そらいろキップ

言葉や国は関係なしに
汽車に乗り 眠り続ける少年の知らない
記憶の底の底の世界樹が

すべての、真実。







夜のあいだの青空

黒いシャツにやってきた月と自転車について話すつもりだったのに、うたたねを繰り返し、夜のあいだの青空をレコードの匂いにみつけているうちに空回りして床に散らばっていく。

そう。

このソファーはいつもこうなるんだ。

世田谷のアパートで、あの人がアイスティーをこしらえているのに共鳴の夜更け。

友達が来ているというのに音楽ひとつかけない部屋でアイルランドの詩人が目を覚まし(この詩人はこの夜のために8年近く眠り続けていた)破壊の限りを尽くす、夜道を追いかけた楽隊のように語り始めた時には、詩人について調べをはじめた彼の姿が裸電球に照らされた心地よさに、心をなぞっているような尊さがやってくるのは思い込みかもしれない。

また眠くなり話す事ができない。

夜のあいだの青空。


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高速バスからみえる

とても愉快な気持ちになれたのは1人で来る事に慣れていた遠くの町で偶然に彼と出会ったからで、鏡に向かい髪に手ぐしをかけている瞬間に出会えたから。

頼りない肩の彼の声が静かに響きわたる

高速バスからみえる町並みは、すり硝子。

伴奏をつけ忘れて流れていく。

遠く離れた町にむかった、あの深海のバスの夜明けに比べたら。

ふだんは声にする事のできない話をする事ができたので、彼の肩はとても頼もしく思えて。

いつか、この記憶が消えてしまう前に書きとめておこう。




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さよならくちびる   塩田明彦監督

木炭の素描の美しさに似た映像と編集。音楽を道連れにした男と女の旅の記録は、性別と性的嗜好の境界線を越えた所で交わる情念がスクリーンに現れる事なく、みる者の心の中で燃えあがる。

その炎が消えたかと思えば、くすぶり続け重要な主題となる音楽と歌詞(言葉)に乗せて、ただ、ただ、彼、彼女が隣に存在する至福へとむかっていく。

この関係性はロベール・アンリコ監督『冒険者たち』を思い出させ、ジョヴァンニ・パストローネ監督『カビリア』の記憶へと辿り着く。

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ペパーミント・キャンディ   イ・チャンドン監督

韓国映画から独裁政権の怖さ、民主主義の大切さを教わる事が多い。

チャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』ヤン・ウソク監督『弁護人』チャン・ジュナン監督『1987、ある闘いの真実』。

迫害された人々の映画は何本かみた事があるけれど、同胞を迫害した人々の人生を描いた映画はあまりみた事が無いような気がする。

『ペパーミント・キャンディ』で同胞を迫害した人が過去への思いを募らせるたびに、演じる俳優が若返っていく事への驚き、そして、時代が変わるにつれ思想がひとつ、またひとつと剥がれていき、純真無垢な人格が現れた時、この人も人生を破壊された事に気づかされる。

イ・チャンドン監督の人の心を炙りだす演出に、自分の祖父は戦争でパプアニューギニア、フィリピンに行く前はどのような若者だったのか想像してしまった…。

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海獣の子供   渡辺歩監督

宇宙と海の深淵の怖さが精神世界と繋がる映画の作りに、あの映画を思い出させる。

「海の奇跡」と「安海琉花の恐怖の表情」の対比がボーマン船長のあの表情を思わせた瞬間、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の魂が現代のアニメーションに降臨する。

降臨の輝きに現れる鯨の偉大さとおおらかさ。

そして、人影の美しさは、アニメーションにエロティシズムを宿らせた大藤信郎監督『くじら』『幽霊船』を思わせる。

 

予告編のアニメーションの動きに「これは何かある」と思ったけれど、米津玄師様が主題歌を担当しているとか、『縄文にハマる人々』の山岡信貴監督新作『トウレップ』が本作と連動しているという理由でみたので、ここまで好きな映画の要素が詰まっているとは思わなかった。

ミーハーな映画バカでよかったー。

映像表現、アニメーションの表現の可能性を追求する映画に出会う事ができて

よかった。

実験映画を映画館でみる事の気持ちよさ。

大感激です!。

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ビューティフル・ボーイ   フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン監督

前作『オーバー・ザ・ブルースカイ』(2012年)音楽を糧とする夫婦の映画が終わった瞬間に訪れた、あの感覚はどこからやってきたのか?。

新作『ビューティフル・ボーイ』にその事を思った。。
芸能人が薬物に手を出すと、出演した作品がお蔵入りになる。存在が抹殺されるような国とは大違い。
薬物中毒から更生する大切さ。
当時者と家族に訪れる現実の厳しさが伝わってくる。
静かな映画だけれど、編集のタイミングが思いの他、はやかったりするのに目の負担にならない。
夕闇に消えていく一瞬の光景の美しさが連続するような心地のいい編集。

全編に渡って音楽が奏でられているのだけど、これがいい意味で気にならない。抑えられた声の高さ、自然の音。音楽の組み合わせは遠くの木の葉が触れ合う心地よさを思わせる。
この編集と音楽が映画の詩を生み出し、文学の詩と出会い、過去と現在を流浪していた、親の子供への思い。
いつか回復する事を信じ待ち続けていた思いが実を結んだ時に、魂が天に昇る崇高さへとつながっていく。
『オーバー・ザ・ブルースカイ』が終わった瞬間に訪れた感覚に再び出会えた。

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カクレクマノミ、あるいは日記。

映画友達が僕の部屋に来てカレーライスをモクモクあるいはもぐもぐ食べているので、部屋がやたらと静かだけど不思議な心地よさ。

ソファーの本領が発揮されて代わりに冷蔵庫が喋ってる。

歳の離れた弟が遊びにきているみたいで、いやされる夜です。


眠りについた冷蔵庫がみる夢では猫が塀をかけていき、針が今日を越える。

形も音もない言葉が漂いだしたので、中原中也さんの『在りし日の歌』(復刻版)をめくるのに最適な環境がやってきた。

その証拠に裸電球の灯る部屋で文字が発光して反響している。

カクレクマノミに似たタオルケットにくるまる彼の話は小林秀雄さんとアルチュール・ランボーの出会いを子供が保育園での出来事を話すように楽しそうに教えてくれた友達の時代へとつながりながら、詩人の亡骸に触れた男の指先が交差したので、どの時代にいるのかわからなくなる。

しかし、それは楽しい。

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いまも

夜更けに訪れた友達が去ったあとの

気配と香りが心地よかったので

丘のうえの

きみの事を思い出した

長い間 

思い出せないでいた

きみの笑った顔を

ぼんやりと思い出せた

地下の映画館で

映画をみている時は別にして

泣きそうな顔よりも

笑っている顔のほうがいいな

やっぱり


きみを笑わせようとして

できなかった事を 

いまもしているような気がする



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荒野にて   アンドリュー・ヘイ監督

前作の『さざなみ』で映画の登場人物の感情を自然の光、闇、音や風にのせる演出の豊かさが、いっそう輝やきを増している。

映画の場面には写らない、はるか上空をゆく飛行機の音、草原の日陰の虫の鳴き声、木々のざわめきが、新しい土地に暮らし始めた少年の期待を表現し、ある出来事をきっかけに変わりはじめる。

誰にも頼る事もできずに荒野を彷徨う少年に、ささやかな希望が訪れたかと思えば、現実の残酷さを知らせる砂埃が現れ、さあっと引いていく。(それは黒澤明監督『蜘蛛巣城』の霧のような見事さ)その事を認識した時の少年のこわばった顔が黄昏時に浮かぶ。


字幕の仕事をされている方達には申し訳ないのですが、映像と音の表現の豊かさ、チャーリー・プラマーの存在感に映画をみている事を忘れて3分の1ほど字幕を読むのを忘れてしまったのです。

このような体験は滅多になく、アンドリュー・ヘイ監督『荒野にて』に出会えた奇跡にわんわん大泣きしてしまい逃げたトイレは満員だった。

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魂のゆくえ   ポール・シュレイダー監督

牧師の日記。

「経験を感情がうわまっていく」という言葉から、イラク戦争も環境破壊も経験ではなくて感情が優先されがちな事に気づかされる。

『魂のゆくえ』は本来なら自分の信仰心を強固にするための「経験を感情がうわまわっていく」事をきっかけに世界が崩れはじめる。

この既視感はアレクサンドル・ソクーロフ監督『ファウスト』。  

魂の所在を探すうちに、悪魔との契約から得た力を自分の物と思い違いをしたあの姿。

『魂のゆくえ』の牧師は息子を死に追いやった意識。自分達の宗教が隣人を死に追いやった意識。

心の中にあらゆる罪の意識(感情)が形となって現れる。

神の存在を証明するために行動する牧師の姿がかつての聖職者がそうであったように、世間からは異端にうつり、神の奇跡と思えるような出来事は罪の意識の産物にすぎない事が、牧師の感情を克明に記録した日記により暴かれ、牧師の魂のゆくえは神の不在の証明へと辿り着く。

この残酷さと、このスリリングさ。

本当にみたかった映画はこれだ!。

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