に出会ってきたのではないかと想像してみたりする。ミケランジェロ・アントニオーニ監督『赤い砂漠』が好きだったりするとたまらない映画。



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サスペリア   ルカ・グァダニーノ監督

ルカ・グァダニーノ監督『サスペリア』は前作『君の名前で僕を呼んで』とは異なる作風のようにみえるけれど「当時の社会の価値観、考え方が亡霊のようにとりついている人に訪れる人生の分岐点」という所が共通していて、当時の考え方を想像するきっかけになったりする。

『サスペリア』は第二次世界大戦が終わり東西に分断されたドイツが舞台。

患者思いの温厚な姿をみせる精神科医はナチスから受けた思想から逃れられないようにもみえる。(大虐殺と無縁ではない、この職業でそれはどうかとも思うけど)

『サスペリア』で重要な題材のひとつは『舞踏』という芸術で、芸術の本来の姿は神や悪魔と交信する事により人間の本性をさらけ出す所にある。

精神科医がアーリア人としての誇りを思い返すように、『民族』という名の舞踏の宴が繰り広げられる。 

あの舞踏の宴は、大虐殺の引き金となった思想が再び目を覚ます事への警告のようにも思える。

はじめのほうに精神科医が『サスペリア』をみるうえで、大切な事を言っている「患者は妄想で真実(現実)を語りはじめる」。

ホラー映画ではあるけど、同時に社会派の映画なのかもしれない。



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縄文にハマる人々 3D   山岡信貴監督

ある年「橋口亮輔監督『ヒュルル…1985』がみれるんだって!」という情報がはいり、山形から東京にでかけたPFFで山岡信貴監督『PICKLED PUNK』というパンクでシュールな物凄い映画と出会った。

あの監督さんの新作を山形でみる事ができてお会いできる日がくるなんて。

ありがとう山形映画祭!!。


『PICKLED PUNK』をみたのはずいぶん昔の事なので忘れている所もあるけど『縄文にハマる人々 3D』をみていたら、あら不思議!。

映画から微妙に離れていく語りと音楽。その選曲のかっこよさ!。

映画館に不穏な空気が漂いだし、いびつな快楽に包まれていく、あの感覚がそこにあった。

土偶や土器の模様がじわじわ『PICKLED PUNK』のホルマリン漬けのあれと重なるように思えて、懐かしくなってきた。

しかし、大丈夫か、オレ??。


現在の物のみかたでは理解できない土偶や土偶が立体で現れ「ところでこれは芸術作品なのか?」と考えている所に「工業地帯の夜景は美しいけれど芸術作品ではない」という話が出てくると「芸術作品をみる時の『美しい』とか『不快』とか感じる心はいつ生まれて、どこからやってくるのか?」。

とても大切な問いかけが生まれてきたりする。

縄文時代に思いをはせる映画であると同時に、現在の価値観と社会構造を読み解いていく映画で、めちゃくちゃ刺激的で面白かった!。

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夜明け   広瀬奈々子監督

山に囲まれた暮らしが嫌で東京に越してみたものの、しだいに山が恋しくなり東京から少し離れた町へと出かけて、似たような風景に安堵するかと思えば、気候と地形の違いに、居心地の良さと悪さを同時に感じてみたりする。

その土地には知っている人が一人もいない。

『夜明け』に漂うのは、あの「居心地の悪さ」と「人恋しさ」。

感覚を思い出させ、感じさせる映画は貴重。

小津安二郎監督の時代(おそらくもっと前から)から続く「家族はこうあらねばならない」という呪いのような物に縛られた他人同士がひとつ屋根の下に住む。

相手に誰かの面影を重ね、その事を責められた者には、父親の姿に共感と物寂しさを感じ、新しい家族を夢みて息子をぎこちなく演じる者を撮らえる、突き放すかのようなカメラに、声には出せない感情があるのではないかと想像する。

例えば小津安二郎監督の『晩春』に近親相姦の香りを感じるように。

『夜明け』の父親と息子を演じた若者は、純粋に家族の代わりだけを望んでいたのだろうか?。

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ヘレディタリー/継承   アリ・アスター監督


る年、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の特集上映があった。

あたり前だと思っていた価値観が崩れていく他の映画とは異なる作り。

忌み嫌われる存在の視点から純粋に快楽を追求した映画は、簡単に泣けて感動できる映画では描けない人間の姿や感情を果敢に追求していました。

パゾリーニ監督の映画を同時代に出会える事ができなかった寂しさを抱えていたけれど、アリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』には同時代に出会える事ができた。

この驚きというか喜び。

映画の中で起きている事が心霊現象と言うのはたやすいけれど、本当にそうなのでしょうか?。

映画が3人称から1人称へとたくみに使い分けられた時に、母親の存在に苦しめられる娘と祖母と母親の存在と罪の意識に苦しめられる息子の心の中が描かれる。

簡単に泣けて感動できる映画ではできない映像表現は当事者にとっては、これくらい怖くて、苦しい事だと訴えてくるように思える。


それにしても、この前はサリンジャーを追いかけていたのに、こんな目に会うなんて…アレックス・ウルフくんの涙目にやられたー。

何か「キャーッ!似合うーッ!かっこいい」なラストという気もする。

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恐怖の報酬   ウィリアム・フリードキン監督

中川信夫監督『地獄』のように、なかば強引に異界へ放り込まれた人達による「お金のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る形相にびっくり仰天したかと思えば、それより怖いのが「映画のためにそこまでしなくても…」という鬼気迫る撮影。

びっくり仰天の場面の連続から生み出される、ずっしりとした重たさと怖さに込められた映画の意味を考えさせられているうちに、豊かに思える世界を支えている、もうひとつの世界がみえてくる。

『恐怖の報酬』をみていたら、ジッロ・ポンテコルヴォ監督『アルジェの戦い』を思いだした。

強引に物事をすすめると後でしっぺ返しがくるのはどこも一緒なのね…。

『恐怖の報酬』のあの人達の姿は、ある国を体現しているみたいだ。

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A GHOST STORY   デヴィッド・ロウリー監督

デヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY』数年に一度、出会えるか出会えないか、それくらい波長が合う大好きな映画。

たとえれば子供の頃に読んだ作者名も題名も忘れてしまったマンガを古本屋の棚で偶然みつけて「あ!あ!これは!」となるあの瞬間で、この映画に出会えた事がとても嬉しい。

それなのに。それなのに。

ほら、子供って好きな玩具の中身がどうなっているのか知りたくて、バラバラにするじゃないですか、『A GHOST STORY』が始まった瞬間から「これだけ、波長が合うという事はこんな風に音と映像をズラしていったり、長廻しを始めたりするのでは…」。

自分が感動している理由が知りたくて、どんな映画の作り方なのか、頭の中で映画の仕組みをバラバラに分解しだすものだから素直に楽しめないぞ。

不思議な懐かしさを感じるのは、監督がどこまで意識されていたのか、わからないけど、音と映像を微妙にずらしていく事で映画独自の表現を追求していったロシア映画を思い出させるからだと思う(アレクサンドル・ソクーロフ監督『ロシアン・エレジー』とか)

あと、手塚治虫先生の『火の鳥』で描かれた輪廻転生の無常さを感じてしまう。映画が終わった瞬間の不思議な寂しさはこれだ。


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ストリート・オブ・ファイヤー   ウォルター・ヒル監督

大興奮の上映後に映画館のロビーで会った常連さんに年始の挨拶よりも先に「『ストリート・オブ・ファイヤー』めちゃくちゃかっこよかったーッ!!」口走るように報告。

勝手に身体が動きだしてしまう音楽のかっこよさ。

服装、髪型もかっこいいのですが、表には顔が出る事のないスタントマンの方達のかっこよさと動きの美しさ。

あの場面でカメラを引いてワンカットで撮るなんてすげー!。

ダイアン・レインもマイケル・パレも素敵だけど、何と言ってもリーゼントでバイクに跨がるウィレム・デフォー。

ショーン・ベイカー監督『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』の優しいおじいちゃんは昔はこんなに暴れ馬だったのね。感慨にふけった次の瞬間の魚屋さんに映画に討ち死にされました。やられたw。

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マンディ 地獄のロード・ウォリアー   パノス・コスマトス監督

ふだんベルイマン監督とかタルコフスキー監督とか言ってるのに、何でこっちのほうに転ぶのかーッ!?。

パノス・コスマトス監督『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』「映画に必要な物はスプラッターとアングラとサイケと爆音なのさ」そんな声が聞こえてきて、血しぶきよけに傘をさしたくなる素敵なカルト映画。

「現像室のランプかよ」な真っ赤な映像とヨハン・ヨハンソンの音楽が爆音となって映画館で渦を巻くこの快感!。

ニコラス・ケイジ様の暴れ馬な姿は無声映画でもいけそう。スプラッター映画における無声映画の表現の可能性がここにある。

もしかして、もう少し長い尺が存在していませんか?という気もする。

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